患者さまからのお手紙

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2017年2月に出産された患者さまから

掲載日:2018年12月28日
浅田レディースクリニックのもと、不妊治療をして無事、息子を授かることができました。今、息子は満5ヶ月を迎え、日々賑やかで幸せな日々を過ごしています。不妊治療をするまでは、息子を授かることができて、こんな幸せな日々を過ごせる日がくるとは夢にも思っていませんでした。体外受精をすると決めたのは29歳の時でした。それまでに、タイミング法、人工授精を行ってきましたが、妊娠には至らず、その次のステップである体外受精に進むまでは夫婦の中でも覚悟がいり、なかなか踏み切れずにいました。まだギリギリ20代だし、このまま待っていたら自然妊娠でも妊娠できるかもしれない、とどこかで思っていたからです。
しかし、結婚してからずっと、今月こそは妊娠できたかもしれない、今月こそは...と、期待しては生理が来て落ち込む、という日々を何回も何回も繰り返し、これ以上先の見えない日々を過ごすのは嫌だ!と思い、先生方を信じてステップアップしました。結果、幸運にも、1回目の胚移植で妊娠することができました。本当に幸運だったと思います。体外受精の結果、今の愛しい息子に出会えたかと思うと、あの時体外受精にステップアップして本当に良かったと思っています。今の息子に出会えたのも、紛れもなく浅田レディースクリニックの先生方のおかげであり、その結果のいのちの巡り合わせだと思うからです。浅田レディースクリニックの先生たちはとても治療に真摯に向かい合ってくださり、どんな些細な不安でも解消しながら進めてくださりました。それが、治療を進めていく上でも頑張ろう、という気持ちに繋がり、辛い治療も続けてこれたのだと思います。浅田レディースクリニックの皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。
妊娠するまでは、いつ妊娠できるのだろう、と先の見えないトンネルの中で不安の気持ちでいっぱいになりますが、そんな時、浅田レディースクリニックの先生方は大きな力を貸してくださって、全力でサポートしてくださいます。私たち夫婦も、また2人目の子供を授かれるよう、浅田レディースクリニックの先生方のお力をおかりしたいと思っています。妊娠をのぞむ女性みなさんに幸せが訪れますよう、心より願っています。
レター

2017年2月に出産された患者さまから

掲載日:2018年12月28日
友達2名の紹介で浅田クリニックさんで治療をお願いしてみようと決意をしました。主人が糖尿病だった為、(かかりつけの内科医より授かりにくいかもしれません。と言われたことがありましたので)授からない覚悟でのお願いだったのですが初診受診前説明会の際 浅田医院長より「病気は全く関係ない。」とはっきり教えてくださいました。私はもう授からないかもしれない。と思っていたため、その言葉にどれだけ救われたか忘れられません。
治療に入り、初めてのAIHにてなんと妊娠をすることができました。が、しかし途中で心拍が止まってしまい流産という形になってしまいました。その後も何度かAIHを行いましたがなかなか授からず、また 主人の精子もゼロという時もあり 先生の助言でなくなくステップアップにて体外受精へ切り替え治療を行いました。初めてのAIHにて授かっていたこともあり、正直 ステップアップする決断がなかなかできませんでした。体外授精に切り替え採卵を行うも、卵子ちゃんが3つしか採ることができず 顕微授精となりました。3つのうち2つが受精卵となり、1回目のお迎えにて妊娠することができず最後の受精卵のお迎えにて妊娠することができました。一度流産を経験しているので少しの異常でも敏感になっていましたが、無事4050gの大きな大きな女の子が私たち夫婦の元にやってきてくれました。今のところ、どこも異常無く元気にすくすく成長してくれています。「糖尿病は関係ない。」の言葉を信じ、先生方に助けていただき本当に良かったです。ありがとうございました。
レター

