患者さまからのお手紙

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2016年03月に出産された患者さまから

掲載日:2017年11月 6日
今どんな言葉をかけてもらっても、心が癒えることはないでしょう。他人の言葉に傷ついたり、芸能人の妊娠ニュースや、友達の妊娠報告、年賀状に傷つくこともあるでしょう。私もそうでした。どうか自分を責めないであげて下さい。十分がんばっています。不妊治療は努力したら報われるものではないから、うまくいかないと、悲しくて仕方ありませんよね。でも、今こうして不妊治療ができることも当たり前ではないですよね。欲しくても不妊治療ができない人もいる、自分は辛くても治療できることに感謝しなくちゃ!と思いながら通わせていただきました。
 毎回の通院時に、患者さまのお手紙を読みながら、私と同じ事を思っている!と思う反面、でも、この方は授かっているからうらやましい。一体私は授かれるのだろうか。と思っていました。ですから、私の言葉もそんな風に聞き流して下さい。絶対授かりますよ!とは決して言えませんが、努力は報われるものであって欲しいと私は思います。
 今4ヶ月になった息子は笑うようになりました。私を母にしてくれました。育児が大変だなんて思わないくらい幸せです。成長が気になってるお母さんも周りにはたくさんいますが、私は毎日生きていてくれれば、それで十分です。これから先も、今の気持ちを忘れず、欲張りにならないよう謙虚に生きていきたいと思います。
 先生方にお世話になりました。どうかみなさんも先生方を信じて、不安に思うこと、疑問はその都度解消して、信頼して治療を進めていただきたいと思います。いつかみなさん一人一人のもとにかわいい赤ちゃんがやってきますよう、願っております。私は不妊治療をし、我が子に会えたことは当然嬉しかったのですが、何より、主人と2人で乗り越えられたこと、主人を父親にしてあげられたことが本当嬉しかったです。夫婦の絆はさらに深まり、この人と結婚できてよかったと改めて幸せを感じています。私の言葉で傷つけてしまった方、申し訳ありません。
レター

2016年03月に出産された患者さまから

掲載日:2017年11月 6日
妊娠を希望してから、基礎体温を測ったり、排卵チェッカーを利用したりしましたが、妊娠できず、近くのクリニックへ通いました。そこでは1年程、タイミング法を試しました。それでも妊娠できず、人工受精をすすめられました。どうしても次のステップに進む勇気がなく、そのまま治療をやめてしまいました。
 そのうちきっとできるだろう。そう思って1年、毎月きっちりくる生理に落胆し、周りの人の妊娠、出産報告を素直に喜べない自分に失望しました。もう体外受精をやるしかない!そう決めて病院探しから始めました。どうせやるなら実績の高い病院をと思い、浅田レディースクリニックに決めました。自己注射や毎日の薬の服用など、大変なこともたくさんありましたが、私の不妊治療は辛いものではなく、楽しみでした。きっと浅田レディースクリニックだったら、絶対妊娠できるだろう。もしここでだめなら、すっぱりと諦められると思っていました。幸運なことに1回の移植で妊娠することができ、元気いっぱいの大きな息子を出産することができました。寝ている息子を見ながら、この子と出会えてほんとによかったと思います。
 治療に携わって下さった全てのスタッフの方々へ感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。また、不妊治療に対して悩んでいる方へ、少しの勇気をもって進んでほしいと思います。全ての方々がベストな結果になることを心より願っております。
レター

2016年03月に出産された患者さまから

掲載日:2017年10月27日
30代の時に「卵子の老化」という言葉を耳にするようになり焦ってはいましたがそのまま時が経ち41歳で結婚、半年後に不妊治療を始めました。
 別の病院で体外受精まで実施しましたが陰性で終わり、そこで高齢のため今後治療してもいい結果が得られない可能性が高いと言われ、そこから私にあった病院探しが始まりました。そんな中、浅田LCの説明会での浅田先生のお言葉に「ここで治療をしたい!」と希望が持て、説明会が終わった足で早速予約をとりました。
 私の場合、なかなか結果が出ず多少の落ち込みはありましたがあきらめずに頑張れたのは浅田先生を始め諸先生方スタッフの皆さまの納得のいく対応と高度な技術をもって治療をしていただけたことにより希望を持ち続けれたことに感謝しております。
 妊娠出産を経てからは毎日が大変ではありますが充実した日々を過ごしております。見るもの聞くものに今までと違う感情が生まれたこと、主人の新たな面を発見できたこと夫婦だけでなくお互いの両親、自分を取り巻く方々をも幸せな気分にさせてもらえたこと浅田LCで授けていただいた我が家の小さな天使君は私を始めみんなの世界をすごく大きな力で変えてくれました。
 45歳と2カ月にしてママさんと周りから呼ばれるようになりくすぐったい気持ちで毎日育児奮闘中です!
レター

