患者さまからのお手紙

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掲載お手紙数568通  毎週金曜日更新

2025年03月に出産された患者さまから

掲載日:2025年11月 7日

1人目の時に地元で不妊治療(体外受精)を受けたことがあるのですが、受付前のベンチに2時間以上待つ上、毎回ホルモン注射を打たなければならず、精神的にもかなり苦痛に感じていました。浅田さんに病院を変えてからは、家からの移動時間こそかかったものの、注射は採卵や採血の時のみで毎回注射することがなく、待ち時間もプライバシーが保たれていてあまりストレスを感じることはありませんでした。
私はここの病院で1人目は運よく1回目の移植で授かることができましたが、2人目は8回移植して内4回流産(いずれも心拍確認前)を経験しました。正直ここまで2人目に苦労することになるとは思っていませんでしたが、何度も諦めずにチャレンジできたのも夫の協力はもちろん、素晴らしい技術を持つ先生方がいるこの病院で治療できたことが大きいと思っています。
先の見えないゴールに不安を感じることも多いと思いますが、1人で全て抱え込むのはなく、旦那さんにも適宜コミュニケーション取りながら夫婦で協力してほしいと思います。

レター

2024年12月に出産された患者さまから

掲載日:2025年11月 7日

結婚したら、自然と子どもができると思っていました。しかし、そうではありませんでした。私は白黒はっきりさせたい性格なので、はっきりとした理由がわからずもどかしかったです。人工授精から始めましたが、一度も着床しませんでした。医師からステップアップを勧められましたが、現実を受け止められず、人工授精を繰り返し行いました。ようやく決心し、体外受精のできる浅田レディースクリニックに病院を変えました。
仕事をしながらの不妊治療は大変で、勤務の調整が必要なので、職場の上司には相談しました。私は、時間休を取りたかったのですが、上司からは、「途中でいなくなるなら、その日は休みの方がいい」と言われ、そのようにしました。なぜ風邪はどうどうと休めるのに、不妊治療は肩身の狭い思いをしなくてはいけないのか。不妊治療は治療をした人にしかその大変さ、辛さはわからないと思いました。なかなか「不妊治療してる?」とは聞きづらく、上司以外には誰にも話せませんでした。
ある日、職場の人が同じクリニックで治療をしていることがわかりました。たまたま話しているのを聞いたのです。思わず、自分も治療をしていることを話すと、共感することが多く、前より親しくなれました。「テープ痒いよね。皮膚ズタボロだよね。」辛いことも笑いながら話せていました。その人が妊娠し、不要になったテープを譲ってくれました。想いも譲られたようで、お守りのようでした。保険適応の6回をとっくに越えていたので、とても助かりました。おめでとうと思うけれど、うらやましくてしょうがなかったです。
待合室でお子さんを連れてきている人を見ると、「子どもがいるのにまだ欲しいの?ぜいたくよ。」「子どもが欲しくて通院している人がいるのに子どもなんて連れて来るなよ」そう思うことがありました。そんな自分が嫌になりました。2回流産しました。自覚のないまま妊娠し流産する。手術の後は涙が出ました。不妊治療はやめ時がわからず、ギャンブルのようでした。35歳まででやめようと思っていました。ぎりぎり34歳で妊娠・出産することができました。流産したことがあるので、周りにはなかなか妊娠の報告ができませんでした。
妊娠すると幸せいっぱいなのかと思っていましたが、生まれるまで安心なんてできませんでした。妊娠中に安定期なんてありません。生まれた子はかわいくてかわいくて。治療は辛かったけれどやってよかった。この子に会えてよかったと思いました。

