患者さまからのお手紙
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掲載お手紙数572通 毎週金曜日更新
2025年03月に出産された患者さまから
私はこの子を授かる約1年前に肝炎の偽陽性が出て不妊治療の中断を余儀なくされました。その時はとても凹みましたが、一旦そこでこれは何か意味があるかもしれないと思って一旦お休みしました。そして約1年後もう一度治療を再開したものの、2回着床に至りませんでした。そして3回目でやっと妊娠出産が叶いました。
妊娠に至るまでたくさん妊娠できない経験をしてきましたが、これも天の采配だなぁと思っています。私はなぜか妊娠できるという確信を持っていたので、焦りはあまりありませんでした。きっと、心の底から妊娠できるって信じれば叶うんじゃないかなと思います。でも、採卵や卵を戻す時などはどうしても不安になってしまいますよね。そんな時は私は妊娠した時の事を想像して産まれてくる赤ちゃんと妄想でお話しました。
特に卵を戻す時は、そんな明るい気分で赤ちゃんを意識しているのが大事かなと思いました。実は妊娠しなかった2回は、直前までメール返信や動画みたりして他のことを意識してたのですが、妊娠した3回目は瞑想の動画をききながら、赤ちゃん産まれたらこうだろうなと楽しいきもちでいたんです。良かったら試してみてください♪
2025年03月に出産された患者さまから
この度は無事に出産することができました。本当にありがとうございました。高齢ということもあり、なかなか順調にはいきませんでした。始めた頃は不妊治療をすれば妊娠できると思っていましたが、なかなか妊娠しない中で、仕事や金銭のこともあり、移植しても陰性であることを前提にスケジュールを考えるようになっていました。
いつまで続けようか、いつ辞めようかと毎日考えてました。夫もそんなにつらいなら、病院通うのやめようと言ってくれていました。診察中も何度も泣いてしまいましたが、スタッフの方々から励まして頂き、なんとか続けることができました。通院する中で大切な事は、自分の通っている病院の医師やスタッフの方の言葉を信じることだと思います。そして、分からないことがあれば直接確認することだと思います。
インターネット等が普及する中で今は沢山の情報が入ってきます。浅田さんとは違う方針の病院もあり、沢山の方がいろんな情報を発信しています。私もそんな情報に左右されてしまった事も多々ありました。浅田さんは不妊治療を専門にして、沢山の患者様を経験されている為、先生方も一番良い治療を行ってくれると思います。不妊治療は努力すれば結果が伴うものではありません。もし、まだ始めようか悩まれているなら、少しでも早く始めるといいと思います。
治療中に悩むことがあれば、抱え込まず相談するべきだと思います。浅田さんには相談できる場所もあり、ぜひ利用することをお勧めします。本当にありがとうございました。
2025年01月に出産された患者さまから
私は38歳から妊活を始めるためにすぐ婦人科を受診しました。5ヶ月ほどタイミング法にトライしていましたがうまくいかず、浅田レディースクリニックに相談に行きました。年齢的に早くステップアップしたく、悩むことなく決断できました。
事前検査の段階で多嚢胞性卵巣症候群と子宮筋腫があることがわかり、さらに筋腫の場所が着床に邪魔になる可能性があると言われ...。ただ、もう進むしかないという気持ちでそのまま39歳で採卵し、28個の卵が採れ、5個の受精卵が凍結できました。そして、いざ移植してみるとなかなかうまくいかず着床すらせず。一旦リフレッシュも兼ねて3ヶ月治療を休んで再開した3回目の移植で妊娠し、かなりの早産でしたが40歳で無事2025年1月に出産することができました。
不妊治療は終わりが見えない日々で、精神的にもつらい時期もあると思います。そんな時は一旦立ち止まって、心身ともにリフレッシュしてみてください。考えない時間も必要ですよ。浅田レディースクリニックの方々には大変お世話になりました。ありがとうございました。
2025年03月に出産された患者さまから
私は、2020年に顕微授精した胚を移植して、今回2025年に第2子となる男の子を出産しました。1人目の不妊治療は、1回の胚移植で妊娠出産出来たので、2人目も希望すれば妊娠出産出来ると思ってました。
しかし、第2子出産までは、想像以上に長い道のりでした。1回目の胚移植の判定日は陽性の結果が出て喜んでいましたが、次の週に胎嚢が確認出来ず。さらに次の週、血液検査で下がるはずの数値が上がっていて、その後異所性妊娠である事が判明。