2017年1月に出産された患者さまから

掲載日:2018年12月21日
1回目の採卵で3回移植しましたが、いずれも妊娠には至りませんでした。ただ、2回目の移植で結果的には化学的流産となりましたが、自分は着床すら出来ないのかと思い悩んでいましたので、着床出来るんだと命をかけて教えてくれた、この受精卵(子ども)が大変愛おしい気持ちになり、今でも時々、思い出しています。3回の移植の後、半年ほど治療を休みました。夫婦でお互いの気持ちを話し合い、治療を再開し、2回目の採卵・4回目の移植で妊娠・出産に至りました。4回目は、妊娠結果を検査薬で事前に調べたりせず、大きな気持ちで過ごすことが出来、クリニックで検査薬の結果を見せていただいた際には、びっくりして、泣いてしまいました。
その後、クリニック卒業まで2回ほど出血があり、ヒヤヒヤしましたが、無事、クリニック卒業となりました。つわりは、軽めとはいえ2か月ほどあり、ようやくに楽になるなぁと喜んだのもつかの間、今度は、胎盤が下の方にあると言われ、その後、出産まで胎盤が上がることなく、いわゆる「全前置胎盤」でした。安静に過ごし、お陰様で何とか出産まで出血することなく、出産の少し前に管理入院し、帝王切開での出産となりました。出血があったら即緊急の帝王切開と言われたり、赤ちゃんが週数が少なく、小さく生まれてしまったらなど、色々心配しましたが、家族をはじめ、たくさんの方々のお世話になって、無事に元気で生まれてきてくれました。我が子は本当にかわいくて、大きな大きな幸せを運んできてくれました。それを叶えてくださった浅田レディースクリニックの皆様方には、感謝の思いでいっぱいです。まだ凍結していただいている受精卵がありますので、迎えにいけたらいいなと思っています。その際は、また宜しくお願いいたします。現在、治療をされている方、晴れない気持ちの日もあると思いますが、何とか自分を盛り立てて前向きに頑張られていることと思います。浅田クリニックの皆さんを信じて、自己注射が辛い時は、クリニックに通うことに切り替えながら、時には休憩しながら。。(私は半年も費やしてしまいましたが)クリニックの皆様、本当にお世話になり、ありがとうございました。1回目の採卵で3回移植しましたが、いずれも妊娠には至りませんでした。ただ、2回目の移植で結果的には化学的流産となりましたが、自分は着床すら出来ないのかと思い悩んでいましたので、着床出来るんだと命をかけて教えてくれた、この受精卵(子ども)が大変愛おしい気持ちになり、今でも時々、思い出しています。3回の移植の後、半年ほど治療を休みました。夫婦でお互いの気持ちを話し合い、治療を再開し、2回目の採卵・4回目の移植で妊娠・出産に至りました。4回目は、妊娠結果を検査薬で事前に調べたりせず、大きな気持ちで過ごすことが出来、クリニックで検査薬の結果を見せていただいた際には、びっくりして、泣いてしまいました。その後、クリニック卒業まで2回ほど出血があり、ヒヤヒヤしましたが、無事、クリニック卒業となりました。つわりは、軽めとはいえ2か月ほどあり、ようやくに楽になるなぁと喜んだのもつかの間、今度は、胎盤が下の方にあると言われ、その後、出産まで胎盤が上がることなく、いわゆる「全前置胎盤」でした。安静に過ごし、お陰様で何とか出産まで出血することなく、出産の少し前に管理入院し、帝王切開での出産となりました。出血があったら即緊急の帝王切開と言われたり、赤ちゃんが週数が少なく、小さく生まれてしまったらなど、色々心配しましたが、家族をはじめ、たくさんの方々のお世話になって、無事に元気で生まれてきてくれました。我が子は本当にかわいくて、大きな大きな幸せを運んできてくれました。それを叶えてくださった浅田レディースクリニックの皆様方には、感謝の思いでいっぱいです。まだ凍結していただいている受精卵がありますので、迎えにいけたらいいなと思っています。その際は、また宜しくお願いいたします。現在、治療をされている方、晴れない気持ちの日もあると思いますが、何とか自分を盛り立てて前向きに頑張られていることと思います。浅田クリニックの皆さんを信じて、自己注射が辛い時は、クリニックに通うことに切り替えながら、時には休憩しながら。。(私は半年も費やしてしまいましたが)クリニックの皆様、本当にお世話になり、ありがとうございました。
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2016年11月に出産された患者さまから