レター

2025年01月に出産された患者さまから

掲載日:2025年10月31日

40歳でこちらに転院し、1回目の体外受精で初めての陽性反応から妊娠、母子共に病気等なく、無事元気に出産することが出来ました。転院前の採卵では、平均で5個前後の実績であったのに、こちらでは10個採れたとのことで、最初は望みがないものも含めて盛って報告されたのかもしれないと、とても信じられませんでした。
3年以上の治療で転院は2回(相談のみを含めたら4回)、体外受精と顕微受精を合わせて4回して一度も実りませんでしたが、とても腕の良い先生なのだと思います。当時通っていたクリニックでは2年以上もお世話になっていたので転院は悩みましたが、先に治療で妊娠した友人の勧めもあり浅田さんでお願いして本当に良かったと思っています。
こちらは常に混み合っていますが、フロアが綺麗で広いので他のクリニックの様に待合室で座れずに立って待つ様なことがなく、他の方と出来るだけ顔を合わせない様な椅子の配置になっているので安心して通うことが出来ました。アプリの呼び出し通知も効率的で良かったです。全ての段取りについて動画や案内カードでとても分かりやすく説明があり、相談窓口や、スタッフさん達が常に心情に気を遣ってくださる優しい感じが心強かったです。
ただ、人気で沢山の方がいるだけに中には配慮の無い人もおり、小さい子供を廊下で走らせているのを見ると黒い感情が湧いてきて胸が苦しくなり、呼吸が浅くなりました。治療をした事がある人にしか共感出来ない感情があり、自分が性格が悪い人間なのではないかと落ち込みました。また、治療年数や内容によっても「それくらいで苦労話の様に語らないでほしい」とモヤモヤすることもあります。出来るだけ人との関わりが無いよう事務的に、効率的に、スピーディーに、確実に成果を出して頂けて本当に感謝しかありません。
早く出産した友人から、高齢出産と言われ傷ついたこともありましたが、この年だからこそ金銭的にも気持ち的にも余裕がありますし、よく言われる体力的にも全く問題がありません。散々自分の人生の自由な時間と仕事を謳歌し、治療をしていたからこそ、どれだけ泣き叫ばれても愛おしくてたまらないので、この年齢で何よりも幸せだと感じています。高齢を理由に自分を卑下したり治療することを諦めないでください。まだめちゃくちゃ若いです。
ひとたび不妊治療の場を離れると、「そこのお若い方」と言われる年齢です。アラフォー出産旋風巻き起こしていきましょう。経過報告など全面的に提供させていただきます。本当にありがとうございました。

レター

2025年02月に出産された患者さまから

掲載日:2025年10月31日

私はタイミング法が3回連続で妊娠しなかった時に子宮頚がんの結果が中等度異形成になりこのままタイミング法を続けてもいいのか悩んでいました。先生は私たちの心配している気持ちを汲み取ってくださって、早く妊娠できるよう人工授精をスキップして体外受精に進むことを提案してくれました。
費用も変わるし、負担は増えるけど授かれる可能性が高まるならと、体外受精に進み2回目の移植で授かることができました。あの時早く治療を進みたいと思っていた気持ちを汲み取ってくれた先生たちに感謝しております。移植1回目のときに夫の海外赴任が決まったときも残った凍結胚があるから私1人でも不妊治療ができる!と安心しました。その後異形成は陰性になり、夫は先に移住し、妊娠中は1人で過ごすことが多く辛かったですが、元気な女の子を出産しました。
不妊治療というとなかなか話題にもしづらく、クリニックに行くのにも勇気がいることかもしれませんが、迷われている方はまずは検査等で自分の状況を知るだけでも良いかと思います。

