患者さまからのお手紙
2013年6月に出産された患者さまから
掲載日:2014年5月24日
浅田先生・羽柴先生を初め先生方・スタッフの皆様、この度無事元気な赤ちゃんを出産することが出来きました。心から感謝しています。45歳自然分娩にて出産しました。(高齢の方の少しでも励みになればと思い年齢を書かせていただきました)。
私はこちらで治療を始める前に、2箇所で治療をしていました。一箇所目は若い頃より検診などでお世話になっていた地元の婦人科で 結婚が遅かった事もあり、当時38歳でしたが焦らなくてもいいと言われ、タイミング法・人工授精を2年もしていましたが、結果は出ませんでした。
精神的に疲れ一年間治療もせず過ごしてましたが、やはり子供が欲しく 体外受精を試みる決断をし地元の他のクリニックにかわりました。その時の年齢は42歳です。先生からはなんでもっと早くこなかったのかと言われ 検査後、顕微授精でないと妊娠できないことがわかりショックを受けました。
今までの無駄だった時間に泣けましたが、とにかくすぐ顕微授精を試みました。卵も少ないながらもグレードが最上級によく、一つを移植し一つを凍結することにしました。妊娠しましたが袋が大きくならず稽留流産でした。そしてグレードが高かったにも関わらず凍結はできなかったとの報告で辛い思いをしました。
このクリニックでは、その後良い結果がでず、43歳で妊娠した人はうちには居ないと言われ、浅田レディースクリニックに駆け込みました。(その時 AMHが0.35ng/ml)そして約一年(44歳)で卒業を迎えることとなりました。ですが、最初から順調というわけではなく、急遽行われた一回目は採卵日に卵ではなかった。と言われ、二回目は採卵日に排卵していると言われました。
正直、心機一転で頑張ろうと思った時に卵ではなかったと言われ、先生方の意見の違いに精神的にかなり不安定になりましたが、看護士の吉田さんが話をじっくり聞いてくださり不安を取り除いてくださいました。そんな時、出産報告の手紙を読んでいて「先生方は私たちが妊娠できるようお手伝いをして下さっている」というような文面をみて「はっ」としました。
私は今まで先生任せで頼りきっていたんだと・・・。そしてその日から気持ちを切り替えました。自分の体のことは自分が一番よくわかっているので、それからは希望や思いも伝えることにしました。先生方も聞き入れてくださり、その後、良い方向へと導き始めました。年明けから再度スタートしましょうと言われてましたが、生理が少し早まり年末で最終採卵日が決まっていたため、ギリギリ間に合うか間に合わないかの瀬戸際日程でしたがお願いし、先生も一つでも育って取れればいいが・・・と言われていたのが、最終的には6つも育っていて尚且つ全て採卵していただきグレードも最上級でした。(今までは最高3つ)
最初の移植では妊娠しましたが、卒業間際に流産し 二回目の移植も妊娠しましたが、流産。最後の一個の卵が元気に育ってくれて、今回無事出産することが出来たのです。今もですが旦那が単身赴任で近くに居ないと言うこともあり 治療中は精神的にかなり不安定になりました。
その中で 心に残っているのは 五十嵐先生の診察の時、この小さな卵も絶対採りたいと力強く言って下さった言葉がうれしくて、ありがたくて 冷え切っていた心が温かくなった日のことを今でも忘れません。初めて心強く穏やかな気持ちになりクリニックをあとにすることができた日でした。心のこもった言葉が私の心の支えでもありました。人それぞれ色々な思いはあると思いますが、先生方やスタッフの皆さんの技術を信じて頑張ってほしいです。そして元気な赤ちゃんが授かりますよう心より願っています。
最後に・・・私はエアロビクスで体を柔軟かつ体力をつけストレス発散してましたが、浅田レディースで治療をして頂けたことはもちろんのこと、DHEA及びサンビーマーは私にとって素晴らしいもになりました。 本当にありがとうございました。
私はこちらで治療を始める前に、2箇所で治療をしていました。一箇所目は若い頃より検診などでお世話になっていた地元の婦人科で 結婚が遅かった事もあり、当時38歳でしたが焦らなくてもいいと言われ、タイミング法・人工授精を2年もしていましたが、結果は出ませんでした。
精神的に疲れ一年間治療もせず過ごしてましたが、やはり子供が欲しく 体外受精を試みる決断をし地元の他のクリニックにかわりました。その時の年齢は42歳です。先生からはなんでもっと早くこなかったのかと言われ 検査後、顕微授精でないと妊娠できないことがわかりショックを受けました。
今までの無駄だった時間に泣けましたが、とにかくすぐ顕微授精を試みました。卵も少ないながらもグレードが最上級によく、一つを移植し一つを凍結することにしました。妊娠しましたが袋が大きくならず稽留流産でした。そしてグレードが高かったにも関わらず凍結はできなかったとの報告で辛い思いをしました。
このクリニックでは、その後良い結果がでず、43歳で妊娠した人はうちには居ないと言われ、浅田レディースクリニックに駆け込みました。(その時 AMHが0.35ng/ml)そして約一年(44歳)で卒業を迎えることとなりました。ですが、最初から順調というわけではなく、急遽行われた一回目は採卵日に卵ではなかった。と言われ、二回目は採卵日に排卵していると言われました。
正直、心機一転で頑張ろうと思った時に卵ではなかったと言われ、先生方の意見の違いに精神的にかなり不安定になりましたが、看護士の吉田さんが話をじっくり聞いてくださり不安を取り除いてくださいました。そんな時、出産報告の手紙を読んでいて「先生方は私たちが妊娠できるようお手伝いをして下さっている」というような文面をみて「はっ」としました。
私は今まで先生任せで頼りきっていたんだと・・・。そしてその日から気持ちを切り替えました。自分の体のことは自分が一番よくわかっているので、それからは希望や思いも伝えることにしました。先生方も聞き入れてくださり、その後、良い方向へと導き始めました。年明けから再度スタートしましょうと言われてましたが、生理が少し早まり年末で最終採卵日が決まっていたため、ギリギリ間に合うか間に合わないかの瀬戸際日程でしたがお願いし、先生も一つでも育って取れればいいが・・・と言われていたのが、最終的には6つも育っていて尚且つ全て採卵していただきグレードも最上級でした。(今までは最高3つ)
最初の移植では妊娠しましたが、卒業間際に流産し 二回目の移植も妊娠しましたが、流産。最後の一個の卵が元気に育ってくれて、今回無事出産することが出来たのです。今もですが旦那が単身赴任で近くに居ないと言うこともあり 治療中は精神的にかなり不安定になりました。
その中で 心に残っているのは 五十嵐先生の診察の時、この小さな卵も絶対採りたいと力強く言って下さった言葉がうれしくて、ありがたくて 冷え切っていた心が温かくなった日のことを今でも忘れません。初めて心強く穏やかな気持ちになりクリニックをあとにすることができた日でした。心のこもった言葉が私の心の支えでもありました。人それぞれ色々な思いはあると思いますが、先生方やスタッフの皆さんの技術を信じて頑張ってほしいです。そして元気な赤ちゃんが授かりますよう心より願っています。
最後に・・・私はエアロビクスで体を柔軟かつ体力をつけストレス発散してましたが、浅田レディースで治療をして頂けたことはもちろんのこと、DHEA及びサンビーマーは私にとって素晴らしいもになりました。 本当にありがとうございました。

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