手術をしました。早期に手術出来たので出血も少なく、3ヶ月後には、妊娠可能との事でホッとしたのを覚えています。その後、不妊治療の保険適応などがあり保険での移植実施も、妊娠に至らずその時点で、自費で2回保険で6回移植も妊娠継続出来ず、経済的にも辛くなって来たので、9回目の自費の移植で最後にしようと思いました。9回目の移植は、判定日に陽性を確認。
やっと来てくれたと喜び、2人目の不妊治療を始めた頃1歳半だった第1子も3歳になってました。しかし喜びもつかの間、胎嚢が確認出来ず化学流産との事でした。最後にしようと言っていた移植で、可能性はまだ有ると感じ諦められなくなり、もう一度だけ移植しようと決めました。そして10回目の移植にて、第2子を授かる事が出来ました。今、第2子を抱くことが出来、諦めずに治療を続け良かったなと思います。
2025年03月に出産された患者さまから
1人目の時に地元で不妊治療(体外受精)を受けたことがあるのですが、受付前のベンチに2時間以上待つ上、毎回ホルモン注射を打たなければならず、精神的にもかなり苦痛に感じていました。浅田さんに病院を変えてからは、家からの移動時間こそかかったものの、注射は採卵や採血の時のみで毎回注射することがなく、待ち時間もプライバシーが保たれていてあまりストレスを感じることはありませんでした。
私はここの病院で1人目は運よく1回目の移植で授かることができましたが、2人目は8回移植して内4回流産(いずれも心拍確認前)を経験しました。正直ここまで2人目に苦労することになるとは思っていませんでしたが、何度も諦めずにチャレンジできたのも夫の協力はもちろん、素晴らしい技術を持つ先生方がいるこの病院で治療できたことが大きいと思っています。
先の見えないゴールに不安を感じることも多いと思いますが、1人で全て抱え込むのはなく、旦那さんにも適宜コミュニケーション取りながら夫婦で協力してほしいと思います。
2024年12月に出産された患者さまから
結婚したら、自然と子どもができると思っていました。しかし、そうではありませんでした。私は白黒はっきりさせたい性格なので、はっきりとした理由がわからずもどかしかったです。人工授精から始めましたが、一度も着床しませんでした。医師からステップアップを勧められましたが、現実を受け止められず、人工授精を繰り返し行いました。ようやく決心し、体外受精のできる浅田レディースクリニックに病院を変えました。
仕事をしながらの不妊治療は大変で、勤務の調整が必要なので、職場の上司には相談しました。私は、時間休を取りたかったのですが、上司からは、「途中でいなくなるなら、その日は休みの方がいい」と言われ、そのようにしました。なぜ風邪はどうどうと休めるのに、不妊治療は肩身の狭い思いをしなくてはいけないのか。不妊治療は治療をした人にしかその大変さ、辛さはわからないと思いました。なかなか「不妊治療してる?」とは聞きづらく、上司以外には誰にも話せませんでした。
ある日、職場の人が同じクリニックで治療をしていることがわかりました。たまたま話しているのを聞いたのです。思わず、自分も治療をしていることを話すと、共感することが多く、前より親しくなれました。「テープ痒いよね。皮膚ズタボロだよね。」辛いことも笑いながら話せていました。その人が妊娠し、不要になったテープを譲ってくれました。想いも譲られたようで、お守りのようでした。保険適応の6回をとっくに越えていたので、とても助かりました。おめでとうと思うけれど、うらやましくてしょうがなかったです。
待合室でお子さんを連れてきている人を見ると、「子どもがいるのにまだ欲しいの?ぜいたくよ。」「子どもが欲しくて通院している人がいるのに子どもなんて連れて来るなよ」そう思うことがありました。そんな自分が嫌になりました。2回流産しました。自覚のないまま妊娠し流産する。手術の後は涙が出ました。不妊治療はやめ時がわからず、ギャンブルのようでした。35歳まででやめようと思っていました。ぎりぎり34歳で妊娠・出産することができました。流産したことがあるので、周りにはなかなか妊娠の報告ができませんでした。
妊娠すると幸せいっぱいなのかと思っていましたが、生まれるまで安心なんてできませんでした。妊娠中に安定期なんてありません。生まれた子はかわいくてかわいくて。治療は辛かったけれどやってよかった。この子に会えてよかったと思いました。
2025年01月に出産された患者さまから
40歳でこちらに転院し、1回目の体外受精で初めての陽性反応から妊娠、母子共に病気等なく、無事元気に出産することが出来ました。転院前の採卵では、平均で5個前後の実績であったのに、こちらでは10個採れたとのことで、最初は望みがないものも含めて盛って報告されたのかもしれないと、とても信じられませんでした。
