患者さまからのお手紙

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2017年11月に出産された患者さまから

掲載日:2020年1月17日

わたしは結婚してすぐに子どもはできると思ってました。結婚して2年たった頃に、タイミングを取ろうと思っても、生理が不順過ぎて、いつが排卵日なのかもわからずで、とりあえず近くの婦人科に行きました。そこで、本当に子どもが欲しいのなら不妊治療専門の浅田レディースクリニックに行った方が良いと言われました。
最初は不妊治療の病院⁉まさか私が?行けばすぐにできるだろう!と言う軽い気持ちで通い始めました。幸い自転車で通える距離にクリニックがあり、知り合いも通っていたので、いいかなー!程度でした。特に検査も引っかからず、最初のタイミングで妊娠しました!しかしまさかの9週目で流産。その後もまた、治療を始めますが妊娠せず、人工受精4回、ついに体外受精にまで進む事になりました。
体外受精で50個も採卵できて、初めての移植で妊娠!すごい‼浅田レディースクリニック‼しかし21週目で死産。その後も一度流産して、今回の妊娠で24週目で出産しました。子宮頚管無力症でした。2回流産、1回死産、今回超低出生体重児で出産。たくさん辛いことも多かったですが、今は、死ぬほど幸せです。浅田レディースクリニックでは嬉しい事も、人生で1番辛い事もありました。でもいつも優しいお医者様、看護師さん、受付の方のおかげで、いつも通いやすくてありがたかったです。結局2,3年通う事になりましたが、嫌な事は全然なかったです。そしてこんな素晴らしい宝物を下さった、クリニックに心から感謝しています。
わたしも治療するのに迷いました。でもやらなかったら絶対に後悔すると思ったので始めました。やるだけやって、できなかったら別の道を考えようと思いました。人生一度きり!やるだけやってみたらどうでしょうか?

レター

2018年2月に出産された患者さまから

掲載日:2020年1月10日

浅田先生をはじめ、クリニックの先生方、スタッフの皆様本当にありがとうございました。感じのいい方ばかりで本当にありがたかったです。
結婚して少し経った頃、家の近くの病院で念のため夫婦で受けた検査で重度の男性不妊が判明し、自然妊娠は無理・顕微授精でしか可能性はないと言われました。(ふりかけ方式すら無理だろうと言われました)専門の先生がいると紹介された大学病院での検査では、精子の数がゼロ。顕微授精をする日にこの結果だと顕微授精すら出来ないと言われ、泣きながら家に帰りました。
不妊治療をするなら病院選びが重要だと感じ、浅田レディースクリニックを受診しました。初診はなんと浅田先生!これまでの夫の検査結果、私の検査結果を確認しながら「うん、大丈夫大丈夫。この結果なら顕微授精でいけるよ。」とおっしゃって下さいました。万が一、採卵日当日の精子数がゼロでも、事前に元気な精子を凍結保存しておくことで顕微授精が可能という説明もして下さいました。この時の仏様のような先生の顔は今でも忘れられません。幸せ配達人、兼、仏様。
顕微授精が出来ることが嬉しくて、それからは不妊治療というよりも「妊娠へどんどん近づいている」という気持ちが強く、クリニックへ通うのが楽しみでした。クリニックにはいつもたくさんの患者さんがおられ、勝手に勇気づけられました。2回目の移植で陽性をいただき、無事出産することが出来ました。
子供はかわいくてかわいくて・・・でも数十年前なら、私はこの子を抱くことは出来なかったのだと思うと浅田レディースクリニックの皆様には感謝の気持ちしかありません。クリニックに通うのは楽しみな私でしたが、それ以外の時間は鬱々とした気持ちや悲しみ、恐怖、イライラ、無気力感に支配されることもありました。しかしそんな時は、出来る治療がある幸せや今ある幸せを思い出し、感謝の気持ちで心を満たすように心がけました。
クリニックの待ち時間に、みなさんの体験談を読むのが好きでした。幸せな文章に力をもらって、いいイメージを持ちながら頑張ることが出来ました。ここで授かって無事に出産して、いつか体験談をかける日が来たら・・・そう思っていたことが実現し嬉しく思います。浅田レディースクリニックの皆様、お体に気を付けてこれからもたくさんの方に幸せを届けてください。きれいなラボでまだ眠っている妹か弟ちゃんを、いつかお迎えに行きたいと思っていますのでよろしくお願いいたします。