掲載日:2018年12月21日
39歳で不妊治療を始め、ICSIを4回試みましたがいずれも妊娠には至りませんでした。年齢的に難しいのかも・・・と一度は諦めたのですが、仕事の都合で愛知県に来ることになり、こちらのクリニックの評判を聞いて「これで最後にしよう」と思い、通うことを決心しました。
すると初診からわずか3か月目に、一回目の移植で双子を授かることができました。過去に妊娠判定で何度も涙を流していたので、こちらで陽性反応を告げられた時には嬉しくて嬉しくて、また信じられない思いでもありました。その後クリニックへ通う度に、せっかく授かった命を失ってやしないかとビクビクし、エコーで胎児の元気な様子を見せて頂いてホッとする、ということの繰り返しだったと思います。無事に卒業できた時にやっと妊婦になれたという実感を得ることができました。その時点で、人生の中で一番幸せを感じた瞬間と言って差し支えないと思います。
私は妊娠成立から卒業までの間、ずっと院長先生に診察して頂いていたのですが、最後の診察の時に「双子ちゃんは大変だから、家族や親戚みんな巻き込んで手伝ってもらいながら頑張って下さい」というような趣旨のことを言って下さいました。そのお言葉がとても嬉しく、これからが本当に大変な日々の始まりなんだな、と実感したと同時に、そのスタート地点にすら立つことのできなかった私をここまで導いて下さった先生やスタッフの皆様に感謝の気持ちでいっぱいになりました。現在は双子の息子達に振り回される毎日です。
ですが、あの先の見えない治療の日々を経て授かった我が子はとんでもなく愛おしく、不思議なもので疲れていても子供の笑顔で元気になれます。自然に授かっていたのなら、ここまで心穏やかに子供に向き合うことができなかったかもしれません。私にとっては必要な治療だったのだと思っています。浅田先生をはじめすべてのスタッフの皆様、本当にお世話になり、ありがとうございました。現在通院されている皆様、辛い治療を乗り越えた先に輝く命を授かることができますよう、心よりお祈り申し上げます。
レター

2016年11月に出産された患者さまから

掲載日:2018年12月14日
通院中、院内のパソコンで涙をこらえて体験談を見ていたのを思い出します。辛い治療中、何度も励まされたので私も書きたいと思います。私は結婚したら当たり前に子供は授かれるものだと思っていました。風邪もめったにひかないぐらいの健康体でしたし、生理も安定していたので何も心配していませんでした。しかし赤ちゃんはなかなか来てくれず...周りの妊娠報告を素直におめでとうと思えなかったり自己嫌悪になる時期もありました。覚悟を決めて不妊科に通院を始めました。
他院でタイミング法、人工受精をしましたが結果は出ず...私達夫婦はお互いに問題がなく、特に原因のない不妊でした。どうせ次の段階へいくなら少しでも確率の高い医院へと思い浅田レディースクリニックへ転院しました。正直、通院は経済的にも体力的にも精神的にも辛いものでした。仕事をしながらの通院は大変でした。そして採卵期の毎回の採血や内診、それに加えて自己注射が始まり何度も心が折れました。注射自体はそんなに痛くないのに自分で打つという恐怖。注射を頑張ったのに採卵、受精結果が思っていたよりうまくいかなかったり...不妊治療に対する主人との気持ちのすれ違い...何度涙したかわかりません。そして2回の採卵、3回目の移植でついに妊娠。ここまでの道のり約2年。しかし流産してしまいました。本当に辛かったです。いくら頑張ってもいくらお金かけても報われない不妊治療...神様なんていないと思いました。夫婦二人で過ごしていくことも考え始めました。精神的にボロボロになった私を心配して、主人や家族から治療を少し休むように言われた矢先、なんと妊娠が発覚したのです!!私の場合、直接の治療でではありませんでしたが、ここまでの治療があったからこそ授かれたのだと思っています。治療は大変でしたが、信頼できる先生方、親切な看護師さんや受付の方のおかげで頑張って通うことができました。不妊治療は実際に経験した人にしかわからない大変さや苦しみがあります。私の経験が少しでも皆さんの励ましになったらいいなと思います。みなさんの元へもかわいい赤ちゃんが訪れることを願っています。そして浅田先生はじめスタッフのみなさん本当にありがとうございました。
レター