3年以上の治療で転院は2回(相談のみを含めたら4回)、体外受精と顕微受精を合わせて4回して一度も実りませんでしたが、とても腕の良い先生なのだと思います。当時通っていたクリニックでは2年以上もお世話になっていたので転院は悩みましたが、先に治療で妊娠した友人の勧めもあり浅田さんでお願いして本当に良かったと思っています。
こちらは常に混み合っていますが、フロアが綺麗で広いので他のクリニックの様に待合室で座れずに立って待つ様なことがなく、他の方と出来るだけ顔を合わせない様な椅子の配置になっているので安心して通うことが出来ました。アプリの呼び出し通知も効率的で良かったです。全ての段取りについて動画や案内カードでとても分かりやすく説明があり、相談窓口や、スタッフさん達が常に心情に気を遣ってくださる優しい感じが心強かったです。
ただ、人気で沢山の方がいるだけに中には配慮の無い人もおり、小さい子供を廊下で走らせているのを見ると黒い感情が湧いてきて胸が苦しくなり、呼吸が浅くなりました。治療をした事がある人にしか共感出来ない感情があり、自分が性格が悪い人間なのではないかと落ち込みました。また、治療年数や内容によっても「それくらいで苦労話の様に語らないでほしい」とモヤモヤすることもあります。出来るだけ人との関わりが無いよう事務的に、効率的に、スピーディーに、確実に成果を出して頂けて本当に感謝しかありません。
早く出産した友人から、高齢出産と言われ傷ついたこともありましたが、この年だからこそ金銭的にも気持ち的にも余裕がありますし、よく言われる体力的にも全く問題がありません。散々自分の人生の自由な時間と仕事を謳歌し、治療をしていたからこそ、どれだけ泣き叫ばれても愛おしくてたまらないので、この年齢で何よりも幸せだと感じています。高齢を理由に自分を卑下したり治療することを諦めないでください。まだめちゃくちゃ若いです。
ひとたび不妊治療の場を離れると、「そこのお若い方」と言われる年齢です。アラフォー出産旋風巻き起こしていきましょう。経過報告など全面的に提供させていただきます。本当にありがとうございました。
2025年02月に出産された患者さまから
私はタイミング法が3回連続で妊娠しなかった時に子宮頚がんの結果が中等度異形成になりこのままタイミング法を続けてもいいのか悩んでいました。先生は私たちの心配している気持ちを汲み取ってくださって、早く妊娠できるよう人工授精をスキップして体外受精に進むことを提案してくれました。
費用も変わるし、負担は増えるけど授かれる可能性が高まるならと、体外受精に進み2回目の移植で授かることができました。あの時早く治療を進みたいと思っていた気持ちを汲み取ってくれた先生たちに感謝しております。移植1回目のときに夫の海外赴任が決まったときも残った凍結胚があるから私1人でも不妊治療ができる!と安心しました。その後異形成は陰性になり、夫は先に移住し、妊娠中は1人で過ごすことが多く辛かったですが、元気な女の子を出産しました。
不妊治療というとなかなか話題にもしづらく、クリニックに行くのにも勇気がいることかもしれませんが、迷われている方はまずは検査等で自分の状況を知るだけでも良いかと思います。
2025年02月に出産された患者さまから
結婚当時、私は35歳、主人は43歳で、お互い子どもがほしかったので、結婚後すぐに妊活を始めましたが、なかなか授からず、年齢のことも気になっていたため、半年経った頃に不妊治療専門のクリニックを受診しました。検査では異常はありませんでしたが、なかなか授からず、徐々にステップアップし、体外受精に進みました。
初めての採卵で卵子は採れましたが、受精できたのは数個、凍結できたのは皆無でした。それに加えて、治療の影響で卵管水腫になり、主治医には手術を勧められましたが、そのクリニックでは手術はできないため、詳しいことは紹介先で聞くようにと言われ、質問を受け付けてもらえず、放り出されたような気持ちになり、すごく孤独で、自宅に帰り散々泣きました。
不妊の原因はわからないけれど、体外受精すれば妊娠できると考えていたので、身体は健康で検査に問題はないのに、受精卵ができなかったこと、急に手術が必要と言われたことに非常にショックを受け、さらに職場の上司より不妊治療について心ない言葉を浴びせられ、身体的にも精神的にも人生最大のどん底でした。
そんな中、卵管水腫の手術も本当に必要なのか疑問で、セカンドオピニオンを求めて、すがる気持ちで浅田LC(以下、浅田とする)の門を叩きました。浅田の初診時、卵管水腫の原因や、手術の必要性について非常に丁寧に教えてもらい、手術不要と言ってもらえたことで、本当に安心でき、次の治療に臨む意欲が湧いたのを、今でもはっきり覚えています。また、前医での治療についても丁寧に把握した上で、浅田での治療方針を立てていただけました。