レター

2025年02月に出産された患者さまから

掲載日:2025年10月24日

結婚当時、私は35歳、主人は43歳で、お互い子どもがほしかったので、結婚後すぐに妊活を始めましたが、なかなか授からず、年齢のことも気になっていたため、半年経った頃に不妊治療専門のクリニックを受診しました。検査では異常はありませんでしたが、なかなか授からず、徐々にステップアップし、体外受精に進みました。
初めての採卵で卵子は採れましたが、受精できたのは数個、凍結できたのは皆無でした。それに加えて、治療の影響で卵管水腫になり、主治医には手術を勧められましたが、そのクリニックでは手術はできないため、詳しいことは紹介先で聞くようにと言われ、質問を受け付けてもらえず、放り出されたような気持ちになり、すごく孤独で、自宅に帰り散々泣きました。
不妊の原因はわからないけれど、体外受精すれば妊娠できると考えていたので、身体は健康で検査に問題はないのに、受精卵ができなかったこと、急に手術が必要と言われたことに非常にショックを受け、さらに職場の上司より不妊治療について心ない言葉を浴びせられ、身体的にも精神的にも人生最大のどん底でした。
そんな中、卵管水腫の手術も本当に必要なのか疑問で、セカンドオピニオンを求めて、すがる気持ちで浅田LC(以下、浅田とする)の門を叩きました。浅田の初診時、卵管水腫の原因や、手術の必要性について非常に丁寧に教えてもらい、手術不要と言ってもらえたことで、本当に安心でき、次の治療に臨む意欲が湧いたのを、今でもはっきり覚えています。また、前医での治療についても丁寧に把握した上で、浅田での治療方針を立てていただけました。
その後、恥ずかしいなと思いながらも、初歩的な質問やズレた質問もたくさんしましたが、医師の先生方や看護師さん、事務の方まで皆さん嫌な顔ひとつせず、親切丁寧に対応してくださり、本当に安心できましたし、信頼できました。妊活を始めてから、お腹の大きい妊婦さんやマタニティマークをつけた人を見かけたり、芸能人の妊娠や出産の報告を目にするたびに、落ち込んだり、妬んだり、嫌な気持ちになっていました。でも、浅田で治療を始めてから、そのような気持ちはゼロにはなりませんでしたが、妊婦さんを見かけた際、「無事に生まれてきますように」と心の中で祈ることができるようになり、今も実践しています。それは、私が浅田のスタッフの皆さんに、ありのままの自分を受け入れてもらえ、前を向けたからこそ起こった心境の変化だと思います。
仕事から離れ、ストレスが減ったのも大きかったと思いますが、前を向いて治療を再開し、安心して納得して治療に臨むことができ、浅田での初回の体外受精で、受精卵を得られ、無事に出産できました。自宅から浅田まで片道2時間以上かかるのですが、前向きに治療に向かえたため、通うのが楽しくなっていて、卒業するのは少し寂しかったですが、浅田のスタッフの皆さんのおかげで娘を授かることができ、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。2人目も授かれたらなと思っているので、その際はまたお世話になります。
今、治療を頑張っている方へ、辛いことやネガティブになることもあると思います。自分を否定したり、悲観的になってしまう気持ちもよくわかります。でも、ありのままで大丈夫です。浅田のスタッフの皆さんは本当にプロフェッショナルです。自分を信じて、スタッフの皆さんとたくさんコミュニケーションを取って、安心して治療に臨んでください。皆さんの笑顔がたくさん咲くことを心から願いつつ、応援しています。

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2025年02月に出産された患者さまから

掲載日:2025年10月24日

今回の妊娠、出産は、第一子出産時に治療した際の、凍結した受精卵を移植しました。もともと生理不順があり子宮筋腫を摘出後、検査をしたところ多嚢胞だと分かり、治療を開始しました。タイミング法2回、人工授精2回→体外受精へのステップアップだったかと思います。どこかできっと体外受精をしてみなければ妊娠できないような気がしていたので、自己注射などの怖さはずっとあったのですが、少しでも若いうちの可能性に賭けたいと思い、人工授精からは早めにステップアップしました。
ステップアップのタイミングも早く、どの先生にあたっても、淡々と、でも丁寧に対応してくれるので、いろいろと考えすぎてしまう私には結果的によかったと思います。ストレスがかかるとすぐに生理不順になったりと直結しがちなので、少しでも暗く考えたくなく、習い事に行くような気持ちで、少しでも気楽に気楽にと思いながら通っていました。そうするためにも、ここで頑張ると決めたのだからと、クリニックの先生方と、なにより自分の身体の可能性を信じて疑わない、疑ったらやめにする、とだけは密かに決めていました。
結果的に、1回の採卵で、5つの卵子をと、決して卵子は多くはありませんでしたが、そのうち4つ胚盤胞として凍結することができました。そして1人目も、2人目もこの時の受精卵で、どちらも2回目の移植で、無事に出産までたどり着くことができました。グレードの確認や、知りたいことなど沢山出てくると思いますが、私はなるべく不妊治療に関してはSNSは見ない、先生にも教えてもらった以上の深い事は聞きませんでした。これがいいのかどうかは性格によると思いますが、世の中は本当かわからない情報で溢れている事、その一つ一つに反応していると、メンタルが想像以上に左右されてしまうこと、大切な項目は先生から必ず知らされているだろうこと、を常に意識し、自分のメンタルをできる限りコントロールできるようにはしていました。
内膜の厚さや卵のグレードごとの妊娠率を夜中に調べてしまうよりも、妊娠検査薬のフライングの線の濃さを調べてみたりするよりも、しっかり睡眠と栄養をとり、好きな音楽を聴き明るく過ごしていた方が子宮は喜ぶと思います。勿論気になってしまってしまう夜も、泣いてしまう日も多々ありました。だからこそ言えますが、何より自分の心と身体の健康を整えて、後はクリニックを信じて通うのが1番の近道だと思います。技術を持ってくださってる方は沢山いても、自分の体を整えておくのは、私にしかできないです。
本当に申し訳ないと思いつつ、友人の妊娠、出産報告を素直に喜べず、距離ができてしまうこともありましたが、当時は何よりも心の平穏を保つことを優先し、クリニックの先生方の技術を信じて治療に通ってよかった、あの時踏み出してよかった、めげずに踏ん張ってよかった、と今では心から思っています。今日がこれからの人生の中で、1番若い日であることは間違い無いので、1人でも多くの方が後悔なく時間を使えるといいなと願っています。

