患者さまからのお便り 浅田LC

診療予約
診療予約mini
初めての方へ
初めての方へmini

患者さまからのお便り

2015年12月に出産された患者様から

掲載日:2017年6月23日
2015年12月男児を無事に出産しました。今メッセージを残させてもらうことで、自分の出産までを振り返ることができ、本当にこの奇跡に感謝します。思えば妊娠を意識したのは結婚してからで、結婚すれば授かるものだと思ってのんびり夫婦の生活を楽しんでいました。
 しかしのんびりしている間に周りの出産ラッシュ、このままでいいものかと、近所の産婦人科へ。検査を一通り終えると主人にも自分にも原因がみつかりました。とりあえず人工授精を数回するも撃沈。このままではまだ諦めることはできないと思い、不妊治療専門クリニックへ。そして、体外受精を4回繰り返すも2回の化学流産に終わり、この先について考えるようになりました。
 そこで周りの評判を聞きつけ浅田レディースクリニックの門をたたきました。先生が毎回変わるということや治療費用の高さなど不安もありましたが、地道に通院しました。待合のロビーには妊娠を意識する患者さんが大勢いることで自分も頑張ろうと思い励みになっていたと思います。通院は苦痛を感じることなくドキドキの連続で先生はじめ職員の方の励ましで前向きに勧めていくことができました。
 治療中はどうしてもイライラしやすくまた出口のないトンネルを歩いているかんじになりやすいですが、今思いおこせばよい思い出です。祖父が亡くなった年に生まれたこの子に運命を感じつつ、命のリレーができたことに感謝します。
 チーム浅田の皆様、本当にありがとうございました。この子の兄弟の誕生にまた力をかしていただければ幸いです。
レター

2015年9月に出産された患者様から10

掲載日:2017年6月23日
私は昨年秋に元気な男の子を出産し、母になることができました。お礼が遅くなりましたが、浅田先生をはじめ、クリニックの皆さまには本当に感謝しております。
 結婚して2年経っても妊娠しないので、近くの産婦人科で不妊治療を始めました。その時は病院に通えば妊娠できると思っていましたが、タイミング法を試しても妊娠することはありませんでした。何度か通ってみましたが、やる気のない先生への不信感が強くなり通うのをやめてしまいました。
 1年経った頃、義母に「浅田LCに通ってみてはどうか?」と勧められ説明会へ参加しました。そこで浅田先生の話を聞いて『この先生に任せれば妊娠できるかもしれない』と思い治療を開始しました。3回の人工授精でも妊娠できず、早めのステップアップで体外受精に進みました。私は刺激をしてもあまり卵子が取れず、分裂も上手くいかなくて4回の採卵、3回の胚移植でやっと妊娠することができました。先生に出会わなければ、私は子供を産むことができなかったかもしれません。なかなか成果が出ず、通院がつらい時期もありました。そんな時、看護師の方が親身に話を聞いてくださいました。
 浅田LCは設備もそうですが、先生方、看護師の方々も本当に素晴らしいと思います。病院選びは本当に大事だと思いました。先生方を信じて前向きに治療に取り組んでいただけたらなと思います。
レター

2015年11月に出産された患者様から4

掲載日:2017年6月17日
2015年11月17日に女の子を無事に出産しました。結婚当初から子供を早く授かりたいと思っていたところ、健康診断で子宮の異常が見つかり、子宮円錐切除の手術を受けました。また若い頃から生理不順もあったので、それを機に一般の産婦人科にタイミングを見てもらうため通うようになりました。しかし授からず不妊治療専門のクリニックへ転院しました。
 人工授精8回、採卵1回、移植2回しましたがそちらでも妊娠に至らずこの先どうしようかと考えていた所、浅田レディースクリニックを知りました。説明会から卒業まで丁寧にわかりやすく説明して頂き納得して治療する事ができ、移植1回目で授かる事ができました。陽性反応を頂いた時は信じられない気持ちと嬉しい気持ちでいっぱいになりました。先の見えない治療に何度も涙を流しましたが、こちらのクリニックに通ってすぐに結果も出して頂きほんとに感謝しています。
 今、我が子と過ごす日々はとてもかけがえのないものになっています。辛い日々を乗り越えなければここまで幸せを感じる事は出来なかったかもしれません。今は不妊治療をしてほんとによかったと思います。治療中は辛い事も沢山あると思います。それを乗り越えた時今まで感じた事のない幸せが皆さんに訪れる事を心より願っております。
 先生方、スタッフの皆さま本当にありがとうございました。
レター

