患者さまからのお手紙

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2013年6月に出産された患者さまから

掲載日:2014年6月13日
不妊治療を初めて5年。妊娠結果を聞きに行くとき、どうせダメだろう。また刺激の注射をこれから打つんだな。注射の打ち方も上手くなってきたしな。などと考えながら呼ばれた部屋に入って行くと、先生に「おめでとうございます!」と言われて妊娠検査薬の結果を見せてもらいました。
 とっさに出た言葉が「うそ!」検査結果を見せられても少しの間本当の事なのか分からなかった。すると走馬灯のように今までの治療をしている自分、旦那さんと不妊治療の間に喧嘩した事、励ましあった事などの思い出がよみがえって来て、嬉しいのに涙がごぼれて。。。トイレで嗚咽をあげて泣きました。
 今もうじき6ヶ月になる可愛い娘を見るたびにあの小さな受精卵がこんなになるなんてすごいなぁと思っています。娘は足の力が強くて脇を軽く持っていますが、スッと立ち上がったりしますヨ。
 浅田先生そしてクリニックで働いていらっしゃる皆さん本当に本当にありがとうございました。少しでも沢山の方を笑顔にさせてください。
 これから治療される方には、少しでも若いうちに妊娠を!治療を!始めてほしいと思います。いつでも妊娠できると思っていてはいけないと自分は後悔しました。
レター

2013年6月に出産された患者さまから

掲載日:2014年6月13日
「今日が一番若い」のです。
 私もいっぱい悩み、回り道をしました。自然妊娠・自然分娩するのが一番だと思ってましたが、私は体外受精で妊娠し、帝王切開で出産しました。
 婦人科系の病歴もあったり、年齢的にも若くもなかったので、正直、子供を授かるのは厳しいと思っていました。でも、浅田レディースクリニックの先生方のおかげで出産する事ができました。毎日育児に追われて気持ちに余裕も無くなっていますが、改めて思うとこんな日が来るのが奇跡のようです。
 どんな経緯であれ我が子は我が子です。育児は想像以上に大変ですが、我が子は本当にかわいいです。
 私は浅田レディースクリニックにお世話になってからは迷わず最速の方法を選び、治療して頂きました。たくさん迷うことや悩むこともあるかと思いますが、「今日が一番若い」ということを思って最善の選択をして欲しいです。
レター

2013年6月に出産された患者さまから

掲載日:2014年6月 6日
私は、昔から生理不順で、結婚する前から将来的には妊娠したいと思って、色々な病院に通っていました!治療をやめてみたり、仕事を変えてみたり、漢方薬を試したり、運動してみたりもしました!友人が、どんどん妊娠し、職場内でも妊娠している人をみて、何度も落ち込みました。
 今でも、忘れられないくらい号泣したことがあります。他医院で、やっと妊娠したと思って喜んだけど、腹腔内出血多量で入院し、その時に、子宮外妊娠がわかり卵管を切除しました。入院中、婦人科病棟で過ごしていたので、赤ちゃんの泣き声や、おめでとうございますの声が聞こえてきて、悲しかったです。
 旦那に、もう、ここでできないなら諦めたいと伝えたこともありました。そん時、旦那が、浅田レディースクリニックに通ってみようと声をかけてくれました。説明会を聞いた時、正直、焦りました。早くしなくてはと思いました。
 仕事をしていたのと、遠方の為、不安は、多くありました。ですが、とても親切丁寧で、不安な時は、電話で聞いたりしていました。それだけでも随分気持ちが楽でした。何度も、もっと早ければ良かったと思うことはありましたが諦めず通院したことが、今にいたっていると思います。
 結婚して10年かかったけど、本当に、浅田レディースクリニックに出会って良かったです。治療は、精神的な面で落ち込むことが多いと思いますが、私は、悲しいことがあった分だけ人に優しくなれると思って乗り越えるようにしていました!きっときっと、浅田レディースクリニックに通院していると、良いことがあると思います!
 私は、2人目を考えているので、またお世話になろうと思っています。
レター

