患者さまからのお手紙

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掲載お手紙数514通  毎週金曜日更新

2018年12月に出産された患者さまから

掲載日:2020年3月27日

私は結婚して9年、ようやく待望の赤ちゃんをこの腕に抱くことができました。浅田クリニックの皆様方には 本当に本当に感謝しています。
私達夫婦は 結婚して2~3年ごろ、浅田クリニックではない、別の不妊治療の門をたたきました。そこで何年もかけて、初歩の治療から体外受精までおこないました。しかし、1度は妊娠したものの流産(心拍確認前に)。その後も挑戦を続けた記憶ですが、最終的に医師から「うちでこれ以上やれることはない」と告げられ、新たに 浅田クリニックにお世話になることに決めました。
まだ30代、どうしてもどうしても、諦められなかったのです。浅田クリニック説明会での、とても合理的な考え方に納得したのを覚えています。そして、浅田クリニックで初の杯移植で 待望の妊娠。驚きました。浅田クリニックさんの技術のおかげだと、本当に有難く思っています。出産を経て現在。我が子がこんなに可愛いとは思ってもいませんでした。育児は大変なことも多いですが、浅田クリニックさんにお世話になり本当に良かったと思っています。
これから治療を始められる方々、現在治療をされている方々、いろいろな思いを抱えての治療かと思います。しかし、私のような例もあることを知っていただき、ご自身の決められた形の中で、前向きに歩んでいって頂きたいです。また、もし迷っている方がいらしたら、もしもほんの少しでも、子どもが欲しいという思いがあるのなら、ご自身で決められたところまでは、穏やかな希望を持って、進んでいって欲しいです。
何が正解かはわかりませんが、私達夫婦は、いろいろなことを会話し、でもそれぞれに日々忙しくしながら、治療を続け、今の日々を迎えました。授かった命を、心から 大切にしていきたいと思います。〆

レター

2019年01月に出産された患者さまから

掲載日:2020年3月27日

体は小さい頃から健康で、妊娠は当たり前にできるものだと思っていました。でも、待てど暮らせど、赤ちゃんは私のところに会いに来てくれなくて。早く子どもが欲しかった私は、とりあえず体に良いものを取り入れたり、排卵日とタイミングを合わせてみたりと、自分でできる範囲で最初のうちは取り組んでいました。
でも、やっぱりなかなか妊娠できず、周りの友達が妊娠するたび焦りだけ募って。ナイーブな問題だからか、不妊治療している友達もいなくて、調べはするものの、不妊治療を開始するまでには、かなり時間がかかりました。夫を説得したり両親へ相談したり。みんな、不妊治療なんかしなくてもできると言って、真剣にとりあってもくれず、気持ちがかなり落ち込みました。
時間だけ過ぎていき数年たったときに、夫が重い腰をあげてやっと病院にいくことができました。検査の結果、とくにふたりとも問題はないものの、妊娠ができないということで、段階をふんで治療を開始しました。半年くらいタイミング療法をして、効果がでないなぁ思っていたら、急に夫の転勤で名古屋に行くことになり途中で断念。またいちから病院探しから始まって、浅田レディースクリニックを見つけ、説明会を開いてるなんてすごいなぁと思いながら参加。とてもたくさんの方々がいて、子どもが授かれない人がこんなにもたくさんいるんだととても心強くなりました。それに、夫も周りにこれだけたくさんの人も自分と同じ状況なんだとわかってもらえて良い機会でした。
前に通っていた病院より、スピードを持って治療をしてくださり、妊娠することができました。通っている間辛いこともあったし、涙もたくさん流したし、気持ち的にも折れそうになったこともたくさんありましたが、今はとっても幸せです。もっと早く不妊治療を開始したら良かったと思っています。結果論かもしれませんが、タイミング療法で迷っていた時間がもったいなかったなと思いました。高齢出産手前ということで、体力の問題もありますが、私にとって1番大きな問題だったのは気持ちの問題でした。
34歳で子どもを生んで、はや4ヶ月。すでに、腱鞘炎で手が痛く腰も痛めていますが、これからもっと大きくなっていくので、体力作りに励んで頑張ります!