2015年10月に出産された患者様から7

掲載日:2017年6月17日
36歳でAMHが0・7と知ったとき一瞬私は「ひょっとしたら母親になれないかもしれない」そう思いました。でも、自然妊娠はむずかしくても顕微授精という道がある。そう自分を奮い立たせてから3年かかってやっと妊娠出来ました。
 採卵10回・移植8回での奇跡でした。ショート法での惨敗、以後クロミフェンでの気の遠くなるような採卵の繰り返し、そして移植の判定も検査薬はいつも真っ白!一体いつまでこんなことを繰り返したらいいのだろう?いま振り返っても辛い大変な不妊治療でした。採卵や移植の回数が増える度に消えていく希望、増えていく絶望と戦ってきました。正直2年経っても結果が出なかったとき続けるか迷いました。でも子供への思いが諦めきれなかったのと、院長先生の心強い一言で続けることが出来ました。
 受精卵から胎児になれる割合は15分の1程度。だから15個の受精卵に出逢うまでは続けて欲しい。低AMHで1度に出会える受精卵が少ないだけ。勿論2年以上通院して結果を得た人もいる。もし、私のように低AMHでショックを受けている人がいるなら自信を持って言いたいです。採卵も移植も一筋縄ではいかないかも。ひょっとしたら卵がとれないことがあるかもしれません。でも、可能性はゼロじゃないと思います。結果が悪くてもあきらめないで欲しいです。
 家族そして浅田レディースには先生やコーディネーターさんなど体外受精のプロフェッショナルが大勢います。私も移植コーディネーターさんに助けられましたから。上手くいえませんが不妊治療を続けていれば起こる奇跡もあると思います。不妊治療開始が遅かったため、時間がかかりましたが、最初で最後に浅田レディースに出逢って本当によかったと思います。おかげさまで授かった娘も5カ月になり、先日初節句も済ませスクスクと育っています。感謝以外よい言葉が見当たりません。本当にありがとうございました。貴院の益々の発展をお祈りいたします。
レター

2015年11月に出産された患者様から

掲載日:2017年6月 9日
一人目を他院で一回目のIVF 授かり、二人目もIVF をすれば2年ほどで授かれるかなぁと楽観的に思っていました。しかし、そこからなかなか授からずこちらに転院して一度の採卵、4つあった卵の最後の最後で授かりました。
 これがダメならもう諦めようと思っていたので本当に奇跡です。気付けば上の子は六歳になっていました。こんなにかかるとは思っていませんでした。途中、通院が本当に辛く兄弟を見るたびに溜め息ばかり。一人でもこんなかわいい子がいるんだからと思ってみたり。でも兄弟をつくってあげたいと思いなんとか頑張って通い続けました。
 浅田先生は説明会で「通院が大変なんて言ってたらだめ。子育てはもっと大変」なんてお話がありました。確かにそうかもしれませんが、やはり不妊治療はゴールの見えないトンネルを行き続けるようなもの。同じ大変でも子育ては幸せな大変です。やっぱり不妊治療は辛いです。最後は無心になり、ただただ生命力のある卵に出会う時をひたすら淡々と待つのみ。とおもって通っていました。身体をとにかく温め、その時を待つ。あとは、神のみぞ知る。頑張っても手に入らないことが世の中にはあるんだなと思いしった不妊治療。本当に辛かったですが、命の尊さ、自分一人で生きてないということ、まわりに感謝する気持ちを教えてくれた不妊治療でした。
 院長始め、羽柴先生また全スタッフの皆さま本当にありがとうございました。ノートに色々なご意見がありましたが、私は嫌な思いを一度もしたことなく、本当に感謝しています。ここにいらっしゃる患者さん達は、あんなささいなことも気になるようなギリギリの精神状態で通院してるんだと思います。これからも、新しい命の為に頑張って下さい。
レター

