患者さまからのお手紙
2024年12月に出産された患者さまから
私は自分の年齢やいろいろな都合から、タイミング法や人工授精などは一切行わず、最初から体外受精を選択しました。夫と交際を始めた時点で既に38歳でした。交際を始めた時点でお互い子供が欲しいことを確認し、自分の年齢からはおそらく体外受精でないと子供は難しいと思われることを話したところ、お互い医療関係者だからかもしれませんが、不妊治療についての同意はすぐ得ることができ、2人そろって同じ思いで治療にむかえたことは良かったと思っています。
入籍するまで1年くらいかかりそうだったので、入籍するまで治療開始を待つのは時間の無駄と思い、入籍前の事実婚の状況でも治療を引き受けてくださる施設がないか、入籍直後に仕事の関係でしばらく別居婚になってしまう(当時は夫婦ともに関東に住んでいましたが、入籍直後に私は海外、夫は東海地方に転居予定)ため、なるべく早めに受精卵凍結だけでもしたかったこと、また、関東から東海地方へ移住しても同じ施設で一貫して治療を受けられる所がないか検討していた際に、浅田レディースクリニックでは事実婚での治療を受けてくださること、同じ施設間であれば受精卵の輸送を行ってくださるとお聞きし、こちらにお世話になることに決めました。
最初は品川のクリニックで採卵・受精卵の凍結まで行いました。その後で入籍し、私が仕事で半年ほど日本にいなかったため治療はできませんでした。帰国してから品川クリニックで治療開始しましたが、1度目の治療で幸い妊娠はでき、いったん卒業したものの、転院先の初回の診察で、稽留流産となってしまいました。妊娠することは決して簡単なことではないとは分かってはいましたが、それまで比較的順調に治療が進んでいたためショックでした。その時点で妊娠9週だったため、悪阻で食事があまり取れない状況でしたが、ある時、ふと少し食べられるようになっており、後から思えば、その時、おなかの赤ちゃんの心拍は止まってしまったのではないかと思います。
流産そのものは非常にショックでしたが、何よりも流産してから次の治療に至るまで半年くらいかかってしまい、時間がどんどん過ぎていくのも焦りました。二度と流産は経験したくないと思い、治療前にPGT-Aを受けられないか相談させていただきましたが、日本の学会の規定上、まだPGT-Aを受けることはできないとのことでした。二度目の移植前に東海地方に転居し、その間に受精卵を品川から名古屋へ輸送いただき、その後は名古屋のクリニックでお世話になりました。幸い、2回目の移植でも妊娠できましたが、妊娠できてからも喜びというよりはまた流産してしまうのではないかと常に不安でした。このときの妊娠で無事に出産まで至り、現在、息子は生後5か月となりました。
浅田レディースクリニックに出会わなかったら、こんなにかわいい息子に出会うことはなかったと思います。遅い時間帯や土曜日も診察していただけることで、仕事をあまり休まずに通院できたこと、転居しても治療を継続できたことは本当に助かりました。エコー室の天井にモニターがあって、診察中もエコーの様子が見れることも嬉しかったです。夫と一緒に子供の成長を見守る機会を与えてもらえたことに本当に感謝いたします。
浅田レディースクリニックの先生方・スタッフの皆様、本当にありがとうございました。

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