患者さまからのお手紙

掲載お手紙数999通  毎週金曜日更新
1000通を超えたため新しいページに移動しました。

2014年7月に出産された患者さまから

掲載日:2015年10月30日
これから治療を始められる方、どうしようか迷っている方、先生方を信じ一日でも早く治療を始めてください。そして現在治療されている方、妊娠してほしいという希望と、もしかしてダメかも・・・という二つの気持ちをバランスよく持っていて下さい。
 私は、一人目41歳二人目45歳で出産しました。二人とも浅田LCでお世話になりました。33歳で結婚してしばらくは二人で趣味や旅行を楽しみました。このころは、ほしくなればすぐ妊娠するものと思っていました。でも全然妊娠しないし、気がつけば年齢は38歳。ようやく治療に踏み切りました。
 最初の病院では、子宮内膜症と左の卵管が閉じ癒着していたものを腹腔鏡手術で治療しましたが妊娠しませんでした。浅田LCに通いだしたのは40歳になってからです。偶然テレビで見た夜、家族にどうしても通いたいからと説得し、説明会の予約をとりました。一人目は、二度目の移植で妊娠し、無事41歳で男の子を普通分娩で出産することができました。年齢的にも一人が限界かな・・・と思っていましたが、出産から半年後に生理がきたので、いてもたってもいられずまた浅田LCに通おうと決めました。でも二度目の妊娠はそう簡単にはいかず、何度も採卵・移植を繰り返しました。一度は妊娠反応で陽性が出ましたが、心音を聞くこともなく流産。43歳だし、このまま治療を続けていって妊娠できるのか、治療はここまでにしたほうがいいのかと悩みました。でも、妊娠できたんだからもう少しだけ・・・と思い治療を続けることにしました。この時44歳目前だったので、あと1年間にしようと決めました。
 最後の移植を迎える時は45歳目前。これがダメなら卒業と決めていました。そしたらなんと陽性反応が・・・家族は喜びましたが、私は過度な期待はせず、たぶんダメだろうなという思いを大きく持っていました。また流産した時の思いを繰り返したくなかったからです。45歳にして普通分娩で二人目、男の子を分娩室に入ってからわずか15分で産むことができました。
 長くなってしまいましたが、どうかみなさん、妊娠=幸せですが、幸せは妊娠だけではありません。妊娠することだけにこだわらず、いつも気持ちの中に逃げ道を作っておいてあげて下さい。でないと、不妊治療も辛いだけのものになってしまいます。ひとりでも多くの方のところに、こうのとりが幸せを運んでくれますように・・・
レター

2014年8月に出産された患者さまから

掲載日:2015年10月30日
浅田先生、クリニックの皆様、昨年は大変お世話になりました。授けて頂いた我が子を8月に無事抱く事ができました。私は結婚する前から子供がとても欲しかったので33歳の結婚と同時に不妊専門の病院へ通うことにしました。検査では異常がみつからなかったので病院に通ってさえいればすぐにできると思ってました。
 タイミングを始めて約半年、ふとテレビを見ていると浅田先生がAMHについて話をしてました。通っていた病院でもAMHの検査ができたのでやってみると、結果は40歳越えの卵巣年齢。結果をみてとても焦りすぐに体外受精へとステップアップしました。しかし、採卵を2度やっても採れるのは変性卵ばかりで成熟卵は1つのみでした。そして新鮮胚移植をやりましたが着床には至らず。そこの病院はお値段は優しかったんですが、刺激方法は1種類で安いからといってだらだらと続けていても結果につながらなければ結局は同じ事になるしどの患者にも同じやり方ではなく自分に合った採卵をやってほしいと思うようになり浅田レディースクリニックのHPを見てみると私の望む結果が期待できる内容になっていてすぐにでも転院したいと思いました。
 そこですぐに説明会の予約をとり初診をうけました。再度測ったAMHは更に下がっていて0.4。その数値では高刺激では無く低刺激になると言われ絶望してましたが羽柴先生に大丈夫!大丈夫!と言ってもらい、そこから採卵2回、移植2回、初診から半年で今隣にいる娘を授けてもらう事ができました。前の病院と同じ低刺激でしたが変性卵は全然ありませんでした。あの時テレビで浅田先生を見たのも運命を感じますしAMHの話を聞く事ができて本当によかった。
 今通院を悩まれてる方に声を大にして言いたいです。不妊専門病院と言っても技術の差は本当に大きいと思います。私はすぐに浅田レディースクリニックに転院を決めて良かったと思います。今転院を悩んでる方も通院中の方も、赤ちゃんを待ち望んでいるみなさんに1日も早く赤ちゃんが授かる事を祈っています。
 浅田先生をはじめクリニックの皆様本当に有難うございました。また第二子でお世話になる時は宜しくお願いいたします。
レター

