患者さまからのお手紙

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2011年1月に出産された患者さまから4

掲載日:2011年9月 2日
 「妊娠した人のメッセージ」 私は通院しているとき読みたくない、も読もうかなと複雑な気持ちをいだいていました。
 今も書いても良いのかなと思っています。なぜならそこには複雑な思いがありますし、自分もつらかっただけに簡単に言葉にできない思いがあるからです。
 治療、通院はそれだけでとてもつらいものです。悩んでいる人しかわかりません。私自身誰にも言いたくないとかかえこんできました。
 ただいつも考えて出す結論は、<後悔したくない>でした。
 後悔しないように選択してください。そして自分を責めず、人をねたまず。笑顔を忘れないでください。みんなかけがえのない人ですから。
 浅田先生羽柴先生、関係者の皆様その節は大変お世話になりました。
 ふたごの妊娠はたいへんで、出産前には11月から1月まで入院し手術し、生まれてからも育児が大変です。
 最近4カ月になり少し楽になってきました。どうか体に気をつけてください。
 本当にありがとうございました。
レター

2011年3月に出産された患者さまから3

掲載日:2011年9月 2日
 浅田先生、スタッフの皆様、治療中は大変お世話になりました。
 3月17日に、無事元気な女の子が誕生しました。私は、一人目から浅田レディースクリックに2年間通っていたのですが、途中主人の転勤で大阪に行く事になり大阪の不妊治療クリニックに通い、顕微授精にて男の子を授かりました。
 一人目を授かるまでに2年以上かかり、まわりの友達や親戚がどんどん子宝に恵まれ追い越されていくにつれ、なんで私だけ・・・という思いが強く、本当にあのころは泣いてばかりいて精神的に追い込まれていました。
 そんな中、同じ悩みをかかえ不妊治療で子供を授かった友達がいたので、話を聞いてもらうことが出来、辛さを理解してもらえる友達がいたから、辛くても頑張ってこれたんだと思います。
 治療中は、私には子供ができないんじゃないか・・・と何度もくじけそうになり、不妊治療はやったことがある人にしか大変さは分からないと思います。
 精神的にも、金銭的にも、肉体的にもつらいものです。でも、今では2人の子供を授けていただき、あの時本当に諦めなくて良かったとつくづく思いますし、今はあの辛さは嘘のように、今はとても幸せでいっぱいです。
 二人目は、上のやんちゃな子を連れでの通院だったので大変でしたが、顕微授精移植3回目で妊娠する事が出来ました。
 浅田レディースクリックの皆様には、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
 上のお兄ちゃんも、赤ちゃんをとても可愛がってくれています。2か月になった娘も、目が見えるようになり笑顔も増え可愛くてしかたないです。
 治療中の皆様も、辛い思いをされてると思いますが、必ず授かる事を信じて先生を信じて頑張ってください。最後に、本当に有難うございました。
レター

2011年4月に出産された患者さまから1

掲載日:2011年8月26日
 現在43才、この度4月9日に無事男の子を出産することができました。
 浅田L.Cにお世話になる前、他院で5回の顕微受精をしましたが、いずれも妊娠することなく、先の見えない治療に心身とも疲れ、一時は治療を止めてしまっていました。
 そんな時エチカの鏡で浅田先生のことを知り、悔いは残したくない、最後にもう一度だけこの先生の所でがんばってみて、ダメだったらあきらめようと思い、浅田L.Cに通い始めました。
 結果的には治療期間1年2カ月、6回の顕微授精で3回の着床、高齢なのもあり2回の流産を経て、今回の出産に到りました。
 治療中は精神的につらいことも多々ありました。移植後の陰性判定、着床の喜びもつかの間、心拍が止まってしまって流産手術、何度も涙しました。
 子供がいる生活だけが全てじゃないと、主人と2人だけの家族の在り方、幸せとは何か、いかに生きていくかを考えながらの治療でもありましたが、今この腕にわが子を抱くことができた喜び・感動は忘れられません。
 このクリニックを開業して下さった浅田先生、自分のことのように一緒に悲しんだり喜んで下さった羽柴先生、そして一番お世話になった佐野先生、他看護師さん、培養士さん、他スタッフ皆さんのおかげだと、どれだけ感謝してもしきれない思いでいっぱいです。
 そして涙しながらも信じて頑張った自分と、支えになってくれていた主人にも感謝です。
 他院は一か所しか知りませんが、採卵数、受精卵の質・数、着床率からみても、浅田L.Cは質の高い治療を提供して頂いていると思います。いつも忙しくて大変そうですがお身体に気をつけて、これからもたくさんの人に幸せを配達して下さい。
 本当にありがとうございました。
レター