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2025年01月に出産された患者さまから

掲載日:2025年10月17日

妊活を始めた頃は手探りで、勤務地や診察時間をベースに小さなクリニックを選んで苦戦してしまい、結果もなかなか出ず、明日も来てください、という場面が何度もあり、いよいよ有給等も危うくなってくる、でも一生懸命仕事の休みをやりくりしたとてあと何ヶ月で妊娠できるか分からない。そんなストレスで夫ともすれ違い始めたり、治療を辞めようと思ったことがありました。そんな時に浅田レディースクリニックさんに転院し、体外受精2度目で妊娠することができました。
採卵や検査、移植にまつわる来院もほとんどがスケジュール調整が可能で、治療のストレスのほとんどが解消でき、ポジティブに取り組むことができました。また、先生方の説明や対応も親切で、勉強不足のことも、覚悟が足りない部分もありましたが、このクリニックさんだったからこそ、妊娠できたと思っています。感謝してもしたりません。
第二子、第三子もいま保管いただいている凍結胚でお願いしたいと思っています。実際に子供が産まれてみると、想像を遥かに超えて、可愛いし、愛しいし、初めての感情にたくさん出会えます。頑張ってよかったなと本当に思います。治療中は決断にまごつく場面もありましたが、過ぎてみるともっと早く治療を始めて、かつ、このクリニックさんでお願いしたかったなと思っています。このタイミングでなかったら今の息子には会えてないので後悔はしていませんが、まだ始めてない、迷ってる、という方にはそうお伝えしたいです。

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2025年01月に出産された患者さまから

掲載日:2025年10月17日

不妊治療初めて一年くらいで授かりました。会社行きながらの治療は大変でした。指定された日に行かなきゃいけないし家から距離もあるし。なかなか妊娠まで至らなくて苦しい思いをしたんですけど、顕微受精で妊娠判定がでた瞬間はすごい嬉しくて涙が出ました。しかし、2回も流産してしまって絶望的でした。妊娠判定が出ても素直に喜べませんでした。三回目の妊娠判定が出てからも診察のたびに生きてるかなって常に不安がつきまとってた。でも無事で産まれて来てくれて本当に嬉しかったです。
対面した時は涙が出ました。よく頑張ったねって我が子に話しかけました。とにかく愛しいて仕方がない。毎日少しずつ成長してきて最近はよく笑うようになってすごい癒されています。もう本当に宝物です。本当にあなたに出会えて良かったって心から思ってます。不妊治療がんばってきて本当によかったです。もう1人できるか分からないけど、また治療頑張ってみようと思います。