2014年6月に出産された患者さまから

掲載日:2015年10月23日
このたび無事に女児を授かることができ、浅田先生をはじめクリニックの皆様に大変感謝しております。他院で6回人工授精をしても子供を授かることができず、体外受精をするかどうか迷っていた時に、テレビで浅田レディースクリニックのことを知りました。長年通っていた病院を変えるのは勇気がいりましたが、今ではもっと早くに浅田レディースクリニックにお世話になっていたらよかったと思っています。
 激戦の初診受診前説明会で何度か満席のため受講できず、心が折れそうになりました。当初、不妊治療に専念するためには仕事を続けていてはいけないのでは....と思っていましたが、説明会で浅田先生が「仕事をしているのは当たり前で、優先順位をかえることができるかです(ちょっと表現が違うかもしれません)」と言われ、仕事と不妊治療を両立しようと決心しました。幸い職場の理解もあり、採卵や胚移植で急なお休みをいただくことになっても快く承諾して頂けたこともありがたかったです。
 初診で受診してから採卵まではあっという間でビックリしました。体外受精をする前は自分で注射するなんて怖いとか、針を刺して卵を採るなんて恐ろしいとか、漠然と不安に思っていました。実際、採卵の周期が始まると考えている暇もなく、いつの間にか自分でお腹を摘まんで注射できるようになり、その頃には大きく育った卵胞が嬉しくて採卵が楽しみになっていました。沢山卵を採取して頂き、高度な技術のおかげで多くの受精卵を授かりました。
 胚移植は、1度目は着床せず、2度目は心拍を確認した翌週に流産となり、これまで順調だっただけにすごく落ち込みました。染色体異常だったため流産になったと分かっていても、始めて着床した子を育ててあげれなかったと思い、今でも悲しくなり涙がでます。次の移植でうまくいかなかったら暫く治療をお休みしようと決めて臨んだ3度目で妊娠、出産することができました。
 2月に初診でお世話になって翌年の6月には我が子を腕にだくことができました。こん日があっという間にくるなんて、本当に感謝です。育児が落ち着いたら二人目を考えているので、またお世話になります。よろしくお願いします。
レター

2014年5月に出産された患者さまから

掲載日:2015年10月23日
始めは別のクリニックに通院していましたが、体外受精なら・・とこちらで御世話になることにしました。前医では「プロラクチンが高い・排卵していない・主人の精子が少ない・体外受精しかない」と言われました。浅田先生の診察では、前医で正常値だった甲状腺ホルモンの採血をもう検査するように言われ・・・結果、異常あり。甲状腺専門病院へ行き、橋本病だと判明。以後、橋本病の治療もしつつ、移植2回目で妊娠、無事に出産しました。
 もしあの時、浅田先生が採血の指示をだしてくださらなかったら、私は自分の病気にも気づかないどろこか、こんなに早く子供を授かることはできなかったと思います。
 妊娠・卒業に至るまでも色んな不安があり、落ち込み、弱音を吐きましたが、スタッフの皆様の明るさ・温かいお言葉に助けられました。今、こうして我が子との時間があるのも浅田レディースクリニックの皆様のおかげだと思っています。本当にありがとうございまいた。
 今、治療中の方や悩んでいる方。同じ境遇でも本人にしかわからない事、沢山あると思います。泣いても笑っても、時には心を空っぽにしてお休みしても良いと思います。皆様に良い光が射しますように。
レター