2011年3月に出産された患者さまから3

掲載日:2011年8月26日
 今回、11年目にして子供を授かることができ、本当に幸せを感じています。
 3年前に体外受精で妊娠できず、金銭面からあきらめていましたが、今回35歳ということで最後のチャンスにかけてみたら、なんと1回目の体外受精で妊娠することができました。
 3年前には気持ちだけがあせっていていろんな複雑な気持ちもあり、何で妊娠できないのか毎回結果を聞くたびに落ち込むだけでした。
 今回は最初からあきらめモードだったから、とても気楽に病院に通うことができ、注射にかよう時も趣味ではじめた自転車で気分を変えて通ってみたり、とにかく3年前には考えられないような気持ちでいられたことがよかったのかもしれません。
 よくあきらめるとできるという人もいますが、それでも、我が家はできなかったのでやっぱ迷信なんだなと思っていましたが、気持ちの問題なのかなとも思いました。
 あまりに思いつめると悪いほうにばかり考えてしまい、いいことはないと思います。
 すこし休んでみたり、気分転換をしたりしてみるのもひとつの手だと私は思います。
 もう一人欲しいと思っているので、次回も浅田レディースにお願いしたいとおもっています。
レター

2011年2月に出産された患者さまから6

掲載日:2011年8月19日
 「体外受精」と聞くと、芸能人や有名人しかしていないような、自分とは縁遠い治療法だと思っていました。
 でも、検査の結果、自分には体外受精でしか妊娠できないだろうとわかり、先生の勧めもあって、通院3回目くらいから、体外受精にむけて治療を始めました。
 実際その治療を受け、浅田レディースに通院して半年、超スピードで第一回目の融解胚移植でみごとに妊娠、無事に元気な女児を出産することができました。
 治療中には仕事を持ちながら時間の融通をきかせなくてはいけなかったので、通院も負担にはなりましたが、早く結果を出したい思いで、なんとか乗り切ることができました。
 まさか自分が体外受精で子供を授かることになるとは思ってもみませんでしたが、今、隣でスヤスヤ眠っている3か月の娘の寝顔をみていると、「ああ、挑戦してみてよかった。
 子供を産むことができてよかった」としみじみと思うのです・・・。
 今、治療を迷っている方へ・・・迷っている間にも時間は過ぎて、歳をとり、卵子の数が減っていきます。過去に戻ることはできないのだから、前を向いて、自分と先生方を信じて治療をスタートしていったほうがいいと思いますよ。
 一日もはやく良い結果がでますように・・・。
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2011年3月に出産された患者さまから2

掲載日:2011年8月19日
 浅田先生をはじめスタッフの皆様のお力添えのおかげで二回目の体外受精で子供を授かることができました。本当にありがとうございました。
 これから治療を始められる方、また、現在治療中の方、不妊症は、そうでない方からはなかなか理解してもらえず、出口のないトンネルのような不安で心細い気持ちだと思います。
 難しいかもしれませんが、なるべく明るく前向きに治療に臨んでください。先生方も協力してくださいます。
 これを読まれている旦那さん、奥さんの悩みを聞いてあげてください。
 話を聞いてあげるだけでも奥さんの気持ちが軽くなりますよ。夫婦で協力して乗り越えていってください。
 浅田レディースクリニックに通院されている方はみんな同じ目標を持った同志だと思います。どうか一人でも多くの方が幸せになれますように。
レター