2017年12月に出産された患者さまから

掲載日:2018年12月14日
子宮内膜症のため、自然妊娠は難しいと分かり、不妊治療を始めたのが32歳の頃でした。浅田レディースさんにお世話になる前の病院では、採卵2回、移植5回を行うも流産を一度経験し、その後妊娠には至りませんでした。AMHも過去に卵巣嚢腫を手術した影響もあり大変低く、採卵数も2~3個でした。高校教師という仕事と不妊治療を両立していくことの難しさもあり、前の病院での胚盤胞が無くなった時点で、子どもを持つことなど奇跡に近いな・・・と諦めかけていました。
そんな時、同じく不妊に悩む友人からの誘いで浅田院長の講演会に参加させていただきました。自信と誇りを持って高度医療を行われている院長先生のお考えに感銘を受け、迷わず転院を決めました。転院してからは、医療技術の高さに驚きの連続でした。超低AMHの私でも一度の採卵で11個、そのうち9つを胚盤胞として凍結保存できたこと、前病院では採卵の際、麻酔から覚めた時、嘔吐を繰り返しましたが、浅田さんの麻酔ではそれが一切無く、気持ちよく目覚めれたこと、自己注射の仕方も看護師さんが付き添い、励まして頂きながら練習できたので、スムーズに行え、通院回数が減ったことで、仕事との両立ができたこと・・・などなど挙げればきりがないくらいです。浅田レディースクリニックの先生方には大変お世話になりましたが、中でも羽柴先生のお陰で私達夫婦は子どもを授かることができました。問診の際に、前病院ではカテーテルが通りづらく移殖に時間がかかっていたことを話すと、それを踏まえた上で最善の移殖方法を丁寧に説明してくださいました。移殖当日も羽柴先生が担当してくださり、あっという間に移殖を終えてくださいました。技術の高さはもちろんですが、移殖後に先生が私の手を取ってくださり、「もう終わりましたよ、痛くなかったでしょ、よかったね。」と優しく声をかけてくださったことには、本当に感動しました。不妊治療は、精神的にも肉体的にも辛く心がすさんでいく自分を感じたこともありましたが、技術だけでなく心の優しい先生に出会えたことで、精神的に安らげ、心温まるような・・・そんな瞬間でした。その初めての移殖で妊娠することができ、現在生後5か月の娘が隣ですやすやと寝息をたてています。妊娠中の発育もよく、出産後も健康に育ってくれています。こんな日が来ることは私にとっては奇跡以外他ありません。育児は本当に大変ですが、苦労して授かった分、そして羽柴先生のような素晴らしい先生に助けていただいた分、より一層我が子を愛おしく感じ、大切に育てていこうと思います。私達夫婦に奇跡のような幸せを配達してくださり、本当にありがとうございました。
レター

2016年6月に出産された患者さまから

掲載日:2018年12月 7日
私は流産を繰り返し、他の病院で治療をしていたのですが成果がなく転院を考えた時に浅田クリニックさんを知りました。結婚してから10年目でした。それまでの私は、今思うととても疲れていました。いろんなジンクスを信じてみたり、試してみたり...この食品がいいと言われれば食べ、旅行の時には子授け神社に必ず寄ったりもしました。(旅行は旅行で気分転換にもなっていたのですが)子供をあきらめた時に妊娠したという話を聞けば、私は欲しい欲しいと思いすぎてるから授からないんじゃないかと思ったりもしました。でも、色々考えてしまうのは、今治療をされている方や迷っている方も同じなんじゃないかなと思います。私は浅田クリニックさんに出会って、子供を授かることが出来ました。大切なのはジンクスや思いではなく、適切な治療だったんだと改めて思います。そして、浅田クリニックさんはその適切は治療を受けることができる病院です。今は子育てに、忙しく楽しい日々を送っています。そんな幸せを得る機会を与えてくれた浅田クリニックさんにはとても感謝しています。本当に出会えてよかったです。ありがとうございました。
レター