2013年5月に出産された患者さまから

掲載日:2014年6月 6日
私は子宮筋腫の手術を2回していますが、今回無事息子を授かる事が出来ました。
 浅田LCは、1回目の手術の主治医の紹介で受診したのですが、その時には既に、新たな筋腫が再発しており、浅田先生からは2回目の手術を受けるよう言われました。1回目の手術から2年半程しか空いておらず、何回も手術をして妊娠、出産が出来るのか不安でしたが、浅田先生に背中を押され、2回目の手術を受けました。そして、その手術から半年後に、1回目の胚移植をし妊娠。妊娠中は、筋腫の手術によるトラブルは一切無く、予定帝王切開にて、無事息子を授かりました。
 2回目の手術は、本当に悩みましたが、受けて良かったと思います。また色々と相談にのっていただき、手術を受けるよう、優しく諭してくださった浅田先生には本当に感謝しております。私は、筋腫があったため、今まで多くの産婦人科の先生に診ていただきましたが、浅田先生ほど信頼の置ける先生は他にいないと思います。筋腫の手術や帝王切開等、可能であるならば、浅田先生に執刀していただきたかったです。
 浅田LCに通われている方、通おうか迷っている方、浅田先生を信じて頑張ってください。必ず良い結果へと導いてくださると思います。あと私は仕事をしていますが、クリニックから近いところに会社があった事もあり、採卵の時に会社を休んだくらいで、仕事と治療を両立する事が出来ました。浅田LCに通われている皆様全員に、かわいいお子様が授かる事を心からお祈りしております。(私も時機が来ましたら、グレードの良い卵ちゃん達をたくさん凍結していただいていますので、二人目、三人目をお願いしようと思っています。)
レター

2013年5月に出産された患者さまから

掲載日:2014年5月30日
初めまして・・・私は体外受精で我が子を授かった33歳の新米ママです(*^^)v
 26歳の時に卵管・卵巣の病気になり両卵管右卵巣を切除した為自然妊娠が出来ない体になり、それからは子供を産まない人生を選んでいた私。今の主人と結婚する時も一生二人で生きて行こうと決めて結婚したため不妊治療の話をしたときはスゴク喜んでくれて頑張れる事が出来ました。  浅田レディースに通い始めて2ヶ月で1回目の移植までいけましたが・・・結果・・・着床しませんでした。(体外授精・顕微授精)先生から結果を聞いたときは辛くて~でもその場では泣かなかった・・・その後病院のトイレで声をこらして泣いたこと・・・今でも鮮明に覚えています。2回目の移植までは気持ちの整理と体の事を考えて4ヶ月期間をあけました。
 そして2回目の移植で冷凍保管されてた顕微授精の受精卵を移植しました。評価はBの受精卵でしたが細胞分裂がスゴク順調で期待大でした。(移植の時はモニターで受精卵が子宮に入っていくところが見れるので感動しますよ)結果2回目の移植で妊娠する事が出来ました。
 私の場合悪阻がひどく産むまで悪阻との戦いでした・・・赤ちゃんは順調に成長しましたが35週4日の朝自宅で破水・・すぐ病院で出産かと思いきや週数が足りないから~っと薬で陣痛を止め3日間絶対安静の中35週6日目の夕方ずしりと激痛が・・・助産師さんがきて赤ちゃんがおりてきてるから分娩室に行きますって言われついに出産の時が来ました。
 私の体力が追い付かず吸引分娩での出産になりましたが無事に産むことが出来ました。25年5月 男の子 先天性異常なし産むまではどんな子が産まれてくるのかと不安もありましたがパパ似の元気な男の子が産まれてきてくれてスゴク嬉しかったです。
 不妊治療で授かった我が子・・挑戦するまでは諦めてた赤ちゃん・・自然妊娠出来ないと言われ辛かったあの日の夜も・・・1回目の移植で着床せずトイレで泣いたあの日も・・・思い出すと今でも悲しくなるけど悲しみを乗り越えて頑張って本当に良かったと思います。6ヵ月になった息子君は9キロになりました。首もすわり寝返りも得意で毎日コロコロ~一人でお座りも出来ます・・まだ完ぺきではないけど・・離乳食もモリモリ食べて完全母乳で今まで来ました。
 夜泣きもなく~いつも笑顔の息子君(●^o^●)赤ちゃんってもっと大変なのかと思ってたけど可愛さの方が優先して毎日私も笑顔で幸せです♪結婚して7年目で授かった我が子。。。けして一人でここまでこれたわけではなく主人がいてくれたから辛い日々も乗り越えれたのだと感謝しています。  不妊治療をされてる方の中には旦那様が協力的じゃない方もいると思います。でも妊娠出産するのはママなので自分だけでも気持ちに余裕をもってみてください。私も移植の日は平日だったので一人で病院に行って不安でしたが頑張りました。結果を聞きに行った日も一人でした。出産をする時も主人は立ち合いませんでしたが自分の体は自分でしかどうすることも出来ないので一人でも大丈夫でした。
 育児も主人は協力してくれますが完全母乳なので頑張っています。まずは自分が強くなる事!!相手に強要はしないこと!!そう思うようになってから毎日が気楽で育児も全く苦になりません。もちろん不安や金銭の悩み・・いろいろな事があると思いますが気持ちだけは前向きでいてくださいね(^_-)-☆私の家族や知人でも不妊治療を頑張ってる方がたくさんいるので応援しています。がんばってくださいとは言いません。皆さん頑張ってると思うので・・・応援しています。
 そして体を大切に無理しないようにしてくださいね。お酒やたばこをやめれないかもって思っている方もいるかもしれませんが赤ちゃんを守れるのはママしかいないので大丈夫!!自分が強くなれればやめれます。私もタバコとお酒が好きでしたがやめれましたからね。主人はいまだにタバコを吸ってますが・・・・(笑)皆さんに笑顔で幸せな日が訪れる事を願っています。。。
レター

