患者さまからのお手紙

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2014年5月に出産された患者さまから

掲載日:2015年7月10日
 36歳から不妊治療を始め、浅田レディースクリニックは3つ目のクリニックでした。以前のクリニックでは採卵を5回しましたが、卵が育たなかったり変性卵だったりで移植できたのは1回。卵の状態も良くなく、妊娠できませんでした。
 治療期限を40歳と決めていたので、39歳の時に最後の賭けと思い浅田レディースクリニックに転院しました。3月に初診。5月に採卵。たくさんの卵が採れて9月の3回目の移植で妊娠!今年5月に元気すぎる女の子を出産しました。諦めなくて良かったと思ったのと同時に、クリニックによってこうも結果が違うのかと驚いています。最初から浅田先生のところにお世話になっていればよかった。。。
 浅田レディースクリニックのスタッフの皆さんは本当に親切で、ストレスなく通院ができました。私も医療従事者ですが、先生や看護師さんの声かけや配慮に何度も感激し、受付の方の丁寧な対応にクリニックとしての質の高さを感じました。
 少し早目に断乳をして、二人目を迎えに行くつもりです。もう一人抱きたいという夢を持たせてくれたのも浅田レディースクリニックのお蔭ですね。治療中の方々、心も体もお金も負担が大きいでしょうが、頑張ってください。元気な赤ちゃんが授かりますように。
レター

2014年5月に出産された患者さまから

掲載日:2015年7月10日
30歳の時に別のクリニックで不妊治療をしましたが、治療に関しても料金に関しても説明が明確でなかったため約1年でやめてしましました。
 それから数年が経ち、テレビで浅田レディースクリニックがとりあげられたのをみて、自分のAMHだけでも知りたいという思いで検査をしてもらったのが浅田レディースクリニックとの出会いです。こちらは説明も明確で、一番不安だった料金もしっかりと提示してくれたので安心して治療に臨むことができました。妊娠反応が出なかったとき大変落ち込んだ私に対してストレートな言葉をかけてくれた先生、優しいスタッフのみなさんのおかげで頑張れた気がします。
 治療をしている最中はどうしてもほかの人のことが気になったり、ささいなことで落ち込んだりしがちだと思いますが自分を信じること、子ども(たまご)を信じること、そして先生を信じることだと思います。
 妊娠するための体作りも大切です ストレスをため込まないようにすることも大事ですいろいろ大変だな・・・と思うかもしれませんが、誕生した時の喜びは計り知れないほど大きいです。強い心を持って、思い描いた未来に一歩ずつ近づけるよう前向きに治療を進めることをお勧めします
レター

2014年4月に出産された患者さまから

掲載日:2015年7月 3日
不妊症 一番の原因は"加齢"。多くの人は原因不明という院長先生のお話を聞きすぐに通院することに決めました。浅田LCに通う前に3つの病院にかかり、浅田LCは最後の手段と考えていました。今思うと時間がもったいなく最初から通院すればよかったと後悔してます。
 私は多嚢胞性卵巣で自然に排卵しにくい卵巣でOHSSに注意し治療も慎重にすすめていく必要がありました。人工授精をすることなく、いきなり体外受精と言われとてもショックでした。ですが、今では安全で一番確率の高いやり方で感謝しております。浅田LCを11ヶ月で卒業、体外受精2回目で妊娠(1回目は繋留流産)4月に出産(32歳)し、もうすぐ6ヶ月になります。
 私も手紙を書く日がくるのだろうかと不安でいっぱいでしたが、現在は子供の笑顔や寝顔を見て幸せな時間を過ごしています。毎日主人と二人でかわいいと言って子供をギュット抱きしめています。
 私は治療に何年かかっても子供を授かるまで頑張ると決めてました。短期間で授かる事ができたのは先生方の実力のお陰だと思っております。日々、感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございます。
レター