2016年01月に出産された患者さまから

掲載日:2017年10月27日
診察の待ち時間、暇さえあればホームページのお手紙のコーナーを読み過ごしていたときによく目にしていたこの書き始めの文章...まさか私も書く日がくるとは、当時は夢描いていたこと。なんだかとっても言葉にならない想いが溢れてきます。
 浅田先生をはじめ、お世話になった先生方、全てのスタッフの方々にご報告ができ本当にうれしく思います。無事に今年1月に帝王切開にて待望の女の子を出産致しました。妊娠中のトラブルも全くなく、周囲の人達が驚くほど元気な妊婦とお腹の中でも元気な赤ちゃんでした。帝王切開の処置中、あまりに元気に泣く赤ちゃんの声に先生も驚くほどでした。現在はあっという間に、6ヶ月もすぎ、1人座りができるようにまで成長した我が子に『待ってたよ~、来てくれてありがとう』と言いながら、子育てに奮闘しています。本当にありがとうございました。
 今、私の文章を読んでいらっしゃる方々へ今現在に至る経緯も、状況もみんな本当にそれぞれ。自分に当てはめて調べて読む内容に、一喜一憂する、してきたことと思います。私ももちろん同じでした。検索しては落ち込む、不安になるばかり。この人よりはましだから頑張ろう...などなど。今、腕の中でようやく泣きつかれて寝てくれた我が子を見ながら思うことは、この世に1人として同じ人はいないように、状況も同じ人はいない。ただ赤ちゃんが欲しいという気持ちだけしか同じではない。我が子をこの腕にだきたい...ただその夢を叶えるため
 1.浅田先生はじめ、クリニックの先生を信じること。
 2.ネット検索をやめる。浅田先生の情報だけを見るようにする。
 3.自分の状況確認は、他人の状況にあてはめない。受信時に先生に聞いて確認すること。
とにかくこの3つをシンプルに実践する。そんな事が確実に夢へと導いてくれる方法なのではなかったかなぁ~と思います。もしこの事が少しでも参考になればと思い、書かせていただきました。
 最後に、我が子を授けて頂いた事に感謝しきれない思いをなかなか伝え切れず、月並みの言葉でしか表せない自分が情けないですが、本当に、本当にありがとうございました。そして、とりとめのない文章になってしまい申し訳ございませんでした。
レター

2016年03月に出産された患者さまから

掲載日:2017年10月20日
初め違う病院で人工受精で治療してましたが、授からず、ステップアップする時、一番成功率が高いところで実施したいと思い、浅田先生のところに行きました。説明会では衝撃もありました。「いつか妊娠できる。」と思い、妊娠したいのにできない、でも体外受精に抵抗があった私は人工受精止まりで気づいたときは3年間も経過してました。でも説明会でまず治療方針などを聞き、自分の考え方もかわり、新たに頑張ろうという気持ちに変わりました。
 正直仕事をしながらだったので通院は大変でしたが、受付の方や看護婦さんにもできる限りの対応をいただき何とか通院できました。1回目の妊娠がわかったときは双子でしたが、育たなかったため、流産の手術をしました。正直この時もう治療をやめようとものすごく泣きました。お休みするか迷いながらそれでも子供がほしかったため、初めは会社にも病院に通ってることを言わずに通院してましたが、このままではダメだと思い、まず仕事を少しだけ減らしてもらい、自分の納得が行くまで通ようことにしました。通い初め1年半で卒業し、毎日念願の子供とふれあいとても幸せな時間を過ごしてます。
 もし不妊の病院で悩んでる方がいたら、時間とお金をかけるなら、初めから浅田先生のところに行くことをオススメします。悩んでいた友達にも病院を紹介して今では同い年の子供のママになってます。もし病院に通うか迷ってる方がいらっしゃったら、迷ってる時間が一番もったいないです。
レター