レター

2018年1月に出産された患者さまから

掲載日:2020年1月10日

不妊治療をはじめてから4年目にやっと子供を授かることになりました。はじめ通っていた病院では全く成果がでずに1年すぎ、1年は精神的に辛くて病院に行くのをやめました。
浅田レディースクリニックに通い始めたときはこれでダメならあきらめようという気持ちでした。子供を授かるのにこんなに苦労するとは思いませんでした。治療をはじめるまでは夫と何度も話し合いし、始めた後は精神的に落ち込み八つ当たりすることもありました。当時私は自分だけが注射をしたり病院に通ったりで嫌な思いをしていると思い込んでいました。
夫婦がうまくいってなかったら子供を授かる以前に、本末転倒なのにいつの間にかそれもわからなくなりかけていたじきもありました当時夫も夫で同じように苦しんでいたようです。自分のせいで痛い思いをさせて申し訳ないという気持ちが強かったみたいです。いつのまにか私は自分が悲劇のヒロインみたいな感情を抱いてました。親子つれとか見ると私にはあのみらい待っていると思ったり、やっぱり無理だと思ったり。でも、なるようにしかならないと思ったら少しだけらくになりました。
不妊治療の勉強はある程度していたつもりでしたが病院によってそこまで差がでるとはおもいませんでした。最初の病院で裏切られた感じがあったので、先生を信じていいのか不安もありましたが、本当に通ってよかったです。もっと早くに、少し遠くてもこちらの病院に通っていたら、時間もお金も無駄に過ごすことはなかったのにと今でも考えることもあります。
自分がなにを望むのか。全ての人がうまくいくわけではない。だから不安で不安で仕方なかったし、とにかく子供を授かることに固執していました。その不安の期間が少しでも短くなるように病院は慎重に選ぶべきだと思います

レター

2018年3月に出産された患者さまから

掲載日:2020年1月10日

2人目不妊です。1人目はすぐ妊娠できたのに、いざ兄弟ができたらなと思ったら毎月規則正しく生理がきてしまう。1人目が3歳のとき、他のクリニックでタイミングをみてもらったものの妊娠せず、ステップアップをすることに勇気がもてず2年がたってしまいました。
夫と専門のクリニックにみてもらおうと浅田レディースクリニックの説明会に行ったのが一昨年の夏です。治療を始める前の検査でも特に異常は見つからず。結果的には顕微授精をしたものしか受精しなかったので受精障害があったのかもね、と先生には言われました。それなら今回受精できたのだから、きっとすぐ妊娠できる。はじめての凍結胚移植でもかなりの人が妊娠すると聞いていましたし、移植する卵の映像もかなり良い状態と説明があったので期待したいたものの撃沈。それから3回、かすることもなく陰性。待合室で涙をこらえるのに必死でした。
そうして5回目。冷凍保存していた卵を解凍して培養するとなったときに、初期胚を2つ移植してみようということになりました。このうちのひとつが育ってくれて、妊娠出産することができました。妊娠中、つわり以外では目立ったトラブルもなく、すくすく育ってくれました。元気な男の子です。目もよくあいますし、あやすとよく笑います。3ヶ月入ってすぐに寝返り、まだ4ヶ月になっていませんがずり這いもはじめていて、体を動かすのは得意な子のようです。
移植周期では少しでも確立がアップできたら...と、ウォーキングやYouTubeを見ながらヨガ、足つぼ、足湯、妊娠をのぞむ女性にオススメなサプリといろいろ手をだしましたが効果なく。結局、もう一回採卵になるのかな...とかなり落ち込んでほとんど何もしなかった月に妊娠がわかりました。ストレスもすごい月でした。しいていえば、鍼灸院に通い始めました。ただそれが良かったのかはわかりません。でも、1人問題なく妊娠して産んでいるにもかかわらず、今回は顕微授精でなければ受精しなかったこと、体にわかる範囲では問題がないのに着床すらしなかったことを考えると、クリニックで治療しなければいまもこの子を抱けてはいなかったのでは...と思います。
どうしてステップアップするのがあんなに怖かったのか。たしかに治療費のこともありますし、自分で注射したり、ときには3日に一度通院しなければならなかったりで生活は大変になります。浅田さんに行くまで2年も立ち止まってしまいましたが、それでもあのとき一歩進んで良かったです。先生方、すばらしい技術をもった方々だと思います。ほかのスタッフのみなさん、とても親切で素敵な方たちです。なかなか妊娠できないと不安になってしまいます。この病院でいいのかな?このやり方でいいのかな?これも結果論にすぎないのかもしれませんが、でも、私は浅田レディースクリニックに通ったからやっと妊娠できたって思います。