2014年4月に出産された患者さまから

掲載日:2015年7月 3日
結婚して6年子宝に恵まれず体外受精にて長男を授かりました。
 一人授かったのだからという思いと、私たち夫婦の「子どもを2,3人欲しい」という夢との間で揺れながら、やはり二人目にもチャレンジしてみようと始めた2回目の不妊治療。他院で2年間計9回の胚盤胞での体外受精を行うも実らず。我が家からは遠いけれどもこれで駄目なら諦めようと浅田レディースクリニックへ転院しました。
 夫の年齢や経済的な理由から採卵は2回までと決めていました。そして幸いな事に次男を授かりました。不妊治療は長い道のりでした。修行のように感じた日々もありました。そんな時に私たちの治療にかけられる時間とお金はここまで、だめだった時は仕事に復帰して・・・と自分たちなりの卒業の時期を決めたら少し気持ちが楽になりました。あとはクリニックの技術や不妊治療にかける情熱を信頼し、結果は神のみぞ知るという開き直り?にも似た気持ちで通えました。
 浅田レディースクリニックの技術とスタッフの優しい心遣いに感謝します。
 追伸:上の子が遊んだり少しおにぎりやおやつを食べながら待てるキッズルームがあって助かりました。
レター

2014年4月に出産された患者さまから

掲載日:2015年6月26日
 浅田のスタッフの皆様、通院されてる皆様、こんにちは。2014.4に無事男児を出産しました。
 浅田クリニックを最後の砦と思い受診して3年前に女児を出産、2人も授けて頂きました。私たち夫婦は夫が手術でないと精子が取れない、私が多嚢胞性卵巣で問題がありました。過去2か所の有名な不妊治療の病院で、第3者からの精子提供による妊娠しか不可能と言われていた私たちが1人目を授かっただけでも奇跡なのに2人も授かりました。本当に浅田レディースクリニックの技術力とメンタルのフォロー力は私たち夫婦にとって人生に豊さ幸せを与えてくれた神様のような存在です。
 2人目の不妊治療では残っていた複数の受精卵の移植では妊娠に至らず、再度の採卵と残っていた凍結精子を全部使用しての顕微授精をしました。もう精子を取り出す事は夫が再三のしんどい手術は耐え難いとし、今回得られた受精卵が私たちの最後の望みの卵ちゃんでした。その受精卵を移植するにあたり、この子(受精卵)が無事生まれてきてくれることを祈れる幸せを感じつつ判定が陰性になれば限られた望みがまた1つ消えていく絶望が来る不安の矛盾に格闘していました。
 移植しなければ妊娠には至らない、という当たり前の現実を前にして、望みである受精卵たちを失いたくないという葛藤がありました。この苦しい気持ちを必死に前者の幸せを大きく持てるよう心掛け、奇跡か必然か幸運にも男児を授かることが出来ました。子供を授かる事は自己努力だけではどうにもならないことです。しかし、正直、第3者の精子でと何度も宣告されてもあきらめる・治療を終了する気持ちを持つことが怖くて出来ませんでした。だから、いま治療で苦しんでいるご夫婦に頑張ればいつかは・・なんて軽率には言えません。ただ、このような夫婦が居ることを知っていただき、ひと夫婦にでも心に届いてくれたらと思います。 
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2014年3月に出産された患者さまから

掲載日:2015年6月26日
浅田クリニックに3人の天使を授けていただきました。一人目は女の子で、今年小学一年生です。二人目は2才半、三人目は今年3月3日に生まれた女の子です。浅田先生はじめ、先生方、看護師さん、スタッフの皆様心より感謝申し上げます。
 毎日、常に何かしらハプニング!忙しい日々を送っていますがとにかくとにかく幸せです。ありがとうございます。抱っこひもにベビー、両手に手をつなぐ子供達と歩いているとこの上ない幸せで心が満たされます。一人目は予定日オーバーで帝王切開。二人目はVBACで自然の自然のお産に挑戦しましたが36時間の陣痛に精根尽き果て、結局帝王切開。三人目は帝王切開の予定が34週に陣痛が来てしまい、早産で緊急帝王切開。・・・と、も色々な痛みを味わいましたが3人の寝顔を見てると頑張ってよかったと思ってます。
 今、浅田クリニックに通われている皆様人それぞれ様々な思いがあって、無責任は発言はできませんが待ち時間は未来の子供の名前を考えたり、どうか前向きに通って下さい。先生と自分と卵の生命力を信じて。きっときっと可愛いベビーが授かります。心より応援そしてお祈り致しております。
レター

