患者さまからのお手紙
2014年7月に出産された患者さまから
掲載日:2015年10月16日
37歳で結婚、「さあ今から子どもを作ろう」と夫婦で思っていた矢先にたまたま目にしたテレビ番組でAMH検査が取り上げられており、浅田院長が話をされていたのを目にしたのが私の治療の始まりでした。
年齢からして妊娠・出産のタイムリミットが迫っているという感覚はあったもののこれまで婦人系で大きな不調を感じたことのなかった私は比較的楽観的に構えていました。しかし卵子の老化、AMH検査、早発閉経、ほぼ初めてその特集で目にし耳にしたそれらの情報が他人事とは思えず、胸騒ぎを覚えてその日のうちに浅田LCを訪れてAMH検査を受けました。戻ってきた結果は0に近い数字。予想以上に厳しい結果に絶望的な気分になり夫と「子どもは難しいかもしれない」と数日間は泣きはらしました。でも、クリニックのHPをくまなく見て「AMHの数値が0でも妊娠している人はたくさんいる。諦めるのは早い。まだ可能性は十分ある」と思い直しました。
何年も授からずに最後の砦としてこのクリニックを訪れる人も多い中、私たち夫婦は子作りを始めたばかり。正直、いきなり治療を始めるのは早いのではないか、治療などしなくてももしかしたら授かるのではないか、という思いもありました。浅田LCでなくてもまずはもう少し安く治療できる病院で診てもらおうかと考えたりもしました。しかし、院長が一般向けに開かれているセミナーで話を聞いたり、説明会に参加したり、治療経験者の話を聞くなどして情報を集めて勉強し、夫婦で話し合って出した結論は「院長の言葉を信じて、残された時間を大切にするためにも浅田LCで治療する」というものでした。
初診を受けたのは38歳なってすぐでした。AIHを2回実施しましたが陰性。とにかく時間を最優先にと考えていたのですぐに採卵へと進みました。クロミフェン採卵3回で採れた卵子6個は幸いすべて前核期凍結することができました。移植1回目、2回目は陰性、3度目に胚盤胞2個を移植して陽性となり、2個とも着床していることが分かった時は夫婦で抱き合って喜びました。残念ながらすぐに片方の胎のうが成長を止めてしまいましたが、もう片方は順調に成長してくれて、初診から10ヵ月後に浅田LC卒業となりました。
成長を続けた受精卵はその後元気な赤ちゃんとなり、39歳で出産。結婚するずっと前からの夢だった母親になることができました。不妊治療はツライ、痛い、心身ともに大きな負担を強いられるとよく聞いていましたが、私は浅田CLでの治療で大きな身体的苦痛を感じたことはありません。陰性の結果が出た時はもちろん落ち込みます。でも、次にまた自分がやるべきことが目の前にあるから長く落ち込んでいる暇はありませんでした。それよりも「まだチャンスはある」という希望のほうが大きかったです。
院長はじめ先生方の言葉を、このクリニックでの治療を信じていました。そして、看護師さんやスタッフの方々の優しい声掛けや笑顔に本当に救われました。経済的にはもちろん楽ではありませんでしたが、別の病院で先の見えない中で何年も治療を続けることになっていたら、、、と思うとここで1年足らずで子どもを授かり卒業できたのは、結果的に経済的負担も最小限に抑えられたと思っています。あの時たまたまテレビをつけていなかったら、そこで浅田LCの存在を知ることがなかったら、、、まだ赤ちゃんを授かることなく悶々としていたか、もしかするとタイムリミットを迎えて妊娠・出産を諦めざるを得なかったかもしれません。間違いなく、今私の隣ですやすや寝息を立てている愛おしいこのわが子の顔を見ることはなかったでしょう。最短で子どもを授かる方法と信じて思い切って踏み出した道は間違いではなかったと思っています。院長が様々な場所で、女性の妊娠に関する現実を広めようと活動されていたお陰、そして、今現在受けられる最高の治療を受けることがお陰だと感謝しています。
私の周りには治療を始めるのが遅すぎたり、何年も一つの病院で治療し続けながら結局授かることができず、子どもを持つ夢を叶えられなかった人がたくさんいます。ですから、将来的に子どもを持ちたいと思っている友人や、不妊治療を迷っている友人と妊娠・出産の話になった時は、自分の経験を踏まえて、まずは妊娠やについて正しい知識をきちんと持つことと、AMH検査を受けて自分の体の状態をきちんと把握することをすすめています。私のように晩婚の女性が増えている今、子どもを望む夫婦が手遅れにならないうちに希望を叶えられたらいいと心から願うからです。そして、もし浅田CLでの治療を検討している人がいたら、勇気を持って踏み出してほしいと言いたいです。