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2017年12月に出産された患者さまから

掲載日:2020年1月10日

別のクリニックで不妊治療を開始したのは20代前半でした。周りからは「まだ若いから大丈夫」という言葉を何度も何度もいろんな方から言われました。私自身も最初はそう思っていました。
けれど1年が経ち、2年が経ち、、、気付けば4年の月日が経っていました。肉体的にも精神的にも経済的にもとても辛かったです。周りからかけられる優しい声がいつしか受け入れられなくなっていました。そんな時に、知人からこちらのクリニックを勧められ通院することに。
これまで通院していたクリニックとは全く違う治療方針に、不安よりも期待の方が大きかったと思います。先生方を信じてまた前を向いて頑張ろう!そう思えました。そして、体外・顕微授精、移植を繰り返し、6回目の受精卵2個移植で、やっと、やっっと1個が着床してくれました。念願の妊娠判定。涙が止まらなかったのを覚えています。
そこからも不安は尽きませんでしたが、浅田レディースクリニックに通院し始めて1年、無事に卒業できました。先生方をはじめスタッフのみなさんには本当に本当に感謝しかありません。その後はいろんな壁がありましたがなんとか乗り越えて無事出産までいきました。我が子を初めて抱いた喜びと感動は一生忘れません。
これから治療を始められる方、治療を始めようか迷っている方、現在治療中の方。辛いこと、乗り越えなければいけないことがたくさんあるかと思います。痛いくらいわかります。辛い時は無理しないでください。私は頑張れとはとても言えません。私自身があまりかけて欲しくない声だったので。どうか、こちらの体験記ファイルを手にとって読んでくださっている方に、可愛い可愛い赤ちゃんがやってきますように。

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2017年11月に出産された患者さまから

掲載日:2020年1月 4日

浅田先生をはじめ、先生方、スタッフの皆様、この度は本当にありがとうございました。
私は2人目不妊でお世話になりました。1人目は特に治療をしていませんでしたが、2人目を望んでから1年経っても妊娠する気配がなく、元々10代の頃から月経不順だったこともあり、地元では有名な不妊治療クリニックを受診しました。そこで両側卵管閉塞と診断され、すぐに体外受精を勧められチャレンジすることにしました。その時32歳でした。しかし、1度目の採卵では1つしか採れず、その唯一の卵は受精しませんでした。2回目は刺激しても卵が育たず採卵中止、3回目は1つ採卵でき受精し移植しましたが陰性に終わりました。
1回採卵する度に1~2周期お休み期間を設けられ、あっという間に治療を始めて1年が経っていました。4回目の採卵をお願いしようとしていた時に「あなたにはもう良い卵子がないので難しい」と説明され、絶望的な気持ちになり先が全く見えない治療に対するモチベーションも下がり、2人目は諦めようかと悩みに悩みました。しかしその時33歳で年齢的にもどうしても諦めきれず、ネットで色々情報収集し浅田レディースクリニックを知ることとなりました。
体験記などを読み、ここに通えばうまくいくかもしれないと希望の光が見え、早速説明会を予約し参加しましたが、同じ不妊治療クリニックでも技術に大きな差があるという話は衝撃でした。初診時は浅田先生に診て頂き、大変心強い言葉をかけて下さったことを思い出します。
浅田レディースクリニックでの治療は本当に満足いくものでした。治療スケジュールや薬のことなど、しっかりと説明を受けた上で治療が進み、不安になることはありませんでした。それまで殆ど採れなかった卵も1度の採卵で10個以上採れ、約半数が胚盤胞まで育ちました。期待しすぎてはいけないと自分に言い聞かせながら臨んだ初めての移植で見事陽性となり、そのままあっという間に卒業することができました。
浅田レディースクリニックはすんなり卒業させて頂きましたが、その後切迫早産で長期入院し1ヶ月入浴もできず食事も寝たままの辛い寝たきり生活を送りそのまま早産で出産し、子供は暫く入院していた為、産後も連日朝から病院通いの生活が続きました。今振り替えると、妊娠するまでも、妊娠してからも、出産してからも本当に大変な日々でした。どの時を思い出しても、もう2度と経験したくないと思ってしまいますが、その分隣で寝ているこの子は可愛くて可愛くて本当に愛おしい存在です。それまで大変な思いをした分、育児で思うようにいかなくても気楽に対応できるようになりました。
転院することは仕事との両立等で随分悩みましたが、悩んでいる時間がもったいないと思い切って転院して大正解でした。こんなにも可愛い子を授けて下さり感謝の気持ちでいっぱいです。どうもありがとうございました。