2014年7月に出産された患者さまから

掲載日:2015年10月16日
37歳で結婚、「さあ今から子どもを作ろう」と夫婦で思っていた矢先にたまたま目にしたテレビ番組でAMH検査が取り上げられており、浅田院長が話をされていたのを目にしたのが私の治療の始まりでした。
 年齢からして妊娠・出産のタイムリミットが迫っているという感覚はあったもののこれまで婦人系で大きな不調を感じたことのなかった私は比較的楽観的に構えていました。しかし卵子の老化、AMH検査、早発閉経、ほぼ初めてその特集で目にし耳にしたそれらの情報が他人事とは思えず、胸騒ぎを覚えてその日のうちに浅田LCを訪れてAMH検査を受けました。戻ってきた結果は0に近い数字。予想以上に厳しい結果に絶望的な気分になり夫と「子どもは難しいかもしれない」と数日間は泣きはらしました。でも、クリニックのHPをくまなく見て「AMHの数値が0でも妊娠している人はたくさんいる。諦めるのは早い。まだ可能性は十分ある」と思い直しました。
 何年も授からずに最後の砦としてこのクリニックを訪れる人も多い中、私たち夫婦は子作りを始めたばかり。正直、いきなり治療を始めるのは早いのではないか、治療などしなくてももしかしたら授かるのではないか、という思いもありました。浅田LCでなくてもまずはもう少し安く治療できる病院で診てもらおうかと考えたりもしました。しかし、院長が一般向けに開かれているセミナーで話を聞いたり、説明会に参加したり、治療経験者の話を聞くなどして情報を集めて勉強し、夫婦で話し合って出した結論は「院長の言葉を信じて、残された時間を大切にするためにも浅田LCで治療する」というものでした。
 初診を受けたのは38歳なってすぐでした。AIHを2回実施しましたが陰性。とにかく時間を最優先にと考えていたのですぐに採卵へと進みました。クロミフェン採卵3回で採れた卵子6個は幸いすべて前核期凍結することができました。移植1回目、2回目は陰性、3度目に胚盤胞2個を移植して陽性となり、2個とも着床していることが分かった時は夫婦で抱き合って喜びました。残念ながらすぐに片方の胎のうが成長を止めてしまいましたが、もう片方は順調に成長してくれて、初診から10ヵ月後に浅田LC卒業となりました。
 成長を続けた受精卵はその後元気な赤ちゃんとなり、39歳で出産。結婚するずっと前からの夢だった母親になることができました。不妊治療はツライ、痛い、心身ともに大きな負担を強いられるとよく聞いていましたが、私は浅田CLでの治療で大きな身体的苦痛を感じたことはありません。陰性の結果が出た時はもちろん落ち込みます。でも、次にまた自分がやるべきことが目の前にあるから長く落ち込んでいる暇はありませんでした。それよりも「まだチャンスはある」という希望のほうが大きかったです。
 院長はじめ先生方の言葉を、このクリニックでの治療を信じていました。そして、看護師さんやスタッフの方々の優しい声掛けや笑顔に本当に救われました。経済的にはもちろん楽ではありませんでしたが、別の病院で先の見えない中で何年も治療を続けることになっていたら、、、と思うとここで1年足らずで子どもを授かり卒業できたのは、結果的に経済的負担も最小限に抑えられたと思っています。あの時たまたまテレビをつけていなかったら、そこで浅田LCの存在を知ることがなかったら、、、まだ赤ちゃんを授かることなく悶々としていたか、もしかするとタイムリミットを迎えて妊娠・出産を諦めざるを得なかったかもしれません。間違いなく、今私の隣ですやすや寝息を立てている愛おしいこのわが子の顔を見ることはなかったでしょう。最短で子どもを授かる方法と信じて思い切って踏み出した道は間違いではなかったと思っています。院長が様々な場所で、女性の妊娠に関する現実を広めようと活動されていたお陰、そして、今現在受けられる最高の治療を受けることがお陰だと感謝しています。
 私の周りには治療を始めるのが遅すぎたり、何年も一つの病院で治療し続けながら結局授かることができず、子どもを持つ夢を叶えられなかった人がたくさんいます。ですから、将来的に子どもを持ちたいと思っている友人や、不妊治療を迷っている友人と妊娠・出産の話になった時は、自分の経験を踏まえて、まずは妊娠やについて正しい知識をきちんと持つことと、AMH検査を受けて自分の体の状態をきちんと把握することをすすめています。私のように晩婚の女性が増えている今、子どもを望む夫婦が手遅れにならないうちに希望を叶えられたらいいと心から願うからです。そして、もし浅田CLでの治療を検討している人がいたら、勇気を持って踏み出してほしいと言いたいです。
 今現在治療をしている方、落ち込むこともあるし精神的に疲れてしまうこともあると思いますが、どうか先生方を信じて頑張って欲しいです。
レター