2016年03月に出産された患者さまから

掲載日:2017年10月20日
私たち夫婦には顕微授精しか方法がありませんでした。他院での治療がうまくいかず、そんな時に偶然見かけた雑誌で浅田レデイースクリニックを知りました。雑誌で知った設備の素晴らしさとホームページからうかがえる浅田先生の人柄に惹かれ、ここでダメなら諦められると受診を決めました。
 それから半年弱で1人目を授かり、今回は2人目のための治療でお世話になりました。2人目はなかなか結果が出ず、流産も経験し、採卵2回、移植8回目で2人目を授かりました。治療中は、私は前向きではいられませんでした。終わりが見えなくて、つらくて。いつか経済的に限界がきて、諦めないといけないかもしれない。また流産するかもしれない。問題なく妊娠出産できる人もいるのに、どうして自分はこうなんだろう...。そのくせ余裕があるときは、治療に専念させてもらえるだけ幸せだと思ってみたり...。治療中は本当に精神的に不安定でした。そんな自分が嫌いでした。泣いてばっかりでした。でも、だんだん開き直れるようになったんです。それだけ子どもが欲しいんだから、不安定なのは当然!泣くのも落ち込むのも、誰かを羨ましく思うのも当然!それでいいやって。それからは、少し楽になれたような気がします。
 これから治療を始められる方や、現在治療されている方は、少なからず不安を抱えておられると思います。でも、浅田レデイースクリニックは本当に素晴らしいクリニックです。不安や疑問にもとっても丁寧に答えてくださいます。ぜひ先生方と一緒に、治療を進めてみてください。自分の納得できる結果がついてくると思います。治療がうまくいくよう、心から祈っています。
 浅田先生はじめ諸先生方、スタッフの皆さん、治療中は本当にお世話になりました。2人目も無事に出産することができました。1人目のときよりも余裕があり、久しぶりに0歳児を楽しんで育児できています。1人目はこの4月から幼稚園に通っています。数年前には想像もできなかった幸せを、私たち夫婦に届けてくださって...本当に本当にありがとうございました。ぜひ、1人でも多くの患者さんに幸せを届けてあげてください。何もできませんが、遠くからいつも応援しております!
レター

2016年02月に出産された患者さまから

掲載日:2017年10月13日
 わたしは、2015.7(8W0D)卒業になりました。 この期間は、すごく長く大変な日々でした。
 結婚が34歳と遅かったのですが、身体には、自信ががあり、子もすぐに授かるであろうと37歳で、軽い気持ちで説明会を出席し、初めて受診し、検査を受けてみて、驚き、シヨックを受けました。AMHの値がゼロだったのです。Dr.に治療は、急いだ方がいいと薦められ、2013.1より顕微授精を始めました。
 2年過ぎても結果は出ず、心身共に 疲れがでてきて、気づくと、年齢も40歳になっていました。半年ほど、治療を休み、心身共にリフレッシュして健全な状態にし、卵をもどすことにしました。結果は、陽性でした。40歳10カ月で妊娠し、41歳8カ月で、出産しました。
 私のよう気づくのが遅いと、治療は長くなり、心身共にくたびれてしまうでしょう。少しでも迷いのある方は、一日でも早く検査を受け、現実も知ることが 大切かと思うます。
 現在治療中の方は、ご自身で、今の自分の体を見つめなおし、日々の生活 から、変えていく努力をなさったり、疲れたら、頑張りすぎず、趣味や、レジャーなど、気分転換し、リラックスすることが、意外に近道だと思います。
 わたしは、9回目の判定日に、Dr.に作戦勝ちといわれ卒業しました。妊娠中、出産とすごく順調でした。現在息子は、5カ月、健やかに育っております。そして、家族が増えたことにより、わたしの周りは、みんな幸せな空気が 流れております。自分なりの治療計画を立てることは大切です。やはり身体が資本です。
 妊娠がゴールではありません。安定した妊娠生活、出産(安産)、安定した子育てをしていくためです。
レター

2015年10月に出産された患者さまから

掲載日:2017年10月13日
昨年10月に第二子となる次女を出産いたしました。44歳の超高齢出産で、出産時はトラブルもあり大変でしたが、無事に健康に生れてくることができました。浅田レディースクリニックの先生方、看護師の方々、培養士の方々、スタッフの皆様方には感謝の気持ちでいっぱいです。
 ちなみに40歳の時に採卵、受精、凍結していました。しかも、再凍結、再溶解した受精卵を二つ戻したので、妊娠判定前や判定後も不安な気持ちでいっぱいでした。移植前には複数の先生に何度も「本当に再凍結卵で大丈夫なのか?」と質問ばかりしていましたし、移植後も再凍結卵を戻した方のブログなどを検索ばかりしていました。結果的に、何の問題もなく生まれてきて、先生方のことを信じて戻してよかったと思っています。今思うと、この子はすごい生命力をもって生まれてきたのだと思います。
 一度溶解した卵は若い方の卵でもそう簡単に再凍結することはできないと聞きました。高齢で採卵したにもかかわらず、それができたのはこの子の生命力?!1回目の移植では選ばれず、それでも「生まれてくるのは私だよ」とばかりに再凍結にいたったのかなぁと思っています。
 さらに、出産時も大きなトラブルがありました。後で助産師さんから聞いたのですが、一歩間違えれば、死産や脳性麻痺などの障害をかかえて生まれてきてしまうようなトラブルでした。にもかかわらず、様々なラッキーに恵まれて、元気に生れてくれたのはやはりこの子の生命力?!娘の生命力に感謝、感謝です。 子育ては20代のお母さんも40代のお母さんもやることは変わりません。出産直後から生活は変わりますし。泣きたくなることもしょっちゅうですが、子育てはとても楽しいです!
 今、治療されている方、迷っている方、浅田レディースクリニックを信じてがんばってください。私がそうでしたが、仕事と両立を心配されてなかなか第一歩が踏み出せない方も多いかと思いますが、なんとかなります!どうしても無理なら仕事は他の方でもできます!私がいうのもなんですが、年齢的なリミットが来る前に、全力投球してください。
レター