レター

2019年01月に出産された患者さまから

掲載日:2020年3月20日

私は33歳で浅田LCに転院しましたが、転院前と合わせて4年間で採卵4回、移植10回目でようやく妊娠・出産に至りました。
左右の卵巣にチョコレート嚢胞があり、AMHは一番低い時で1.34でした。友達には言えないし、親にもなかなか正直な気持ちは言えず、街中でマタニティマークを見るたび妬みと悲しみでいっぱいになるし職場で隣の席だった男性にお子さんが生まれた時はついに最後までおめでとうございますが言えませんでした。情報収集はネットのみでした。漢方、筋トレ、ランニング、浅田サプリ、食事、神頼み、打てる手はすべて打ちました。3回目の採卵分をすべて移植し9回目の移植で初めて陽性反応が出たものの胎嚢確認できずそのままいわゆる化学流産となったあと、年齢的にも金銭的にも限界で夫にもうやめようと言われました。どうしても諦めきれず、あと1回だけ採卵してそれを最後にすると決め、この時初めて先生に、「他になにかできることはありませんか」と相談しました。そこで提案されたのがDHEAサプリです。効果には個人差があるが、摂って悪いものではない、ということで具体的な摂取量の指導もなかったので、またまたネット情報を頼りに朝晩1錠ずつ飲みました。
幸い私には合っていたようで、4回目の採卵ではタマゴの成績が劇的にアップし、8Aと桑実胚(そうじつはい)を同時移植することができました。8分割までいったのも初めてでしたし、桑実胚なんてなんて読み方も知りませんでした。さらにこの時の凍結卵で2人目も1発で妊娠出産できました。
2人目の時は胚盤胞(Blast4)を1個だけ移植しました。2人目妊娠の時は、上の子(1歳)のお世話に追われて移植したことも忘れて毎日10キロ近い子を抱っこしたりおんぶしたりしていましたが、順調そのものでした。浅田先生がいつも仰っている「タマゴが主役」とはこういうことかと何度も実感していました。初診前説明会で、不妊治療について自分でも勉強してくださいというようなことを言われ、なかなか先生に質問したりアドバイスを求めたりできずにいたのですが、もっと早く相談すればよかったと思います。
いつもたくさんの患者さんで待合室があふれかえっていてどんなにか忙しかろうと思いますが、先生方も他のスタッフさん方も本当に親切ですし、たぶん一番気持ちを分かってくださいます。そして当然ですがネットよりずっとたくさんの信頼できる知識と経験をお持ちです。行き詰まる前に先生や看護師さんに相談するなどして、一日でも早くつらい治療を終える日が来ればいいと願っています。

レター

2018年12月に出産された患者さまから

掲載日:2020年3月20日

私達は、男性不妊のため体外受精でしか授かれないことが明白でしたので浅田クリニックにかかる前に、自宅近くで通いやすい別の病院で体外受精の治療をしておりました。胚盤胞の移植を3回、新鮮肺移植にも1回トライし、1度は成功しましたが繋留流産してしまい、他にも子宮外妊娠(自然消滅)でおなかに血がたまってしまったり、子宮内膜がなかなか厚くならなかったりとうまくいかなくて、つらくて悲しくて周りの人が羨ましくてよく泣いていました。成功しかかったときもあったので、その病院に技術がないとかいうことではないのだろうと思っていますが、それでも4回目がダメだった時に、通うのは大変になるし、仕事も早引けしないといけなくなるので少し勇気がいりましたが、技術力を信じて浅田クリニックに転院しました。
浅田クリックでは、前の病院では調べなかった項目も調べて下さり、データに基づいて治療を進めてくださっていると感じ、心強く思いました。とれた卵の数も前の病院よりとても多く、ほとんどが胚盤胞になり、たくさんの卵があることで心の余裕も生まれました。はじめての移植の周期では子宮内膜の厚みがいまいちでしたが、その際は急がば回れでリセットする判断を早めにしてくださったので、その時はちょっとがっかりはしましたが、余計な悲しみを感じずにすみました。その次の周期で無事移植でき、はじめての移植で無事子供を授かることができたことに本当に感謝しています。
今はわが子と過ごす日々が本当に楽しくキラキラしていて幸せで、あきらめずに治療を続けてよかった、勇気をもって転院してよかったと思っています。不妊治療は時間もお金もかかり、原因がどうであれ女性の方が大変なので体も心も辛いですが、だからこそ早く行動に移し、納得できる治療が受けられる病院に出会うことが大切だと思います。もちろん結果が100%ついてくる確証はありませんが、自分達が納得し信頼して委ねたのであれば、いかなる結果も最終的には受け入れられると思うので、情報や感情に流されずに自分達に合う病院を見極めることが必要と思います。
多くの方が少しでも早く、愛しいわが子を腕に抱けるよう、願っております。

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