2015年11月に出産された患者様から2

掲載日:2017年6月 9日
 45歳の誕生日を目前とした出産となりました。
 こちらの病院にお世話になろうと決めたのは、2年ほど前、別の病院で治療をしていた頃、検査の数値がどんどん悪くなってきたのがきっかけです。年齢の限界をつきつけられ、一度だけ、子供のように、大声を上げて、ただただ泣きました。泣いて泣いて泣ききって、そのときに、転院を決めたのです。いま、やれるだけやらなければ、一生後悔してしまうから、とにかく、結果はどうなろうとも、やれるだけのことは全部やろうと、そう思ったのです。
 フルタイムで仕事をしている私にとっては、なかなか厳しい選択でしたが、この1年間だけは、どこにどう、何回頭を下げてでも、とにかく、治療を優先しようと決めての転院でした。43歳6か月でした。
 6回続けての採卵。そして移植。陽性が確認されてからの診察は、正直に言えば、エスカレータの前で、回れ右をして帰ってしまおうかと、何度も思いました。陽性と言われたままならば、私はまだ「ママ」でいられるけれど、診察をして、流産ですねと言われてしまえば、その幸福な時間も終わってしまう。それが怖くて怖くて、本当に、病院のドアの前にいながら、何度も帰ってしまおうかと思っていました。
 そんな中、心拍が確認できた時には、本当に本当に信じられない思いで、涙があふれてしまいました。診察が終わって、ビルを出た時に、満開に咲き誇ったピンクの桜と、その枝の間から広がった鮮やかな青空が忘れられません。
 あの桜から1年がたち、今、目の前に、にこにこと笑う小さなわが子を胸に抱き、一緒に桜吹雪の中をお散歩しています。44歳という年齢で、こんな幸せを授けていただけたこと、先生方をはじめとする皆様には、ただただ感謝しかありません。あの不妊治療の時間は、私には必要な時間だったように思います。あれがあるから、これから何があっても、乗り越えらえる気がしています。
 本当に、ありがとうございました。多くの皆様に、この幸せが訪れますように。
レター

2015年11月に出産された患者様から1

掲載日:2017年6月 2日
私は身近に不妊治療に長年苦しんでいる人がおり、なかなか不妊治療にふみきれませんでした。しかし、こちらのクリニックは不妊の原因の追究より結果にコミットするという明確なコンセプトのもと治療を行っておられ、最短で妊娠・出産まで導いてくれるに違いない、とガイダンスで感じました。そこで、40歳で初めて不妊治療を始めるにあたりこちらのクリニックを受診しました。
 当初人工授精からのスタートを希望した私に、浅田先生は科学的見地から体外受精を勧めて下さり、体外受精からのスタートとなりました。結果、1回目の採卵で12個の受精卵を得ることができ、治療スタートから8か月目の5回目の胚移植で妊娠、42歳で出産に至りました。(自然分娩で助産師さんからも「安産だったね」と言って頂けました。)
 1回の採卵で妊娠・出産に至る力を持った受精卵を得ることができたのは「少しでも早い方が良い」との先生のご説明の通りだったと思っています。本当に感謝しています。こちらのクリニックは先生方の見識もさることながら、技術スタッフの皆様、看護師、事務の方も高いプロ意識と技術をお持ちだと感じています。陰性結果に終わった4回の胚移植を乗り越えられたのは、薬師先生をはじめとする先生方の熱意が大きかったと思います。
 今、私達夫婦はかけがえのない命を授かった幸せをかみしめながら育児に奮闘中です。出産・育児は体力勝負です。また、妊娠しやすさは年齢と密接な関係があります。私は40歳と遅いスタートでしたが、陰性に終わった4回の胚移植のつらさを思い出すとき、もし治療を迷っている方がいらっしゃるなら少しでも早いスタートをお勧めしたいです。
レター

2015年11月に出産された患者様から

掲載日:2017年6月 2日
浅田院長先生をはじめスタッフのみなさまには感謝の気持ちでいっぱいです。夢にまで見ていた我が子を毎日抱っこできること、家族3人で過ごすこと、両親と一緒に我が子とお散歩ができること、そんな何気ない日々そのものが今とても幸せに感じております。
 浅田LCに通っていた1年半の間は、先が見えないトンネルの中を進んでいるような不安な気持ちの連続でした。仕事中や通勤中にも涙ぐんでしまうことが時々ありました。幸いなことに主人や職場の方々も通院に際し協力的でいてくれたことや、浅田先生が初めにおっしゃった「2年以内に結果を出す」という言葉がいつも励みとなりました。また医療スタッフや受付の方々みなさんがいつも感じのよい応対をして下さることや、先生方や培養士の方々が確実な仕事をしてくださっているという信頼感を持つことができたことは、通院する上でとてもありがたいものでした。
 3回目の胚移植で妊娠できたときは、やっと卒業できる!という喜びはもちろん、毎週のように通っていたクリニックへ行かなくてよいことが少しだけさびしいような不思議な気持ちになったことを覚えています。幸運にも結婚5年目で我が子を授かった今は、不妊治療を通して経験したことは無駄ではなかったと思っています。あの時期の気持ちが原点にあれば、今ある状況がいかに幸せであるかを実感し、これからの子育てでもいろいろと大変なことがあると思いますが、なんでも頑張る事ができると思えるからです。
 不妊治療を始めることやステップアップすることをためらっている方がいらしたら、迷っている時間そのものがもったいないとお伝えしたいです。信頼できる浅田LCへなら勇気をもって一歩踏み出す価値はあると思います。私はあの時一歩踏み出せて本当に良かったです。本当にありがとうございました。
レター