2016年02月に出産された患者さまから

掲載日:2017年10月 6日
みなさん、治療中は本当にお世話になりました。報告遅くなってしまい申し訳ありません。2月に帝王切開で出産して、バタバタと毎日がすぎ、もう5ヶ月です。他の病院で人工授精を10回してもダメで、じゃまた次にしてみようねーと前に全く進まない治療に、お金の無駄と、同じ事の繰り返しの治療で、疲れはて、1年間休んでしまいました。
 そんなとき、ずーっと子供ができなかった友達が、浅田LDCで、妊娠したと聞き、最後にもう一度がんばってみようと、通いました。私の年齢を考えるとすぐ顕微受精で始まりました。前の病院のときは、通うのもいやで、とにかく苦痛でしかありませんでした。でもしょうがない、とイヤイヤの治療でしたが、浅田LDCは楽しいというか、まったく苦痛なんて感じませんでした。先生方、看護師のみなさん、すべての方を信頼しきっていたからだと思います。
 判定日も何回もダメだったし、1度妊娠して喜んでたのも束の間、診察で、心拍が止まってると思います。と言われ、号泣したときもありました。もう一度必ず、と羽柴先生に言っていただき、治療を再開しました。その時の年齢が44歳、誕生日の45歳までがんばってそれでもだめなら諦めようと思ってました。その間も、院長や他の先生方にもう無理ですか?と何度も聞いて、あなたの場合は採卵で卵も取れるし、受精もしてるから大丈夫だと思う と言われた言葉を信じてがんばりました。そして、残り2個の受精卵の1個がひっついてくれました。6月でした。妊娠中は筋腫もあり、自宅安静がありましたが、つわりもないと言っていいほど、軽く、2月に帝王切開で出産しました。
 今45歳、もうすぐ46歳になります。子供は今5ヶ月。体力的にもきついですが、すごいかわいいです。あのとき浅田LDCに出会わなければ今の幸せはありませんでした。本当に本当にありがとうございました。先生方、いつ寝ていつご飯を食べて、いつ休憩してるんだろうといつも思ってました。お体に気をつけてくださいね。本当にありがとうございました
レター

2016年01月に出産された患者さまから

掲載日:2017年10月 6日
私は35歳の時に、卵巣腫瘍と子宮筋腫摘出の開腹手術を受けました。そして、38歳になってから不妊治療を始め、1度の採卵、2度目の移植で男の子を授かりました。子供がいない人生というのも考えましたが、自分の性格上、可能性が少しでもあるうちにできる限りのことをしておかないと、あとあと「どうしてあの時、何も行動しなかったのだろう」と後悔すると思い、不妊治療を受ける事を決めました。
 不妊治療を始める前に、「40歳になるまで、2年間頑張ろう。それで結果がでなければそこで治療はやめよう。」と、自分の中で期限を決めて治療を受け始めました。検査や服薬、採卵、移植など、初めて経験することに、その都度緊張と不安を感じましたが、悲壮さはありませんでした。それも浅田レディースクリニックのスタッフの皆様や、院内の明るく清潔な雰囲気のおかげだと思っております。
 1度目の移植で着床ならず、2度目の移植の結果待ちの時、いつもの生理前の下腹の鈍痛が始まり(今回もどうせダメだったのだろう)と、なかばふてくされて結果を聞くため診察室に入り、浅田先生に「妊娠しています」と告げられ、あまりに驚いてその後の先生の言葉が全く耳に入りませんでした。
 初診受信前説明会で、浅田先生の強い口調に圧倒されたのを覚えていますが、それは浅田先生の確固たる自信と実績があってのことで、浅田レディースクリニックに通うことができたのは、私にとってとても幸せなことでした。この場をお借りして、浅田先生、スタッフの皆様お一人お一人にお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。
 一人でも多くの方がわが子と会うことができますよう、心からお祈り致します。
レター

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