患者さまからのお手紙
2020年05月に出産された患者さまから
私は、一生、子を持つことはできないのだと諦めていました。結婚前から、子を授かりたかったが、恵まれずに40歳になりました。旦那は私より10歳若く、結婚する前から、子どもはできないかもしれないと、何度も話していました。それでも、結婚して間もなくして、「不妊治療をしないと離婚する。」と、言われました。 いつか、お金を貯めて、養子をもらおうとまで話していたのに、やはり自分の遺伝子を持った子が欲しくなったようです。その気持ちを知り、仕事が落ち着くのを待ち、しっかり上司に話してから、不妊治療を始めました。
その時を待ってる間に40歳になってしまい、もう焦っても仕方がないので、浅田レディースクリニックさんに身を任せて言われるがままに通いました。人工受精は一度行い、妊娠に至らず、旦那との話し合いの末、すぐに体外受精に移行できないのか、浅田レディースクリニックさんに聞いてみて!と言われ、相談したところ、じゃあそうしましょう!と受け入れていただけました。
費用のことも当然大変ですし、自分で注射を打ったり、ホルモン剤を飲んだりで、蕁麻疹ができてしまって、酷い痒みに襲われた日もありました。それでも新しい命を授かりたく、頑張りました。卵子を採取した日は、麻酔で眠気がなかなか抜けず、看護師さん達に心配されましたが、ギリギリまで寝かせていただき、その後は電車で無事に帰宅しました。本来なら、帰りは、できれば家族の方の付き添いがあれば安心なようで、私は大丈夫だと思い、一人で挑んでしまいました(笑)
数日後(なに分一年以上前のことで、記憶が曖昧です)受精卵ができました!と話され、まるで他人事のように感じました。映像で、それを見せられ、近い内に子宮に入れますと言われ、そのときに、「あなたの場合、年齢的なこともあり、双子でも良いのならば、二つ子宮に入れる方法もあります。」と話され、旦那と話し合い、二つ受精卵を入れることにしました。数日後受精卵を入れたときは、全く痛みは無く、モニターでその様子を観察し、子宮に二つ、白い小さな卵を入れたのが見えました。それからまた変わらない生活を送っていましたが、生理のような出血があり、旦那に、「妊娠できなかったかも?」と話し、浅田レディースクリニックさんにも連絡しました。
「次の検診までお待ちください。」と電話で言われ、諦めながらも、妊娠の可能性もあると思い、ノンカフェインにするなど、健康には気を付けて過ごしました。診察日になり、妊娠検査を行いました。呼ばれて部屋に入ると、「妊娠おめでとうございます!」と言われて、夢でも見てる感覚でした。嬉しさと不安と、過度に期待してはいけないような思いが入り交じって、素直に喜べず、高齢だし、もしものことも考えておこうと思い、冷静になっていました。ある程度大きくならないと、エコーに写らないとのことで、それから、少し日が空いてからの診察でした。
その間にも出血があり、ダメかと思いました。それでも診察日に診てもらうと、お腹に居ますよ!と、言われ、もの凄く嬉しく思いました。ただ、一人しかおらず、双子ではありませんでした。それでも、人生初めての妊娠は嬉しく、慎重に、でも、仕事は続け、出産の日を待ちました。会社では、とても大切にされ、幸せな妊婦生活でした。コロナの影響もあり、予定より数日早めに産休に入り、(実際には欠勤になりますが)急に仕事をしなくなったせいか?妊娠高血圧症になってしまいました。それまでは低血圧気味だったので、自分が高血圧になるなんて、思いもしませんでした。
出産でお世話になった、大同クリニックでは、早めに出産しようと、39週目に入院し、陣痛促進剤を打ちましたが、出産に至らず、帰宅しました。次は40週末まで、自然に陣痛が来ず、入院して、陣痛促進剤を2日続けて打ち、出産となりました。ものすごく痛かったです。無痛分娩をしたかったのですが、自宅から近くの大きな病院は、大同クリニックしか無く、そこでは無痛分娩はやってませんでした。周りに相談すると、高齢出産で、体外受精なんだから、近くの大きな病院にしなさい!と言われました。生まれた子は女の子でした。出産2日目位に、黄疸が出て、すぐに入院になりましたが、次の日には、数値が下がりました。そのときに動脈菅開存症が発見され、今も3ヵ月に1度くらい、通院してますが、そんなに悪い状態では無く、成長曲線を辿って大きくなっています。
旦那も子煩悩を発揮してますし、色々やってくれます。うちの娘は、よく笑い、よく泣き、よくしゃべる(声を出す)子です。とにかく可愛いです。長くなりましたが、手段があるのならば、子孫は残すべきです。本当に人生が明るくなります。ありがとうございます。

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