2015年10月に出産された患者様から6

掲載日:2017年5月26日
私は33歳で結婚して一年程経った頃から、なかなか妊娠しないので近所の産婦人科で不妊治療を始めました。まだ30代前半だし これで妊娠できると高を括っていたので、タイミング療法で半年を過ぎても出来ず、人口受精に切り替えてもできなかった時、初めて自分は妊娠できない人間なのではないかと思い焦りだしました。
 人工授精して診察台の上で安静にしている時、その産婦人科に来院している幸せそうな夫婦や走り回る子供、深刻に考えていない為かあまり協力的ではなかった旦那さんや、そうまでして他人の手を借りなければならない自分に悲観して涙を止められませんでした。そんな私に気付いた看護師さんが見兼ねて、浅田レディースクリニックを紹介して下さいました。浅田レディースクリニックさんは初めて治療をする前に、夫婦で院長のお話を聞いて納得しなければ受診できません。深刻でなかった旦那さんを連れお話を聞けた事が、夫婦間の協力体制を整えられたと感じています。既にタイミング療法で出来なかった事を考慮し、人口受精から始めるか体外受精をいきなり始めるか等こちらの気持ちに寄り添って下さった事が、安心して治療を進められました。
 私の場合、この時既に37歳になっており数回の人口受精でもうまくいかなかったので、早々に体外受精に切り替えました。ひとくちに体外受精といってもすぐ受精卵ができるわけではありません。まず採卵する為に、薬や自己注射を打ったりと、体外受精を決心してからも時間がかかります。又、全ての卵が受精卵になる訳ではないし、うまく受精卵ができても胎内に戻して着床しなければなりません。薬も忘れず飲み続けなければなりません。関門はいくつもあります。気持ちを萎えさせず持続するのは難しい。妊娠する、という事は自然ににしろ不妊治療にしろ本当に奇跡なんだと感じました。だから「授かる」と言うんだと思います。
 有難い事に私は約一年半、3回目で こちらを卒業する事ができました。出産時は39歳。いろいろあって帝王切開しました。妊娠したらしたで入退院を繰り返す大変なマタニティライフだったし、産褥も酷かったけど、今こうして新しい小さな命を胸に抱く事ができ、旦那さんと共に感激と幸福に包まれています。もっと早く浅田先生のクリニックを知りたかった。けれど、同時に浅田レディースクリニックに お世話になれて本当に良かったと思っています。
 浅田先生をはじめ諸先生方、看護師さん達、皆様 本当にありがとうございました。今、治療を迷っていたり不安を感じている方が おられましたら、希望を捨てず心を強く持って、自分と先生方を信じて、もう少しだけ頑張ってみて下さい。きっと可愛い赤ちゃんに会えると、少しだけ気楽に、幸せな想像をしながら。
レター

2015年10月に出産された患者様から5

掲載日:2017年5月26日
30歳から治療を始めて2年、AMH値が0.8しかなく、不安でいっぱいでしたが、人工授精6回、顕微受精5回目で妊娠し、無事女の子を出産することができました。
 治療中は生理が来るたびに落ち込み、子供がいる友人たちと会うことも辛くなり距離を置いたり、精神的に不安定な日々が続きました。顕微受精3回目で授からなかったとき、少し少し休もうと思い、半年と決め、治療をお休みしました。ですが、結局排卵日などが気になり、あまりリフレッシュすることができませんでした(笑)そして、半年後治療を再開し、顕微受精2回目で妊娠することができました。
 よく諦めた頃に妊娠したと聞きますが、私は1度も諦めませんでした。ずっと頭の中で赤ちゃんに会えることを信じて頑張りました。芸能人や友人の妊娠を聞き「ずるい。何で私は妊娠できないんだ」とどす黒い感情が込み上げたりしました。そしてその後かならず「こんな私のところには赤ちゃんは来てくれない」と自分を責めたりしました。ですが妊娠がわかったとき、そんなどす黒い感情をしっかり持っていました。
 別に妊娠を諦めなくても、どす黒い感情を持っていても、妊娠するときはするんだということを身を持って経験しました。自分の気持ちをねじ曲げ、キレイ事を言う必要はないんだと思いました。
 今治療を頑張っていらっしゃる方たちは、体の状態や年齢などそれぞれあると思いますし、数え切れないほど努力されていると思うので、簡単に頑張れなんて言えませんが、私のような考え方もあるんだと思っていただければ幸いと思います。
レター

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11 最後へ

Copyright(c) 2004 Asada Ladies Clinic. All rights reserved.