2014年3月に出産された患者さまから

掲載日:2015年6月19日
この度浅田レディース勝川クリニックの皆様のおかげで無事に女の子を出産する事が出来ました。
 私は20代前半で粘膜下筋腫を患い開腹手術をしました。その時に主治医から子供は諦めた方がいいですと言われたので正直諦めていました。その後もチョコレート嚢腫、内膜症、筋腫の再発、そして35歳という年齢もあり無理だと思いつつダメもとで治療する事にしました。
 タイミングやAIHなどはせずに一気に顕微受精を希望しました。7センチもあるチョコレート嚢腫を院長先生に抜いてもらいながらのクロ採卵と移植でした。1度目の移植は陰性でした。陰性だった時にはやっぱりという思いでした。2回目の移植後、クヨクヨするのは自分らしくないと主人と沖縄旅行に行き、泳いだりお酒を飲んだりと思う存分楽しみました。戻ってきてすぐに判定でした。なんと陽性でした!本当に目を疑いました。赤ちゃんが産まれるまで主治医の先生にはどこに着床したのかわからない、奇跡だと言われました。それほど私の子宮が酷い状態での妊娠でした。
 その後も悪阻は産まれるまであり、切迫流産などで入院したり自宅安静していました。そして無事に帝王切開で女の子を出産する事が出来ました。主治医の先生から2人目はリスクが高すぎるからやめた方がいいと言われました。あの時、浅田レディースに出会わなければこの子には巡り会う事もなく、奇跡もなかったと思っています。院長をはじめスタッフの皆さんはとても親切で信頼のおける方達です。
 長々と私の事を書きましたが体外受精を迷っておられる方、以前の私のように諦めかけている方、浅田レディースを信じて頑張って下さい。本当に浅田レディース勝川クリニックのスタッフの皆さん、先生方に感謝してもしきれません。ありがとうございました。授かった赤ちゃんは大事に大事に育てます。
レター

2013年11月に出産された患者さまから

掲載日:2015年6月19日
お返事が大変遅くなり申し訳ありません。妊娠7ヵ月のときに子宮内胎児発育遅延と診断され出産まで入院しましたが、無事38週で出産することができました。とても小さく生まれましたが10ヵ月になった今、元気に動きまわっています。授けていただきありがとうございました。

これから治療を始められる方、治療中の方へ。
 治療は先が見えなくて、怖くて不安で辛いこともたくさんありますよね...私は「気楽に」とか「考えすぎないで」とか言われても、いつもずっと気持ちに余裕はなかったです。生理がくるたび泣いていたし、どうして私だけってよく泣いていました。「あきらめた頃できるよ」って言われると、どうしたら諦められるんだろう...と思ったり。でも諦めなくてもウジウジしてても、チーム浅田に授けていただきました。
 だから今悩んでる方がいたら、無理に自分を変えようとしなくてもいいよって伝えたいです。チーム浅田の先生方を信じて、決して自分を責めないで、のんびりでもキチキチでも、あなたらしく無理のないペースで治療してくださいね。
 治療中、ジンクス含めいろんなことをしましたが...効果があったんじゃないかなと思っていることは。・採卵前の注射のついでに、毎日サンビーマー・移植前までは血流よくするために、1日1時間程度ウォーキングあとは、くじけそうなときはよく病院の近くのパン屋さんに行ってました。「桜蔵」というお店です。うまく場所を説明出来ませんが、よかったら調べてみてください。ちょっとお高いですが、美味しいし、たくさんの種類がところ狭しと並んでるところにワクワクします。
 赤ちゃんを望む全ての方のところに、赤ちゃんが元気に産まれてくることを心から祈っています。
レター