2013年5月に出産された患者さまから

掲載日:2014年5月30日
私は子宮筋腫の手術を2回していますが、今回無事息子を授かる事が出来ました。
 浅田LCは、1回目の手術の主治医の紹介で受診したのですが、その時には既に、新たな筋腫が再発しており、浅田先生からは2回目の手術を受けるよう言われました。1回目の手術から2年半程しか空いておらず、何回も手術をして妊娠、出産が出来るのか不安でしたが、浅田先生に背中を押され、2回目の手術を受けました。
 そして、その手術から半年後に、1回目の胚移植をし妊娠。妊娠中は、筋腫の手術によるトラブルは一切無く、予定帝王切開にて、無事息子を授かりました。
 2回目の手術は、本当に悩みましたが、受けて良かったと思います。また色々と相談にのっていただき、手術を受けるよう、優しく諭してくださった浅田先生には本当に感謝しております。
 私は、筋腫があったため、今まで多くの産婦人科の先生に診ていただきましたが、浅田先生ほど信頼の置ける先生は他にいないと思います。筋腫の手術や帝王切開等、可能であるならば、浅田先生に執刀していただきたかったです。
 浅田LCに通われている方、通おうか迷っている方、浅田先生を信じて頑張ってください。必ず良い結果へと導いてくださると思います。あと私は仕事をしていますが、クリニックから近いところに会社があった事もあり、採卵の時に会社を休んだくらいで、仕事と治療を両立する事が出来ました。
 浅田LCに通われている皆様全員に、かわいいお子様が授かる事を心からお祈りしております。
(私も時機が来ましたら、グレードの良い卵ちゃん達をたくさん凍結していただいていますので、二人目、三人目をお願いしようと思っています。)
レター

