患者さまからのお手紙
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2014年1月に出産された患者さまから
私は、31歳で結婚しました。30歳のときに卵巣嚢腫になり両方の卵巣付近を腹腔鏡手術しました。(チョコレート嚢腫)手術後、子供ができるか不安だった私は、そのときの主治医にそのむねを確認しました。もちろん、これで結婚しても赤ちゃんできるよと言われ安心して新婚生活を過ごしました。
当時まだバリバリ仕事もしていました。このまま自然に授かったら産休をとろうなどと不安のない生活を夢みていました。しかし、同時期に結婚したまわりは次々と妊娠していくのに対して、私は毎月きれいに生理がきてしまう。生理が毎月来るのだから、手術して治ったはずだから異常はないはず。早く妊娠したい。焦る気持ちが強くなり、近くの産婦人科へ相談もしました。タイミング療法や人工受精をしても妊娠しませんでした。
このころ、何ともいいようのない不安にかられ自分が不妊症なのだと思い、仕事の休みのたびにインターネットでさまざまな情報をさぐりました。夫婦でもいろんなお互いの気持ちを話し合います。さらに踏み込んだ治療をするには、このまま仕事を続けるのは無理なのではないか?そのタイミングはいつにするのか?できれば仕事を続けて欲しいという旦那や私の両親をよく涙ながらに説得しました。
私は自分自身が一人っ子で早く結婚もしたかったし、もちろん早く赤ちゃんも産みたかったのですが、気がつけば34歳になっていました。思い切って仕事を辞め、有名な浅田レディースクリニックに出会えたのは2012年の夏です。私の場合はここまで来るのが長く大変でした。
最初の説明会での院長のお話を聞いて、ここで駄目だったらあきらめるしかない。そんな気持ちになりました。治療時35歳、極度の卵巣機能の低下や、卵巣嚢腫の手術をしたことによりほとんど卵子が残っていない深刻な状況だということもわかりました。それでも先生方に言われたとおりクリニックに通い言われたとおり薬を飲み、言われたとおり注射をうち、奇跡的に採卵することができました。 結果、2度の採卵、3度目の胚移植にて無事妊娠することができました。その後順調な妊娠生活を送り、男児を授かりました。
自分が妊娠できるまでは、頭から妊娠したい気持ちがうまくコントロールできず醜い心境にもなりよく自己嫌悪に陥っていました。今ここへ通っておられる方はさまざまな事情は違えども、同じような気持ちで苦しんでいらっしゃると思います。私も待合の途中、何度も折れそうな気持ちになり、過去の出産された方のメッセージに救われました。それぞれの体の状況は違うので100%良い結果がまっているとは言い切れないけれど、浅田レディースクリニックにこうして通えるだけでも奇跡だと思います。やれるだけ、自分たちが納得できるだけ通い続けて挑める場所が、ここで良かったじゃないですか。私にはもう時間があまりないので(早期閉経予定)二人目もチャレンジしたいと思っています。たとえどんな結果になろうとも。
先生方、スタッフの皆様、本当にありがとうございました。私の夢をかなえてくださり心から感謝しています。また再度チャレンジする際もよろしくお願いいたします。

2014年1月に出産された患者さまから

2014年2月に出産された患者さまから
そんな日々に疲れ、担当の先生からも、問題はないからいずれ妊娠しますとおっしゃっていただいたこともあり、治療を休憩することに。でも、休憩している間、気持ちは葛藤を続けていました。主人と二人で生きていく人生もいいんじゃないか、とも思いました。そんなある日、私よりも子どもにこだわる主人に、その理由を尋ねてみたのです。すると、「二人で生きた証がほしいから」と。その言葉を聞いて、私の中で何かが変わりました。覚悟も決まりました。
それからは、まっすぐ"子どもを授かること"に向き合いました。定評のある浅田レディースクリニックの説明会に申し込み、すぐに治療をスタート。それまでの経緯もあり、先生にも体外受精からの治療をお願いしました。しっかりと悩み、覚悟を決めての治療だったため、気持ちがぶれることも、投げ出したいと思うこともありませんでした。先生方を信じて、前進するのみ。そして、しあわせなことに、治療も妊娠の日々も順調に進み...。先日、無事に娘を授かることができました。
子どものいる生活は、大変ですが、本当に幸せです。それまでと、また違う世界を見られます。それもすべて、たくさん悩んで、自分と向き合って、そして浅田レディースクリニックに出会えたから得られたものです。
今悩んでいる皆さん、がんばってください。