2017年1月に出産された患者さまから

掲載日:2018年12月 7日
なかなか妊娠することができなくて悩んでいました。浅田レヂィースクリニックの前に2年近く通っていた病院で不妊検査、タイミング、人工授精、胚盤胞移植を二回行うも妊娠には至らず。主治医もなんでかぁ?と首をかしげるばかり・・・頑張っても頑張っても私は妊娠できないのか・・・と落ち込みながらも、この手に我が子を抱く日を夢見ていました。不妊治療で実績のある "浅田レディースクリニックでダメだったら、子どもは諦めよう"そう決めて説明会に参加しました。
そこで浅田先生の『不妊治療は長くするものではない』、『不妊で悩む時間を子育てに使って欲しい』中でも、『頑張らなくていい、真っ当に生きてきたんだから、あとは任せて』というようなことを言われ、頑張っても頑張っても結果が出なくて凝り固まっていた私の心がすーっと晴れていくのを感じました。一回目の凍結胚盤胞移植で陽性反応が出ましたが、胎嚢が確認できず、化学流産となり、ショックでしたが、私でも妊娠できるんだ!と嬉しい気持ちもありました。二回目の凍結胚盤胞移植で再び陽性反応が出て、その子が今5ヶ月になり、私の隣ですやすや眠っています。
妊娠中も切迫流産や切迫早産で自宅安静、入退院を繰り返し、思い描いていたマタニティライフとは程遠いものでしたが、やっと私のお腹にきてくれた我が子を絶対に手放したくないという思いで、ひたすら安静にしました。生まれたての我が子を抱いた時、不妊で悩んでいたこと、妊娠中の動けないストレス、一気に吹っ飛んで、生まれてきてくれてありがとうと涙が出ました。できない時期はすぐに妊娠できる人が羨ましく、どす黒い感情が湧きあがって、そんな自分に自己嫌悪していました。でもその期間があったから、自分と同じ様に見えないところで悩んで苦しんでいる人がいる、日常生活で配慮できる様になりました。でもそれは私が妊娠、出産を経験することができたからであって、まだ不妊治療を続けていたら、そんな気持ちにはなれていないと思います。だから、浅田レヂィースクリニックの先生やスタッフの方には本当に感謝しております。不妊に悩む一人でも多くの方に可愛い赤ちゃんが授かります様に・・・
レター

2017年1月に出産された患者さまから

掲載日:2018年12月 1日
38歳で不妊治療を始めましたが一向に妊娠にいたらず、体外受精ならここで行いたい!との思いから39歳にて浅田LCへ転院しました。こちらでは先生はもちろん、看護師さんや培養士さん、受付の方まで皆さん親切丁寧ですし、妊娠することを全力でサポートしようとして下さる気持ちの強さをとても感じることができたので、それだけでもかなりの安心感がありました。しかも体外受精を決めて転院したにもかかわらず、人工授精にもまだチャレンジしたい!という私の気持ちにも寄り添ってくださり、AMHの数値もよかったのでいきなり体外受精するのではなく私がきちんと納得してから体外への治療を開始して下さいました。
採卵では1回目で14個の受精卵を得ることができましたが胚盤胞になりにくい体質なのか8個培養するものの2個しか胚盤胞にはなってくれず、1回目の移植では胚盤胞を移植し妊娠判定が出るも化学流産となってしまいました。2回目の移植の前に私がナーバスになってしまった時には、先生に気持ちが一番大切だからとその周期は移植を見送ってくださったりと、とにかく私の気持ちを一番に優先して下さる心遣いがとてもありがたかったです。そのおかげもあってか2回目の移植では気持ちも落ち着いており初期胚2個移植により無事に妊娠し、大きなトラブルもなく40歳にて元気な赤ちゃんを出産することができました。高齢にもかかわらず転院してわずか8ヶ月で妊娠できたのも浅田LCの皆さまの高い技術力と知識、そして絶対に妊娠させてみせる!という強い想いから伝わってくる安心感のおかげだと思っております。もしいま体外受精へのステップアップに悩んでいらっしゃる方がいましたら、浅田LCの力を信じて少しでも早くその一歩を踏み出してみてください。きっとかけがえのない大切な宝物に出会えると思います。
レター

2017年1月に出産された患者さまから

掲載日:2018年12月 1日
私は結婚してすぐ妊娠したものの初期流産し、その後1年間妊娠することはありませんでした。始めは軽い気持ちで検査だけでも受けてみようかなと思い他院で検査を受けると、31歳でAMHが0.9と極端に低い事が分かり、自分はこのまま子供を授かれないのではないかと思い悩む日々でした。そんな時、インターネットで浅田レディースクリニックを知り、実際に浅田先生にお会いして、この先生のもとで治療をしたい!ここでダメなら納得が行くと考え、こちらの病院に転院しました。浅田レディースクリニックでの治療は採卵5回、移植7回目でやっと卒業でき、待望のわが子に出会う事が出来ました。途中何度もあきらめようかと考えましたが、先生方の言葉に救われ、何とか諦めず前を向いて頑張ることができました。先生方や看護師さんの励ましがあったからこそ、治療を続けこの子に出会うことができと感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。浅田レディ―スクリニックで治療した2年間、本当に苦しい日々でしたが、その日々があったからころ命の尊さを実感し、何気ない毎日に感謝をして過ごす日々がおくれるようになったと感じます。今治療されている皆様にも、良い結果が訪れるよう願っています。
レター

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