2013年6月に出産された患者さまから

掲載日:2014年5月24日
浅田先生・羽柴先生を初め先生方・スタッフの皆様、この度無事元気な赤ちゃんを出産することが出来きました。心から感謝しています。45歳自然分娩にて出産しました。(高齢の方の少しでも励みになればと思い年齢を書かせていただきました)。
 私はこちらで治療を始める前に、2箇所で治療をしていました。一箇所目は若い頃より検診などでお世話になっていた地元の婦人科で 結婚が遅かった事もあり、当時38歳でしたが焦らなくてもいいと言われ、タイミング法・人工授精を2年もしていましたが、結果は出ませんでした。
 精神的に疲れ一年間治療もせず過ごしてましたが、やはり子供が欲しく 体外受精を試みる決断をし地元の他のクリニックにかわりました。その時の年齢は42歳です。先生からはなんでもっと早くこなかったのかと言われ 検査後、顕微授精でないと妊娠できないことがわかりショックを受けました。
 今までの無駄だった時間に泣けましたが、とにかくすぐ顕微授精を試みました。卵も少ないながらもグレードが最上級によく、一つを移植し一つを凍結することにしました。妊娠しましたが袋が大きくならず稽留流産でした。そしてグレードが高かったにも関わらず凍結はできなかったとの報告で辛い思いをしました。
 このクリニックでは、その後良い結果がでず、43歳で妊娠した人はうちには居ないと言われ、浅田レディースクリニックに駆け込みました。(その時 AMHが0.35ng/ml)そして約一年(44歳)で卒業を迎えることとなりました。ですが、最初から順調というわけではなく、急遽行われた一回目は採卵日に卵ではなかった。と言われ、二回目は採卵日に排卵していると言われました。
 正直、心機一転で頑張ろうと思った時に卵ではなかったと言われ、先生方の意見の違いに精神的にかなり不安定になりましたが、看護士の吉田さんが話をじっくり聞いてくださり不安を取り除いてくださいました。そんな時、出産報告の手紙を読んでいて「先生方は私たちが妊娠できるようお手伝いをして下さっている」というような文面をみて「はっ」としました。
 私は今まで先生任せで頼りきっていたんだと・・・。そしてその日から気持ちを切り替えました。自分の体のことは自分が一番よくわかっているので、それからは希望や思いも伝えることにしました。先生方も聞き入れてくださり、その後、良い方向へと導き始めました。年明けから再度スタートしましょうと言われてましたが、生理が少し早まり年末で最終採卵日が決まっていたため、ギリギリ間に合うか間に合わないかの瀬戸際日程でしたがお願いし、先生も一つでも育って取れればいいが・・・と言われていたのが、最終的には6つも育っていて尚且つ全て採卵していただきグレードも最上級でした。(今までは最高3つ)
 最初の移植では妊娠しましたが、卒業間際に流産し 二回目の移植も妊娠しましたが、流産。最後の一個の卵が元気に育ってくれて、今回無事出産することが出来たのです。今もですが旦那が単身赴任で近くに居ないと言うこともあり 治療中は精神的にかなり不安定になりました。
 その中で 心に残っているのは 五十嵐先生の診察の時、この小さな卵も絶対採りたいと力強く言って下さった言葉がうれしくて、ありがたくて 冷え切っていた心が温かくなった日のことを今でも忘れません。初めて心強く穏やかな気持ちになりクリニックをあとにすることができた日でした。心のこもった言葉が私の心の支えでもありました。人それぞれ色々な思いはあると思いますが、先生方やスタッフの皆さんの技術を信じて頑張ってほしいです。そして元気な赤ちゃんが授かりますよう心より願っています。
 最後に・・・私はエアロビクスで体を柔軟かつ体力をつけストレス発散してましたが、浅田レディースで治療をして頂けたことはもちろんのこと、DHEA及びサンビーマーは私にとって素晴らしいもになりました。 本当にありがとうございました。
レター

2013年7月に出産された患者さまから

掲載日:2014年5月24日
私は顕微鏡受精の後、平成25年7月に男の子の赤ちゃんを出産することができました!
 治療を進めていくうちに顕微鏡受精しか子どもを授かることができないとわかり、ショックでしたが、それでも可能性があるなら!と決意しました。それまでには時間もお金もたくさんかかりましたが、浅田レディースクリニックに出会え、たくさんの人に支えられながら赤ちゃんを授かとができたことを本当に感謝しています。
 友だちに赤ちゃんができるたび焦ったり‥どうしてうちだけ‥と落ち込むこともありました。また仕事をしながらの治療だったので帰りが夜遅くなることも多くヘトヘトになることもありました。しかし家族や職場の理解もあり励ましてくれたり、話を聞いてくれたこと、そして赤ちゃんがほしいとゆう強い気持ちが諦めることなく治療を続けることができました!
 いろんな気持ちや治療を乗り越えてきたので精神的にも強くなり、「育てていくんだ」「私たちが守っていくんだ」と強く思えるようになったんだと思います。辛いことも、心が折れそうになることも、理解してもらえないこともあると思います。でも少しでも可能性があるのなら挑戦してほしいなと思います。親になる準備期間をくれているんだと思って。
 同じ悩みを持っている人がたくさんいることを忘れないでください。浅田レディースクリニックの皆様本当にありがとうございました☆
レター

