患者さまからのお手紙
2014年7月に出産された患者さまから
掲載日:2015年10月 3日
浅田レディースクリニックは、私にとって最後の砦でした。当時私は37歳。数年前に男性不妊で地元の有名クリニックで体外受精するも失敗に終わり、ちょうど主人の海外駐在の辞令もあり、子供を諦めて赴任先に帯同することにしました。 でも結局は諦めきれずに、主人に頼み込んで単身帰国して、最後の挑戦にと貴院を選びました。
検査したところ、私の甲状腺ホルモンが少ない事が分かり、内分泌科で甲状腺ホルモン剤を補充して顕微授精をしました。 浅田レディースクリニックの実力を感じたのは、私のAMHの値が低いにも関わらず、予想以上に多くの質の良い卵子が取れた事です。そのためたくさんの胚盤胞が出来て、移植のチャンスが増えました。 ただ、私はなかなか陽性判定がもらえず、今まで一度も妊娠した事がなかった経験から着床障害ではないかと自分で思っていました。しかし先生方から、着床障害ではなく卵の力で、良い卵に巡り会うまで移植を続ける事が大切と教わりました。その言葉を信じて、4回目の移植でようやく陽性判定がもらい、その子が今私の腕の中に居ます。
この子の出産のひと月前に、主人もタイミング良く本帰国となり、出産に立ち会うことが出来ました。 私は我が子を抱くまでに、7年かかりました。病院はどこも同じレベルで治療を受けられるわけではありません。ぜひ、経験と技術と実績を持つ先生に巡り会って下さい。私は海外から日本に戻り、さらに実家から他県の浅田レディースクリニックまで通ったかいがありました。
最後になりましたが、浅田先生を始めスタッフの皆様、本当にありがとうございました。
検査したところ、私の甲状腺ホルモンが少ない事が分かり、内分泌科で甲状腺ホルモン剤を補充して顕微授精をしました。 浅田レディースクリニックの実力を感じたのは、私のAMHの値が低いにも関わらず、予想以上に多くの質の良い卵子が取れた事です。そのためたくさんの胚盤胞が出来て、移植のチャンスが増えました。 ただ、私はなかなか陽性判定がもらえず、今まで一度も妊娠した事がなかった経験から着床障害ではないかと自分で思っていました。しかし先生方から、着床障害ではなく卵の力で、良い卵に巡り会うまで移植を続ける事が大切と教わりました。その言葉を信じて、4回目の移植でようやく陽性判定がもらい、その子が今私の腕の中に居ます。
この子の出産のひと月前に、主人もタイミング良く本帰国となり、出産に立ち会うことが出来ました。 私は我が子を抱くまでに、7年かかりました。病院はどこも同じレベルで治療を受けられるわけではありません。ぜひ、経験と技術と実績を持つ先生に巡り会って下さい。私は海外から日本に戻り、さらに実家から他県の浅田レディースクリニックまで通ったかいがありました。
最後になりましたが、浅田先生を始めスタッフの皆様、本当にありがとうございました。

患者さまからのお便り一覧