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2017年11月に出産された患者さまから

掲載日:2020年1月 4日

私は30歳で結婚しました。すぐに子供は欲しかったので、基礎体温をつけてなんとなくタイミングをとっていました。なかなか授からないなーと思ってたころ、友人に誘われて浅田先生のセミナーに参加しました。そのときにAMHのことを知り、友人と一緒に検査を受けました。予想に反して結果は思わしくないものでした。ただ、まだ若かった事もあり、人口受精や体外受精には抵抗があったので、別の産婦人科でタイミング療法をはじめました。今思えばこの時浅田レディースさんにかかっていれば、もっと早く子供が授かれたかも。。と後悔してます。
検査は一通り受けて、問題なかったし、仕事が忙しかった事もあり、なかなかステップアップできずに、気づけば2年ほどたっていました。34歳になっていましたが、なかなか授からないし、疲れた事もあり、少しお休みすることにしました。その間も基礎体温をつけ、排卵日にはタイミングをとっていました。毎回生理が来るたびに悲しくなり、夫婦2人での未来もありかなーと考えるようになっていました。そんなときに妹が結婚、すぐに妊娠しまして、やっぱり最後にもう一度頑張ろう。と諦めきれない自分がいました。そして、私の中で選択肢は浅田レディースさんしかありませんでした。
2016年の8月から治療をスタートし、人口受精を2回、その後体外受精にステップアップしました。採卵は一度に3個程しか取れず、やはりAMHの結果の通りだなぁーと思いました。採卵は怖かったですが、まったく痛みもなく、もっと早くすればよかった。。と思いました。そして、2017年の3月に初めての胚移植で見事成功!移植のときには上手くいったからね!と声をかけてもらい、涙が出たのを覚えています。妊娠してからは悪阻もなく、なんのトラブルもなく順調にマタニティーライフを楽しみ、2017年11月に帝王切開(逆子)で元気な女の子を出産しました。
私の場合、結婚してすぐにAMHの検査をしていたのにも関わらず、随分遠回りしてしまった事をとても後悔しています。今は無事我が子に会えて、感謝の気持ちで一杯です。本当にありがとうございました。
これから治療を始める方へ、私が言うのも何ですが、ステップアップは早い方がいいと思います。いろいろ不安だと思いますが、とても丁寧に診察して下さいますし、相談にものってもらえます。自己注射もきちんと指導して下さいます。働きながら治療される方はなかなか時間を取ることが難しいかもしれませんが、今は不妊治療に対しても意識が変わってきています。私は会社の上司(男性です)に相談して時間を融通してもらいました。周りの方にも力を借りながら、後悔の無い治療をしてください。

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2018年1月に出産された患者さまから

掲載日:2020年1月 4日

バセドウ病の影響で生理が止まり、その後無月経の状態となり、最初に受診した不妊治療のクリニックでは早発閉経で排卵していないので、治療は無理ですと言われました。落ち込んでいる中最後の望みをかけ浅田レディースクリニックへ受診しました。最初の検査でAMHは0と聞き、もう無理なんだなと思ったところ、先生から厳しい状況だが、AMH0で妊娠した人もいるし、頑張りましょう!妊娠がもう無理と言った医者はおかしいと言われ、とても心が救われました。
薬や注射でのホルモン治療で、割りと早い段階で一つ採卵することができました。その後の治療では排卵がみられず、治療途中で大病をしてしまい治療を中断せざる状況になりました。そのとき治療中断することがとても不安でしたが、先生に相談したら病気を治して元気になったら、また頑張りましょう!と言って頂き、安心して病気を治すことに集中することができました。
病気療養後治療を再開し、卵胞が2、3個とれたら移植と言われていましたが、治療開始から2年以上経っていたこともあり、卵胞一個でしたが移植することになりました。失敗したらもう後がなく、ダメもとでの移植。期待しすぎるとショックが大きいと思い、できたら奇跡、ダメならこれからは自分の自由な時間を楽しもうと思い移植に臨みました。移植後はダメもとと思いつつ、結果を聞くまでとても不安な毎日でした。妊娠を聞いたときは驚きと嬉しさのあまり涙してしまいました。一度は諦めもう無理だと思っていましたが、浅田レディースクリニックに出会えて本当によかったです。
厳しい状況でも患者に寄り添い、試行錯誤でいろんなアプローチをしてくださった先生方、スタッフの方々にはとても感謝しております。治療を迷われている方は後悔しない為にもぜひ治療に挑戦して欲しいと思います。100%良い結果となるかはわかりませんが、浅田レディースクリニックは患者の現状を的確に伝えてくれます。そして厳しい状況でも諦めずに最後まで向き合ってくれる病院だと思います。

