患者さまからのお手紙

2022年12月に出産された患者さまから

掲載日:2024年2月16日

私は42歳で結婚、43歳で治療を始めました。出産はあと1ヶ月で46歳になろうとする45歳の時でした。いま8ヶ月の娘の母です。言葉に尽くせないほど愛おしい存在です。妹も40歳で高齢出産をしていて、こちらを受診していたのが決め手です。トータルで2年の期間お世話になりました。途中、お休み期間(6ヶ月)を挟みました。
はじめから顕微授精を行い、採卵は5回移植は7回。採卵して、受精卵を得られたのは9個、6個、2個、4個、5個です。余剰胚は胚盤胞まで育つことが多かったです。それでも、連続6回擦りもしない移植の結果にやっぱりダメかと落ち込み、高い漢方や、サプリメントや、針治療に手を出したりもしました。全て長続きしません。(元々ズボラな性格で、きちんと続けられた試しはありません。)
信じたのはチーム浅田と、受精卵のチカラだけでした。PGTAも、着床の窓も調べませんでした。そこにお金をかけるなら、一度でも多く移植したかったからです。途中6ヶ月のお休みを挟んだのは、さすがにメンタルが参ってしまい、自分がしていること全部がアホらしく思えてしまった時でした。結果、気分転換ができ、初心に戻り授かればラッキー、くらいの気持ちになりました。
趣味のフルマラソンを走ったその週に移植をした子が今の娘です。お酒も好きで、晩酌でビール350mlを1~3本頂いていました。食事も制限していません。体型は標準体重付近。浅田先生の講演で拝聴した、主役はたまご。本当でした。着床後、出血が多くてダメかなと思いましたがしっかりと娘はしがみついていてくれました。
45歳差の母娘。世間がどう言おうと、この子が私の年齢をものともせず生きることを選んだ。この事実だけでしょう。この先の不安がないわけではありませんが、少しでも娘と一緒にいられるように元気に長生きしようと思います。私を母にしてくださったチーム浅田に感謝しかありません。最後の移植の時に、羽柴先生が『まだしていないことがあるなら』と新しい薬を投入してくれました。また、フルマラソンとのスケジュールを考えてくださり、移植のタイミングをずらしてくださいました。たくさんの偶然が重なり授かりました。羽柴先生はじめたくさんの先生方におせわになりました。
同じような歳の治療中の方へ。どうか後悔がないように治療を受けてください。私は46の誕生日までに授からなければ諦めるつもりでした。撤退もありです。心が疲れたら休むのもありです。好きなことをしている時に授かるという言われは案外あるかもしれません。お酒を勧めるわけではないけど、無理してるくらいならちょっと飲んじゃえ。晴れて浅田LCを卒業する日を願っています。

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