患者さまからのお手紙

2023年4月に出産された患者さまから

掲載日:2024年3月29日

私が浅田レディースさんに通い始めた当時、色々な検査を受けた結果、AMHがわずか2しかなく、甲状腺の数値が低く橋本病があることがわかりました。リウマチも患っていましたので、最初にこれらの診断を聞いた時は絶望で泣きました。何で自分だけこんなに不幸なんだろう?と。しかしそういった診断が事前に分かっていたおかげで、人工授精が何度かダメだった時、早めに次のステップを踏む決断をすることができました。
正直なところ治療期間中はとにかくがむしゃらで、辛いことばかりで心の余裕は一切ありませんでした。道行く子供を見たり、姪っ子に会う事すら辛かったです...採卵もボロボロで、私の場合はエコーで平均20個の卵胞が見えていても、最終的に凍結できたのは毎回4つだけでした。他の人は一度の採卵で多くを凍結できるのに、なぜ私だけが毎度一回の移植分だけなのか、そしてその後なぜたった一つも胚盤胞にならないのか...毎日毎日検索し、四六時中考えていました。
リセットが来る度に家に引きこもり、昼夜逆転。今振り返ると本当に良くない行動でした。その後ようやく移植できることになりましたが、エストラーナを使用しても内膜が育たず、移植が延期されたこともありました。この時期に暇さえあれば他の人の不妊治療体験談を読み漁っていたのですが、「不妊治療は終わりの見えないトンネル」という言葉をよく目にしました。そうは言っても、やはりそれぞれの終着点があります。いつか絶対何かしらの形で終わりは来ます。
治療をやめ夫婦で生きていく人、妊娠する人、限界まで転院を繰り返す人、養子縁組を望む人...多くの人の体験談を読んで、冷静さを取り戻せたと思います。移植日には、(次ダメでも色んな選択肢がある)と自分に言い聞かせれていたので、それまでで一番精神的に安定していたと思います。そして移植数日後のことです。人生初めての胚盤胞ができたと知り、飛び跳ねて喜び、いくらかかっても卵子凍結をすると決めました。そして移植も成功し、ずっと真っ白だった検査薬に初めて線が出ました。主人と抱き合い泣いて喜んだ事は一生忘れません。
今、上の子は3歳になりました。人生初の胚盤胞になった子は数年後に移植し、今年出産し、今は沢山ミルクを飲んで成長しています。不妊治療は諦めずに頑張れば何とかなるといったものではありません。辛い辛い治療を乗り越えた先がいつも望む結果とは限りません。勿論どの道にも幸せは待っています。だけど子供を望む人は一時でも早く何かしらの治療を始めて欲しいです。金銭面や時間や世間体など、悩む要素はたくさんあるかもしれませんが、子供を望むなら一日でも早く浅田レディースさんに行くべきです。少なくとも、ボロボロ数値だった私でも子供を妊娠出来ました。浅田レディースさんで治療が出来なかったら難しかったと思います。
改めまして、本当にありがとうございましたm(_ _)m私の体験談が少しでもお役に立つと嬉しいです。皆さん、心より応援しています。

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