2013年4月に出産された患者さまから

掲載日:2014年5月16日
浅田レディースクリニックの皆様、治療中は大変お世話になりありがとうございました。切迫早産や妊娠高血圧症候群で長期の入院生活でしたが、H25年4月に無事に男児を出産いたしました。
 わたしは自身が産婦人科に勤務しているということもあり、結婚当初はまさか自分が不妊治療を受けることになろうとは思ってもみませんでした。実際治療を受け始めてからも、年齢が23歳だったということもあり人工授精まで進めばすぐにできるだろう、ぐらいに軽く考えていました。しかし現実は甘くなく、わが子をやっと授かったのは採卵4回胚移植7回目でのことでした。
 浅田レディースクリニックでの2年半ほどの間、赤ちゃんにまで成長してくれる卵にいつ出会えるのか誰にも分からない先の見えない不安、サンビーマーや真夏でもレッグウォーマーで足元を冷やさない工夫など自分に出来うる限りの努力をしてもまた生理がくる悲しみ、頑張っても頑張っても、毎回妊娠判定で陰性の用紙を渡されるつらさは、わが子を授かった今思い起こしても、本当に苦しくてこころがつぶれそうでした。
 経済的にもゆとりはなく、仕事は休めませんでしたが、採卵後に卵巣が腫れ、腹水が溜まった際は、嘔吐や気分不良等の症状がひどく一週間ほど休暇をとりました。職場に復帰する際に菓子折を持って行こうと選んでいる時、自分が好きで休んでいるわけでもない、旅行に出かけられるわけでもない休暇なのに、なんでこんなに職場にも気をつかってわたしだけが苦しい思いをしなければならないの、とポロポロ涙がこぼれました。先生方も一生懸命治療方針や刺激方法を考えトライしてくださるのに、毎回のように妊娠に至らず、そのたびに病院からの帰りの車の中で泣きました。
 「わたしが夜勤で自己注射の時間をきっかり守れなかったからいけなかったの?夜寝る時にちょっとでも冷えちゃったからいけなかったのかもしれない、赤ちゃん、わたしのお腹に戻すまでは一生懸命生きていたのに、お腹に戻したらしんじゃった!わたしのお腹じゃ嫌だったんだ!」と夫に泣き叫びました。
 それでも夫は自分のつらさは全く表に出さず、わたしの話を聞き、休みの日には自然の中に連れ出してくれたり、動物に触れ合わせてくれたりと、わたしが少しでもこころの平穏を保てるように一緒に頑張って支えてくれました。ある時は一冊の本を見せてくれ、中にはこう書いてありました。「赤ちゃんたちは、自分のお母さんを自分で選んでやってくるよ。健康に生まれるためには、長い列に並んで順番待ちをしてじゃないとお母さんに会えないんだよ。早く会いたいなあって思うけど、元気に家族みんなですごすために並んでくるよ。」治療でつらいときは、その言葉を思い出して、はやく赤ちゃんに選んでもらえるように、なるべく笑って明るく過ごせるようにつとめました。そのときは心身ともにやはり無理をしていましたし、本当にストレスに押しつぶされそうでしたが、今、こんなかわいい、何よりもいとしい命に出会い、辛い治療を乗り越えた先にこんな幸せが訪れたことに、感謝しています。
 先が見えない恐怖とたたかうこと、治療をやめる勇気もなければ続けることも苦しいという辛さがありましたが、やはり、あきらめなくてよかったです。これから治療を始められる方、現在一生懸命治療されている方へ、自分がひとりぼっちではないこと、同じ思いをしている方がたくさんみえること、そしてあきらめないで頑張ってよかった、あの辛い毎日で挫折しなくてよかったと思ってみえる方もたくさんいるのだとわたしは思います。
 みなさまにも、素晴らしい命が授かり、幸せな日々が訪れますよう、心からお祈りしています。浅田レディースクリニックのスタッフの全ての方へ、本当に、ありがとうございました。またお世話になるときには、よろしくお願いいたします。
レター

2013年7月に出産された患者さまから

掲載日:2014年5月16日
最初の説明会で2年をめどで赤ちゃんを授かるのをめざして治療しています。と言う言葉を信じて不妊治療を始めることにしました。
 治療を始めるにあたっての徹底された検査のおかげで、私はタイミング療法を一度だけし、すぐに体外受精の準備にはいりました。とてもトントン拍子に治療が進み、通い始めて4ヶ月で妊娠することができました。
 最初はアンチミューラホルモン値が1.38と低く、子宮内膜症のせいて両方の卵巣が腫れていたりで、本当に私も赤ちゃんを授かることができるか心配でした。私は、こちらの病院にかかる前に一年ほど排卵日検査薬を使用していた為、おそらくピックアップ障害かもしれないということで体外受精への移行が早かったです。まず、卵巣の腫れを治療し、その後、一度目の体外受精で妊娠することができ、順調に赤ちゃんも育ってくれて出産することが出来ました。
 治療を始めるからには専念しようと思い、仕事のスケジュールも治療を優先にしました。とにかく、先生方を信じて治療を初めて良かったと思っています。
レター

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