患者さまからのお手紙

2018年5月に出産された患者さまから

掲載日:2020年3月 6日

すでに生後半年がすぎてもいまだに信じられないくらい、我が子の存在は奇跡の連続で、毎日寝顔が神々しく、感謝の気持ちでいっぱいです。我が子に会いたいと願って、不妊治療をしてきたものの、最後の砦として貴院の扉をたたいた時は39歳。低AMH値、年齢、卵巣のう種(片側除去手術)とハードルがかなり高かったですが、ここでだめならあきらめよう、自分たちでやるだけやった、という思いが必要でした。結果的に浅田院長先生には説明会の時のみ、以後1度もお会いすることなく卒業、でしたがチーム浅田として受付の方から看護師さん、先生、どの方にお会いしても私は不安になることはなく、気持ちのアップダウンに振り回されないよう、粛々と治療を進めていきたい中で、高度な医療を提供しているという貴院全体の自信に信頼を寄せながら治療を受けることができました。
それでも、様々な結果に必要以上に傷つかないよう、また、やるだけやったの中に自分を労る努力もした2年でした。具体的には卵巣嚢腫からすぐに他院で体外受精を試みたものの、自分自身の体が妊娠にむけて準備できていない気がして、治療はあえて1年休んでしまいました。その間、鍼灸に通い、心身ともに前向きに治療に取り組めるように準備をしました。友人にも7年かかった等不妊治療の経験は身近に聞いてはいましたが、基本、孤独な治療です。ストレスが一番よくない気もしましたし、夫婦二人で力を合わせないととても乗り越えられません。このクリニックの距離感というのか粛々と進めていく感じは私たちに合っていたと思います。それでも、移植時に最後羽柴先生が手を合わせた姿はとても印象に残っていて、どんなに進歩している医学でもまだまだ人間の及ばない領域なのだなと思わずにはいられませんでした。
医療現場において、祈る姿(私にはそう見えたのです)は普通不安になるかもしれませんが、技術におごることなく、最後は人間の神秘に願う姿は、いくら自信があっても、「生命に対しての基本姿勢」を垣間見た気がして妙に感動、安心したのを覚えています。私たちの場合は本当にこの1年でだめだったらあきらめよう。と話し合っていたので覚悟をきめていただけに、妊娠がわかったときは涙がとまりませんでした。それでも高齢出産は様々なハードルがあるため、安定期をすぎてもあまり多くの人には伝えずにいました。不安を掘り下げればキリがないのはわかっていたのですがどうしてもいつも不測の事態、を心のどこかで覚悟しながらでした。しかし最後は自分の、我が子の、命の力を信じること。で心の平安を保っていたと思います。
まだまだ書き足りませんがおかげさまで我が子が生まれるまで多くの人に助けてもらいました。この場を借りて浅田レディースクリニックの誇り高きみなさまに感謝いたします。

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