2014年1月に出産された患者さまから
最近は高齢出産も多いし、一人出産しているので自然妊娠するだろうと安易に考えていました。ところが、なかなか妊娠せず、年齢のこともありかなり焦りを感じ、不妊治療を受けました。最初通った病院で人工授精を数回試みましたがやはり妊娠しませんでした。また顔をあわせて話すこともなく診察をおえることがある病院に不信感を感じ、改めて病院探しをはじめたところ浅田レディースクリニックにたどりつきました。
まずは説明会に出席し、自分の無知に驚いたのと同時にこの病院で治療を受けてもし妊娠できなくても自分ができる最善のことはやったと納得できると感じました。その後年齢的なこともあり、2度にわたる採卵から顕微受精へとすすみました。その治療の進み方も私にはとてもあっていましたし、毎回の診察では先生方がその都度私の質問にもきちんと対応していただき本当に納得して治療をすることができました。また不安になった時には看護婦さんが親身に対応して下さいました。そして結果妊娠することができました。流産する可能性も年齢とともにあがりとても不安でしたが、今年の1月女の子を出産できました。
浅田先生をはじめ病院の先生方、コーディネーターの方、看護婦さん、皆様に本当に感謝しています。

2014年1月に出産された患者さまから
転勤族の主人と共に西へ東へ...日々は楽しいけれど、子供好きの私は『母』になることはないのかな~と思うこともありました。正直、止め時もわからないし、自分の気持ちだけで決めていいのか?後悔はないのか?全ての責任を負う自信もないけど、止める勇気もない。そんな時、人生初の妊娠...そして流産。本当に悲しかったけれど、それ以上にうれしくもありました。本当に本当に小さな体で『お母さん、妊娠できるよ。もう少し頑張ってみたら』と教えに来てくれた気がして、ありがとうの気持ちでいっぱいでした。
そして、40歳の1年を最後としてに全てをかけようと思いました。そんな時に東海地方に転勤。最後に浅田先生の病院に全てをかけようと通院を始めました。毎回、東名をぶっとばし(これは私にとっていいストレス発散でした)、通院して半年、妊娠判定をいただき、無事に出産できました。
プレッシャーに押しつぶされそうになったり、出口の分からない迷路の中にいる気持ちになることがあると思います。ご自分や愛する旦那様に似た子供を想像し、少しでも楽しいイメージでお過ごしください。そして、元気な赤ちゃんを皆さんが抱けることを祈っています。お身体には十分お気をつけてください。

2013年10月に出産された患者さまから
私は、病院の待合室で「患者さまからのお手紙」を読むのが大好きでした。「無事に出産したらこんな手紙を書こう」など一人で妄想していました。いざ書こうと思うとなかなか言葉がみつかりません。かわいい我が子をみると、不妊治療中の辛い日々を忘れてしまっています。感謝しかないのです。不妊治療は本当にゴールがみえません。友人の妊娠に嫉妬...なかなか「おめでとう」と心から祝福できない事もたくさんありました。でも・・・AMHも1以下の私が妊娠できたんです。1年で結果がでたんです。浅田先生を信じてください。素晴らしい医療スタッフについていってください。
私はこのクリニックの出会えた事に感謝しています。本当にありがとうございました。きちんと挨拶できず、卒業してしまった事が後悔でいっぱいです。
スタッフの皆様。娘はもうすぐ1歳になります。2人目治療にすぐ行きます。また宜しくお願いします。