その後、恥ずかしいなと思いながらも、初歩的な質問やズレた質問もたくさんしましたが、医師の先生方や看護師さん、事務の方まで皆さん嫌な顔ひとつせず、親切丁寧に対応してくださり、本当に安心できましたし、信頼できました。妊活を始めてから、お腹の大きい妊婦さんやマタニティマークをつけた人を見かけたり、芸能人の妊娠や出産の報告を目にするたびに、落ち込んだり、妬んだり、嫌な気持ちになっていました。でも、浅田で治療を始めてから、そのような気持ちはゼロにはなりませんでしたが、妊婦さんを見かけた際、「無事に生まれてきますように」と心の中で祈ることができるようになり、今も実践しています。それは、私が浅田のスタッフの皆さんに、ありのままの自分を受け入れてもらえ、前を向けたからこそ起こった心境の変化だと思います。
仕事から離れ、ストレスが減ったのも大きかったと思いますが、前を向いて治療を再開し、安心して納得して治療に臨むことができ、浅田での初回の体外受精で、受精卵を得られ、無事に出産できました。自宅から浅田まで片道2時間以上かかるのですが、前向きに治療に向かえたため、通うのが楽しくなっていて、卒業するのは少し寂しかったですが、浅田のスタッフの皆さんのおかげで娘を授かることができ、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。2人目も授かれたらなと思っているので、その際はまたお世話になります。
今、治療を頑張っている方へ、辛いことやネガティブになることもあると思います。自分を否定したり、悲観的になってしまう気持ちもよくわかります。でも、ありのままで大丈夫です。浅田のスタッフの皆さんは本当にプロフェッショナルです。自分を信じて、スタッフの皆さんとたくさんコミュニケーションを取って、安心して治療に臨んでください。皆さんの笑顔がたくさん咲くことを心から願いつつ、応援しています。
2025年02月に出産された患者さまから
今回の妊娠、出産は、第一子出産時に治療した際の、凍結した受精卵を移植しました。もともと生理不順があり子宮筋腫を摘出後、検査をしたところ多嚢胞だと分かり、治療を開始しました。タイミング法2回、人工授精2回→体外受精へのステップアップだったかと思います。どこかできっと体外受精をしてみなければ妊娠できないような気がしていたので、自己注射などの怖さはずっとあったのですが、少しでも若いうちの可能性に賭けたいと思い、人工授精からは早めにステップアップしました。
ステップアップのタイミングも早く、どの先生にあたっても、淡々と、でも丁寧に対応してくれるので、いろいろと考えすぎてしまう私には結果的によかったと思います。ストレスがかかるとすぐに生理不順になったりと直結しがちなので、少しでも暗く考えたくなく、習い事に行くような気持ちで、少しでも気楽に気楽にと思いながら通っていました。そうするためにも、ここで頑張ると決めたのだからと、クリニックの先生方と、なにより自分の身体の可能性を信じて疑わない、疑ったらやめにする、とだけは密かに決めていました。
結果的に、1回の採卵で、5つの卵子をと、決して卵子は多くはありませんでしたが、そのうち4つ胚盤胞として凍結することができました。そして1人目も、2人目もこの時の受精卵で、どちらも2回目の移植で、無事に出産までたどり着くことができました。グレードの確認や、知りたいことなど沢山出てくると思いますが、私はなるべく不妊治療に関してはSNSは見ない、先生にも教えてもらった以上の深い事は聞きませんでした。これがいいのかどうかは性格によると思いますが、世の中は本当かわからない情報で溢れている事、その一つ一つに反応していると、メンタルが想像以上に左右されてしまうこと、大切な項目は先生から必ず知らされているだろうこと、を常に意識し、自分のメンタルをできる限りコントロールできるようにはしていました。
内膜の厚さや卵のグレードごとの妊娠率を夜中に調べてしまうよりも、妊娠検査薬のフライングの線の濃さを調べてみたりするよりも、しっかり睡眠と栄養をとり、好きな音楽を聴き明るく過ごしていた方が子宮は喜ぶと思います。勿論気になってしまってしまう夜も、泣いてしまう日も多々ありました。だからこそ言えますが、何より自分の心と身体の健康を整えて、後はクリニックを信じて通うのが1番の近道だと思います。技術を持ってくださってる方は沢山いても、自分の体を整えておくのは、私にしかできないです。
本当に申し訳ないと思いつつ、友人の妊娠、出産報告を素直に喜べず、距離ができてしまうこともありましたが、当時は何よりも心の平穏を保つことを優先し、クリニックの先生方の技術を信じて治療に通ってよかった、あの時踏み出してよかった、めげずに踏ん張ってよかった、と今では心から思っています。今日がこれからの人生の中で、1番若い日であることは間違い無いので、1人でも多くの方が後悔なく時間を使えるといいなと願っています。