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2025年02月に出産された患者さまから

掲載日:2025年10月10日

浅田レディースクリニックに通って2021年に第一子を出産し、この度第二子を2025年に出産しました。1人目は転院を3度繰り返して、足掛け4年賭けてようやく妊娠出産にこぎつけた為、第二子も時間がかかること覚悟の上での通院でした。凍結していた胚盤胞があった為、案外あっという間に妊娠したりして?という淡い期待もむなしく、凍結胚盤胞すべて移植しても陰性。採卵、移植を新たに繰り返して、結果的に保険適用の6回を使い切るところまでいきました。最後は、自費でPGTAを行い、その中で唯一正常胚だった胚盤胞1つを、一縷の望みで移植して陽性。結果的にその子が今、私の腕の中で眠る娘です。
治療中、忘れられない出来事が2つあります。1つはなかなか2人目を妊娠できず焦っている時に浅田院長の診察にあたり、私が『2人目不妊で2年通っています。1人産んでいるということは、2人目も希望ありますか?』とお聞きしたところ『この病院のやり方で1人すでに出産出来ているということは、やり方が間違っていないということ。方法が合っているわけで、あとは妊娠できる卵かどうかの違いだから、何か変える必要はないと僕は思います』とキッパリ仰られたことです。私はそれを伺って、安心して治療にのぞめました。
2つ目は、看護師さんから『病院を変えようと思ったりはされないですか?メンタルは大丈夫ですか?』と優しく聞かれたことです。なかなか2人目を授かれず、辛いとお話をした際に、2020年からずっと私の通院を見守ってくださっていた信頼できる看護師さんから『この病院に不安や不満はありますか?』という趣旨で尋ねられました。その時に私は自分でも驚くくらい迷いなく『転院の意思は全くありません』と答えました。浅田で妊娠できると信じていましたし、恐らく浅田で無理ならどこの病院に行っても無理だろうと感じていたからです。看護師さんや培養士さんのスキルが本当に高く、私は本当に浅田に通って良かったと思っています。
上の息子は4歳になり、下の娘はまもなく5ヶ月になります。長く長く苦しいトンネルを抜けた先は、想像以上に充実した日々です。日に日に大きくなる重たいお腹、なかなか終わらないつわり、帝王切開後の激痛、寝不足続きの夜間の頻回授乳、イヤイヤ期の魔の2歳、とハッピーばかりではない出来事が、妊娠後沢山ありました。でも、それでも私は毎日幸せです。連日自分のお腹に刺した自己注射、1日に何度も入れる膣錠、お腹に跡がつくエストラーナテープ。仕事と通院とで必死だったあの日々のお陰で、今の私がいます。浅田のお陰で、私は二人の母になれました。もう残りの卵は1つもないため、これで私の治療は終了です。本当にありがとうございました。先生方とスタッフの皆様には感謝してもしきれません。
皆さまのお陰で産まれてきた、この2つの命を大事に大切に愛情を持って育てていきます。本当にありがとうございました。なお、私は顕微授精で37歳と41歳で出産しましたが、2人の子供たちには何の障害もなく、また4歳の上の子は保育園に行っていますが、熱や感染症にほとんどかかったことがなく、滅多に体調を崩さない超健康優良児ということも、最後に付け加えさせて頂きます。

レター

2024年12月に出産された患者さまから

掲載日:2025年10月10日

妊活スタート時は36歳。健康診断では異常もないし、過去に子宮内膜症を患っていたけど調子は良いからすぐ妊娠できるだろうと考えていました。しかし、妊娠のための検査をしたところ、血液型がRh-であることに加え、風疹抗体の数値や甲状腺ホルモンの数値が低かったりと問題が次々と発覚。年齢のことも踏まえ、人工授精からスタートしました。2回行っても授からず、次のステップへの提案をしていただいたときは患者の期待に応えるために先生方が真摯に向き合ってくれると思いました。
次のステップである体外受精・顕微授精中はコーディネーターさんや看護師の方々が丁寧に接してくださいました。温かなサポートをいただきながらでもなかなか授からず、不安や焦りが募るばかり。心がただれる感覚があり、思い切って治療を中断しました。限りある時間とは理解していましたが、この間は夫婦でリフレッシュを意識。治療再開後すぐに授かりましたが、稽留流産と残念な結果になりました。今まで以上に落ち込みましたが、気を取りなおしてラストのつもりで挑んだ2024年春、待望の第一子を妊娠しました。
実は受精卵を戻した日は流産した赤ちゃんの予定日。クリニックの皆さんのご尽力はもちろんですが、出会うことが叶わなかった赤ちゃんが起こしてくれた奇跡のように感じました。妊活中はどうしても肉体的・精神的なストレスが大きくなります。私も不測の事態に戸惑ったり些細なことに敏感になったりと一喜一憂の日々でした。そんな時は自分の機嫌を取ること、労わることを優先してください。
一組でも多くの夫婦に望む未来が訪れますようにお祈りいたします。

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