2014年6月に出産された患者さまから

掲載日:2015年10月16日
私は婦人科の手術を3回、片方の卵巣・卵管しかなくおまけに卵管水腫もあり不安で仕方がなかったです。浅田LCは友人に紹介してもらいどうせ体外受精をするのならここで!と思い少し遠かったのですが通院することを決めました。
 他院の先生には卵管水腫の人はみたことがないといわれショックでしたが浅田LCの先生は移植の前に抜くから大丈夫だよと大したことではないという言い方でほっとしたのを覚えています。さすが全国的にも有名なクリニックだと安心感を感じました。
 片方の卵巣でしたがAMHは思ったより保たれていて、先生からも半年で結果をだしましょうといわれ心強かったです。先生のおっしゃったとおり半年もかからず卒業となりました。1回の採卵、1回の移植で妊娠できました。
 浅田LCのスタッフの方々は素晴らしく嫌な思いをすることなく快適に通院できましたし疑問があるときもきちんと対応していただき安心して通院できました。私は注射が苦手でしたがなんとか自己注射もできました。私も始める前は不安で仕方なかったですが先生方を信用し最短で妊娠することができました。
 迷っている方、現在迷われている方や治療中で先がみえず不安な方、私もあまりいい条件はそろっていなかった方だと思いますが奇跡的に妊娠できました。自分でも体作りなど努力しつつ治療の方は先生方やスタッフの方々を信じて進んでください。
レター

2014年8月に出産された患者さまから

掲載日:2015年10月 9日
結婚して11年目でやっと授かりました。出産時私は40歳、主人は44歳になっていました。妊娠後期に入ったころ、マザークラスに参加ししたんですが、周りをみると、みんな20代~30代前半の若々しい妊婦さんばかり。その時に、改めて40歳で妊娠することが、いかに稀で難しいものなのかということを実感したと同時に、授かった命に心から感謝しました。
 去年の2月、私の39歳の誕生日に、主人に、病院に行ってみたいと初めて相談しました。テレビでなどで年齢が高くなるほど妊娠しにくいと知っていたので、30代最後の1年間治療を受けて、ダメならあきらめようと思ったからでした。幸いAMHの値は年齢よりも、若干いいくらいの数値で、人工授精からのスタートでしたが、3回チャレンジしても妊娠には至らず体外受精へステップアップしました。ステップアップの速さに、少しとまどいましたが、今思えば人工授精をしていた4か月間がもったいなく思えて、最初から体外受精をしていればよかったなと思います。
 3月に治療をスタートして、その年の12月には妊娠していたので、浅田クリニックの技術の高さに驚かされました。11年間できなかったのに...。体外受精は、毎日の注射で卵巣が腫れ、採卵後は水がたまり、2週間ほど辛い思いをしましたが、今思えばよい思い出です。出産、育児は予想していたよりも大変で、体もボロボロですが、娘の笑顔を見ると、いくらでも頑張れるって思えます。
 これから治療を始められる方、現在治療を頑張っている方、自分と先生方を信じて頑張ってください。私の経験が少しでもほかの方のお役に立てばと思います。
レター