2011年3月に出産された患者さまから2

掲載日:2011年8月12日
 浅田LCの皆様、大変お世話になりました。
 3月に帝王切開でしたが無事女の子を出産できました。結婚後8年も経ち、ほとんどあきらめていた妊娠でしたが、治療2年4度目の顕微授精で子供を授かる事ができました。
 3度目の移殖で陽性反応がでたものの化学流産でとても辛く、もうだめかと思っていましたが、あと1つの受精卵があったので、最後にしようと移殖して頂くことにしました。
 最後だから出来る限りの事をしようと、岩盤浴へ行ったり、運動をしたりしましたし、引っ越しのため仕事もやめてリフレッシュしました。
 その効果があったかどうかは分かりませんが、無事妊娠、出産できました。
 治療は辛い時もありますが、諦めたらそこで終わりだと思います。あまり頑張り過ぎず、たまにはリフレッシュし、身体を温めると良いかと思います。
 先生方、看護婦の方々、いつも温かいお言葉を掛けて頂き本当にありがとうございました。
レター

2011年2月に出産された患者さまから5

掲載日:2011年8月12日
 結婚後なかなか子供ができず、クリニックを受診したところPCOSのため不妊症とわかり、治療をはじめました。
 治療は、肉体的にも精神的にも金銭面でも苦痛と困難がありましたが浅田先生が言われた「妊娠・出産に比べたらなんでもない(たしかこんなニュアンスのことを言われました)」を、信じてすごしました。
 おかげさまで34歳のとき人工授精で第1子を、37歳に体外受精で第二子を授かることができました。たしかに、悪阻は辛く出産については×××。
 しかし、不妊治療のおかげと言っては変ですが私には幸せな苦痛でした。それもこれも、妊娠できたからだと思えたからです。
 現在、上の子供の赤ちゃん返りと下の子供の授乳などのお世話でまともに寝れない日々ですが幸せにすごしています。
 浅田レディースクリニックの先生・スタッフの皆さん本当に本当にありがとうございました。
 そして、治療中の皆さんの幸せをお祈りしてます。
レター

2011年2月に出産された患者さまから4

掲載日:2011年8月 5日
結婚してすぐ妊娠しましたが、心音を聞く前に切迫流産。そして、流産しました。
 一度妊娠したんだからと2年が過ぎ、3年、4年が過ぎました。不妊治療は、もっとひどい人がやることと自分は大丈夫だからきっと自然に妊娠すると簡単に思っていました。
 仕事のせいで妊娠できないと思い仕事をやめ、1年過ぎても妊娠せず主人と話をし、不妊治療をしようと決めました。
 私は、どうやら 卵ができにくいみたいで タイミング法から人工授精をとばして体外受精をおこないました。
 卵がとれたのは、5つ。そして受精卵へとなったのは2つでした。
 私は、その受精卵となったうちの1つを体へかえしてもらい、無事妊娠することができました。
 女性のからだの中にできる卵子は、年をとるごとに砂時計のように減っていくということを説明会で初めて知りました。もっと早く知ることができれば、もっと早い治療ができたと思っています。  不妊治療は、自分には関係ないことだと思っていました。
 まわりから何度も「きっとできるって」と言われ、そんな簡単なものじゃないと思いながら、言われるたびに ずきずききてました。
 大変だとは思いますが、頑張ってください!!
レター

2011年2月に出産された患者さまから2

掲載日:2011年8月 5日
 結婚10年目で、やっと子供が産まれました。男の子です。
 一度、体外受精で双子ができましたが、16周で死産となりました。とても辛い日々が続き中々再チャレンジができませんでした。兄弟がほしいところですが、時間的に難しい状態です。
 説明会に行き、結婚して2年過ぎても子供ができないときは、不妊治療を行うべきと聞いたときは、ショックでした。
 近くの総合病院で不妊治療を行いましたが全く意味がなく、問題ないのでそのうち出来るといわれました。
 不妊治療の専門医院で始めた途端、原因も分かり、即治療となりました。今思うと、もっと早くから不妊治療専門の病院に行くべきだったと思います。
レター

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