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2017年12月に出産された患者さまから

掲載日:2020年1月 4日

1人目の採卵で受精した凍結胚を戻して2人目を授かり無事に出産することができました。
子宮内膜症や卵巣嚢腫のため、結婚して7年子どもに恵まれませんでした。他院で不妊治療を4年しましたができず、浅田レディースクリニックに転院して半年で1人目を妊娠しました。1人目で卒業するときに、2人目を考えているなら産後一年でまたおいでと言われ、一年後に通院を再開しました。そして胚移植の1回目で2人目を授かることができました。また2人目も長くかかるかもしれない、もしかしたらできないかもしれないと思いながらの治療だったので本当に信じられませんでした。
1人授かるだけでも私には奇跡のようですが、二人の子どもたちが今家でじゃれあっているのを主人と、数年前には考えられなかったことだね、と深く感謝しながら温かく眺めています。
最後の通院のときに、羽柴先生が長く沈黙され、カルテを前のページまで戻って見てくださり、こういう治療があなたには合っていたのかもしれないね。と、言ってくださいました。総括みたいにコメントしてくださるとは思わず、とてもうれしかったですし、今まで自分の体に対してなんでなんだろうともやもやしていたものがすっきりして、とても納得できました。私にとっては、浅田レディースクリニックの治療方針や方法がうまくいったのだと思います。浅田レディースクリニックに通うまでは、なかなか一歩が踏み出しにくかったのですが、私は通院して授けていただけたので本当によかったと思っています。
子どもが授からなくて絶望し、諦める前に名古屋で一番のこのクリニックに通って、それでもだめなら諦めもつくかなと通院を始めました。同じ思いの方には、ぜひ一度通ってみてほしいと思います。浅田レディースクリニックのすべてのスタッフの方に感謝しています。子育て頑張ります。

レター

2017年11月に出産された患者さまから

掲載日:2020年1月 4日

私は33歳で結婚してすぐ子供がほしいとは思っていたものの身内の不幸が続きとても子作りする状況ではなく、本格的に子作りを考えた頃にはもう35歳になっていました。
前々からある子宮筋腫もどんどん大きくなっていき、このままの状態でも子供はできるといわれましたが、なかなかできず、36歳の時にまず手術をしました。その半年後からやっと治療をはじめよう!と思い近くの産婦人科で診てもらい、タイミングからはじめました。それでもできず、年齢もあったので本格的にやるなら先進医療で診てもらおう!と思い色々探していたら浅田レディースクリニックさんをみつました!
偶然にも家から近く通いやすいと思い、説明会に行き、お話を聞いて焦りました!もっと早くこればよかったと!経済的な不安もありましたが、旦那さんと話し、やるだけやってみよう!と通いはじめました!
正直姉が2人いて、2人ともすぐ子供ができていたので私も結婚したらすぐできるものだと思っていました!そしてタイミングではできなかったので人工授精からはじめ、3回...全然できず不安な気持ちになりました!この際なら早くステップアップした方がいいとアドバイスいただき、体外受精、顕微授精へ!自己注射や採卵と辛い時期もありました!えっ!自分のお腹に注射刺すの?!とビビリな私は驚きの連続でした!そして1回目の移植で妊娠できました!
出血もあり、8ヶ月から切迫早産で出産まで入院で産まれるまでは本当に不安な日々でしたが、無事に出産できました!出産がゴールではなくスタートだと本当に今は感じています。毎日子育てに追われて大変ですが、愛おしいです!浅田レディースクリニックに通って不安になる事もありましたけど、信じて通って治療して本当に良かったと感謝してます!!まだ凍結卵が残っているのでまたお世話になりたいと思っています!ありがとうございました!
これから治療を始められる方、現在治療をされている方、迷っている方、先生を信じて自分を信じてできるところまでやるだけやってみて下さいね!皆さんに幸せな宝物が届きますように☆

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