2013年12月に出産された患者さまから
最初の半年はタイミング法を、その後人工授精を3回行いました。私自身は人工授精で子どもを授かると安易に考えていましたので、結果がでないことにとまどい、不妊治療を初めて1年後、通院することをやめてしまいました。
それから1年半後、もう一度夫と話し合い、治療を再開することにしました。再開時には40歳になっていましたので、治療は体外受精から始めたいことを先生に伝えました。そして治療を再開してから1年8か月後の42歳でクリニックを卒業し、43歳で男の子を出産しました。
再開後の治療では、採卵を3回行い、受精卵が25個できました。仕事をしていましたので、通院中はスケジュール調整に苦労しましたが、上司に通院していることを伝え、理解を得て乗り越えることができました。通院中にはいろいろなことがありましたが、現在は育児で毎日忙しく、そして親子3人で楽しく過ごしています。
浅田レディ-スクリニックで治療していただくことができて、あきらめなくて良かったです。本当にありがとうございました。

2013年12月に出産された患者さまから
このたびは一回の融解胚移植で妊娠することができ、とてもありがたかったです。その後、上の子の世話をしながらのつわり期や、一人目同様、なかなか有効な陣痛が来ず、入院して促進剤を使い、子宮口全開までの時間は半分くらいに短くなったものの、なかなか出てこなくて最後は吸引といろいろ大変ではありました。
生まれたら生まれたで、心エコーで再検査になったり、腸重積になったりと、心配もしましたが、今は問題なくとても元気です。今、お兄ちゃんは幼稚園に行きはじめ、ドタバタながらも二人の子の育児を楽しんでいます。こういった幸せな時間を、心配も喜びも含め、様々な経験の機会をくださって本当にありがとうございます。この子達と一緒に自分も成長していきたいと思います。
貴院に通院中は、努力が報われるかどうか・・・いつまで治療を続ければいいか・・・などの不安の混じった複雑な気持ちはついてまわるものの、細やかな配慮をしていただいていて、快適に過ごすことが出来ました。ありがとうございました。通院しているあいだ、浅田レディースクリニックは私の希望でした。皆様、お身体に気を付けて、今通われている方々への新たな命のお手伝い、よろしくお願いいたします。
私自身の感想ではありますが、体が冷えていることと、骨盤が歪んでいることが良くなかったなぁと感じています。どちらも妊娠後や出産時にもよくないので、ケアしておくことをお勧めします。

2014年1月に出産された患者さまから
妊娠中は、「去年の今頃は、泣きながら注射をしていたね」とかそんなことを主人と話したりしていました。出先で倒れて子宮内膜症と診断され、何も分からないまま不妊治療を始めました。20代なのにAMHの値が低いという結果で、治療中は先がみえない気がして、周りの出産した友人を心の底から祝えない自分に自己嫌悪感を抱いたりと、負の感情でいっぱいでした。でも、的確でスピーディな治療で、あっという間に妊娠することができました。丁寧できちんとしたスタッフの方々の対応にも非常に安心感を覚えました。
自分の目で移植までみた受精卵が、今、我が子として目の前にいるのかと思うととても不思議な気分です。あの時の 羽柴先生の「はい。完璧!!」という言葉は忘れられません。不安でいっぱいで、説明会に行くのも怖くて、主人に引っ張られて浅田クリニックに出向きました。あの時、治療を始めて良かった。浅田クリニックで良かった。と、今はそう思っています。
浅田クリニックに行っていなかったら、今もまだ、涙をこらえて妊婦さんと並んで、産婦人科で先のみえない不妊治療を続けていたかもしれません。迷っていらっしゃる方がらしたら、どうか前向きに治療に励んで頂きたいです。

2013年12月に出産された患者さまから
AMHが1を切ってきてクロミフエン採卵、2回の採卵で5個の受精卵を凍結していただき、初めての移植で妊娠し、上の子供が7才になった年に出産できました。お金もそんなになく、いつまでできるか不安ばかりでしたが、この奇跡をおこしてくださったチーム浅田には感謝しています。今思うと、できなくて悩んだ2年間は本当にもったいなかった。もちろんそのうちできると思っていたので仕方ないですが、もっと早く不妊検査やAMHを調べておけばよかったと思います。
現在治療されている方はみなさんずっと不安だと思いますが、先生方を信じて進んでいればよい結果が得られると思います!諦めずに感情より理性で淡々と進められるとよいと思います。
私は今もできなくて辛かった日々を忘れていません。できなくて悩んでる方の気持ちにいつまでも寄り添っています。頑張りすぎず、頑張ってください。応援しています。