2014年3月に出産された患者さまから

掲載日:2015年6月12日
 私は治療期間が長ければ長いほど、「着床がゴール」のように考えが凝り固まってしまっていました。でも、ゴールなんてなくて、スタートだった、と思います。読んでくださる方に、うまく伝わるといいのですが。
 浅田レディースクリニックを初めて受診してから5年以上経て、この子が私たち夫婦の元に来てくれました。子宮筋腫核摘出、精巣切開、ひたすら続く注射の痛みと着床せずの結果。長いトンネルの途中で光が見えず、何度も失敗して、何度も落ち込み、何度も焦り、何度も泣きました。長年の友だちに赤ちゃんが生まれても、お祝いを持って会いに行けないくらい、羨ましかったこともありました。
 「いつまで続けていいんでしょうか?もう、どうしていいか、わかりません」「可能性という意味では、難しいがゼロではない。今、あなたがたのような夫婦にいつまで'と言えないが、今後いつまで'と言えるように数字を出そうとしているところ。AMH数値、仕事、治療費、二人の人生などいろいろな条件をよく考えて、夫婦二人で決めること。だけど、納得できるまで、頑張ってみませんか?」夫婦で話し合ってと決めました。
 お互いの気持ちを話し合ったら、夫婦二人きりの人生もありだよね、と思えるようになりました。主人は、二度目の精巣切開をしてくれました。そして、この凍結精子がなくなるまでが、私たちの「納得できるまで」。
 妊娠できたときは、これまで感じたことのないうれしさで、うれしくて、うれしくて、ふわふわ浮かれた気持ちで、産科を受診しました。高齢出産、術後の子宮、赤ちゃんの健康、私の就業内容・・・。誕生までにいくつも難題がある、と産科の医師に言われました。妊娠中は、この子に重篤な異常や疾患があったらどうしよう、という不安がいつもありました。出産時・出産後の対応を準備万端にしたいという思いから出生前診断(自由診療、限定医療機関)も受けました。母体と子宮が耐えられない、という理由で35週以降、絶対安静の指示があり、37週0日に帝王切開で出産しました。
 出産後、あちらこちらの 0才児教室などに出かけていますが、自分の子どもと言ってもいいくらいの若いご夫婦がたくさんいて私たち夫婦の年齢と体力の衰えを実感させられる毎日です。今は、この子が自立する年齢まで、私たちの体力も経済力も維持できるだろうか、という不安があります。
 浅田先生を信じて治療を続けてよかった、と、今、腕の中のこの子の笑顔を見ながら、心から思っています。それは、ほかのお母さんたちが書いておられるのと同じ、本当の気持ちです。長いトンネルの途中で経験した痛みや気持ちだって、今に至るまでに必要なことだったんだ、と、思います。
 子どもを持つことができたからこその不安、と言われればそうなのですが「妊娠できたら何もかもハッピー」と思い描いていたのとは違う現実があるのは確かです。
 浅田レディースクリニックの診察の先生方、看護師さんたち、事務の方々、ラボの方々。みなさん、子どもがほしい私たちの気持ちに寄り添って、丁寧に対応してくださいました。ありがとうございました。自分の気持ちに余裕がなくなって、失礼な態度をたくさんとりました。申し訳ありませんでした。この子を連れてクリニックのみなさんに直接お詫びとお礼を言いたいです。本当にありがとうございました。
レター

2014年4月に出産された患者さまから

掲載日:2015年6月12日
当時36歳だった私に「子供が欲しいと思って3か月できなかったら病院に行きなさい」と知人に勧められ浅田レディースクリニックに通い第一子を授かりました。子供に手がかからなくなってきたところで「一人っ子でいいのか?」と思いはじめ夫婦で話し合い、再びクリニックに通い始めました。
 卵をおなかに戻して、「今日でクリニックは卒業だ」と思った回の診察で赤ちゃんの心拍がなく、流産の手術前に涙が止まらなくなり看護婦さんに支えていただいたこともありました。妊娠したらしたで、今度は生前検査ができるようになっていたため受けた方がいいのかと迷いだす苦しい時期もありました。
 今、下の子は5か月になりました。うちの中はこれまで以上ににぎやかになり、私自身は第一子のときは必至過ぎて感じれなかった「赤ちゃんって本当にかわいいな」という気持ちに浸りながら子育てをしています。お子さんが生まれて、もし気持ちにも経済的にもチャレンジできそうなら是非第二子も考えてみてください。
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