今現在治療をしている方、落ち込むこともあるし精神的に疲れてしまうこともあると思いますが、どうか先生方を信じて頑張って欲しいです。
年齢からして妊娠・出産のタイムリミットが迫っているという感覚はあったもののこれまで婦人系で大きな不調を感じたことのなかった私は比較的楽観的に構えていました。しかし卵子の老化、AMH検査、早発閉経、ほぼ初めてその特集で目にし耳にしたそれらの情報が他人事とは思えず、胸騒ぎを覚えてその日のうちに浅田LCを訪れてAMH検査を受けました。戻ってきた結果は0に近い数字。予想以上に厳しい結果に絶望的な気分になり夫と「子どもは難しいかもしれない」と数日間は泣きはらしました。でも、クリニックのHPをくまなく見て「AMHの数値が0でも妊娠している人はたくさんいる。諦めるのは早い。まだ可能性は十分ある」と思い直しました。
何年も授からずに最後の砦としてこのクリニックを訪れる人も多い中、私たち夫婦は子作りを始めたばかり。正直、いきなり治療を始めるのは早いのではないか、治療などしなくてももしかしたら授かるのではないか、という思いもありました。浅田LCでなくてもまずはもう少し安く治療できる病院で診てもらおうかと考えたりもしました。しかし、院長が一般向けに開かれているセミナーで話を聞いたり、説明会に参加したり、治療経験者の話を聞くなどして情報を集めて勉強し、夫婦で話し合って出した結論は「院長の言葉を信じて、残された時間を大切にするためにも浅田LCで治療する」というものでした。
初診を受けたのは38歳なってすぐでした。AIHを2回実施しましたが陰性。とにかく時間を最優先にと考えていたのですぐに採卵へと進みました。クロミフェン採卵3回で採れた卵子6個は幸いすべて前核期凍結することができました。移植1回目、2回目は陰性、3度目に胚盤胞2個を移植して陽性となり、2個とも着床していることが分かった時は夫婦で抱き合って喜びました。残念ながらすぐに片方の胎のうが成長を止めてしまいましたが、もう片方は順調に成長してくれて、初診から10ヵ月後に浅田LC卒業となりました。
成長を続けた受精卵はその後元気な赤ちゃんとなり、39歳で出産。結婚するずっと前からの夢だった母親になることができました。不妊治療はツライ、痛い、心身ともに大きな負担を強いられるとよく聞いていましたが、私は浅田CLでの治療で大きな身体的苦痛を感じたことはありません。陰性の結果が出た時はもちろん落ち込みます。でも、次にまた自分がやるべきことが目の前にあるから長く落ち込んでいる暇はありませんでした。それよりも「まだチャンスはある」という希望のほうが大きかったです。
院長はじめ先生方の言葉を、このクリニックでの治療を信じていました。そして、看護師さんやスタッフの方々の優しい声掛けや笑顔に本当に救われました。経済的にはもちろん楽ではありませんでしたが、別の病院で先の見えない中で何年も治療を続けることになっていたら、、、と思うとここで1年足らずで子どもを授かり卒業できたのは、結果的に経済的負担も最小限に抑えられたと思っています。あの時たまたまテレビをつけていなかったら、そこで浅田LCの存在を知ることがなかったら、、、まだ赤ちゃんを授かることなく悶々としていたか、もしかするとタイムリミットを迎えて妊娠・出産を諦めざるを得なかったかもしれません。間違いなく、今私の隣ですやすや寝息を立てている愛おしいこのわが子の顔を見ることはなかったでしょう。最短で子どもを授かる方法と信じて思い切って踏み出した道は間違いではなかったと思っています。院長が様々な場所で、女性の妊娠に関する現実を広めようと活動されていたお陰、そして、今現在受けられる最高の治療を受けることがお陰だと感謝しています。
私の周りには治療を始めるのが遅すぎたり、何年も一つの病院で治療し続けながら結局授かることができず、子どもを持つ夢を叶えられなかった人がたくさんいます。ですから、将来的に子どもを持ちたいと思っている友人や、不妊治療を迷っている友人と妊娠・出産の話になった時は、自分の経験を踏まえて、まずは妊娠やについて正しい知識をきちんと持つことと、AMH検査を受けて自分の体の状態をきちんと把握することをすすめています。私のように晩婚の女性が増えている今、子どもを望む夫婦が手遅れにならないうちに希望を叶えられたらいいと心から願うからです。そして、もし浅田CLでの治療を検討している人がいたら、勇気を持って踏み出してほしいと言いたいです。
今現在治療をしている方、落ち込むこともあるし精神的に疲れてしまうこともあると思いますが、どうか先生方を信じて頑張って欲しいです。

患者さまからのお便り一覧