2014年7月に出産された患者さまから

掲載日:2015年10月 9日
2014年7月に、第三子になる女の子を出産しました。浅田レディースクリニックで、第二子を授けていただき、2012年6月に出産、その際に凍結しておいた胚盤胞移植1回目での妊娠出産です。
 一人目出産後、5年離れての二人目でしたので、三人目がこんなに早く授かるとは思いもしませんでした。凍結胚盤胞の移植は、とてもスムーズで、通院3回目が移植、判定日、9週になるまでは毎週の通院でした。県、市町村からの補助金を受けて、費用もほとんどかかっていません。
 二人目の時に、浅田レディースクリニックの高い技術には本当に感謝していましたが、今回もこんなに簡単に授かることができていいのかな、と思うほどでした。クリニック卒業までの通院が12月だったということもあり、浅田先生に担当してもらえることが多かったのですが、思っていたより物腰柔らかな印象を受けました。最後の診察の際に、おめでとうございます、と言っていただいた時は、本当にうれしかったです。
 これからも、子どもを望む夫婦にたくさんの笑顔を届けていただけるよう活躍を願っています。
レター

2014年7月に出産された患者さまから

掲載日:2015年10月 3日
浅田レディースクリニックは、私にとって最後の砦でした。当時私は37歳。数年前に男性不妊で地元の有名クリニックで体外受精するも失敗に終わり、ちょうど主人の海外駐在の辞令もあり、子供を諦めて赴任先に帯同することにしました。 でも結局は諦めきれずに、主人に頼み込んで単身帰国して、最後の挑戦にと貴院を選びました。
 検査したところ、私の甲状腺ホルモンが少ない事が分かり、内分泌科で甲状腺ホルモン剤を補充して顕微授精をしました。 浅田レディースクリニックの実力を感じたのは、私のAMHの値が低いにも関わらず、予想以上に多くの質の良い卵子が取れた事です。そのためたくさんの胚盤胞が出来て、移植のチャンスが増えました。 ただ、私はなかなか陽性判定がもらえず、今まで一度も妊娠した事がなかった経験から着床障害ではないかと自分で思っていました。しかし先生方から、着床障害ではなく卵の力で、良い卵に巡り会うまで移植を続ける事が大切と教わりました。その言葉を信じて、4回目の移植でようやく陽性判定がもらい、その子が今私の腕の中に居ます。
 この子の出産のひと月前に、主人もタイミング良く本帰国となり、出産に立ち会うことが出来ました。 私は我が子を抱くまでに、7年かかりました。病院はどこも同じレベルで治療を受けられるわけではありません。ぜひ、経験と技術と実績を持つ先生に巡り会って下さい。私は海外から日本に戻り、さらに実家から他県の浅田レディースクリニックまで通ったかいがありました。
 最後になりましたが、浅田先生を始めスタッフの皆様、本当にありがとうございました。

レター

2014年6月に出産された患者さまから

掲載日:2015年10月 3日
私は2010年に子宮内膜症の手術をして、その後、2つの病院で不妊治療をし、2013年に浅田LCに転院して僅か半年で妊娠することができました。
 他の病院では採卵ができても受精卵まで育たず、私の卵子の質が良くないからだと思っていました。しかし、浅田LCでは、採卵数は変わらなくても受精卵の数が増え、凍結まででき、2回目の移植で妊娠できたので、喜びと同時にびっくりしました。病院によって、こんなに違うとは思いませんでした。
 初めは、自宅から電車で1時間以上かかる浅田LCに通えるか不安もありましたが、通ってみると不安は消え、辛いと思うこともありませんでした。これも、浅田LCの先生を始め看護師の方々が、いつも優しく接してくれたおかげだと思い、本当に感謝しています。ですので、私のように子宮内膜症の方も諦めずに治療を頑張ってほしいです。あまり考えすぎず、病院の帰りに駅前でショッピングしたりランチをしたり、リフレッシュをしながら通院することをお勧めします。
 結婚して6年、今は毎日息子と過ごす時間がとても幸せで、自分にこんな日が来るなんて信じられませんでした。諦めずに治療を頑張ったこと、浅田LCに出会えたこと、本当に良かったです。
レター

最初へ 45  46  47  48  49  50  51  52  53  54  55 最後へ