患者さまからのお手紙
2015年11月に出産された患者さまから
掲載日:2017年6月 9日
45歳の誕生日を目前とした出産となりました。
こちらの病院にお世話になろうと決めたのは、2年ほど前、別の病院で治療をしていた頃、検査の数値がどんどん悪くなってきたのがきっかけです。年齢の限界をつきつけられ、一度だけ、子供のように、大声を上げて、ただただ泣きました。泣いて泣いて泣ききって、そのときに、転院を決めたのです。いま、やれるだけやらなければ、一生後悔してしまうから、とにかく、結果はどうなろうとも、やれるだけのことは全部やろうと、そう思ったのです。
フルタイムで仕事をしている私にとっては、なかなか厳しい選択でしたが、この1年間だけは、どこにどう、何回頭を下げてでも、とにかく、治療を優先しようと決めての転院でした。43歳6か月でした。
6回続けての採卵。そして移植。陽性が確認されてからの診察は、正直に言えば、エスカレータの前で、回れ右をして帰ってしまおうかと、何度も思いました。陽性と言われたままならば、私はまだ「ママ」でいられるけれど、診察をして、流産ですねと言われてしまえば、その幸福な時間も終わってしまう。それが怖くて怖くて、本当に、病院のドアの前にいながら、何度も帰ってしまおうかと思っていました。
そんな中、心拍が確認できた時には、本当に本当に信じられない思いで、涙があふれてしまいました。診察が終わって、ビルを出た時に、満開に咲き誇ったピンクの桜と、その枝の間から広がった鮮やかな青空が忘れられません。
あの桜から1年がたち、今、目の前に、にこにこと笑う小さなわが子を胸に抱き、一緒に桜吹雪の中をお散歩しています。44歳という年齢で、こんな幸せを授けていただけたこと、先生方をはじめとする皆様には、ただただ感謝しかありません。あの不妊治療の時間は、私には必要な時間だったように思います。あれがあるから、これから何があっても、乗り越えらえる気がしています。
本当に、ありがとうございました。多くの皆様に、この幸せが訪れますように。
こちらの病院にお世話になろうと決めたのは、2年ほど前、別の病院で治療をしていた頃、検査の数値がどんどん悪くなってきたのがきっかけです。年齢の限界をつきつけられ、一度だけ、子供のように、大声を上げて、ただただ泣きました。泣いて泣いて泣ききって、そのときに、転院を決めたのです。いま、やれるだけやらなければ、一生後悔してしまうから、とにかく、結果はどうなろうとも、やれるだけのことは全部やろうと、そう思ったのです。
フルタイムで仕事をしている私にとっては、なかなか厳しい選択でしたが、この1年間だけは、どこにどう、何回頭を下げてでも、とにかく、治療を優先しようと決めての転院でした。43歳6か月でした。
6回続けての採卵。そして移植。陽性が確認されてからの診察は、正直に言えば、エスカレータの前で、回れ右をして帰ってしまおうかと、何度も思いました。陽性と言われたままならば、私はまだ「ママ」でいられるけれど、診察をして、流産ですねと言われてしまえば、その幸福な時間も終わってしまう。それが怖くて怖くて、本当に、病院のドアの前にいながら、何度も帰ってしまおうかと思っていました。
そんな中、心拍が確認できた時には、本当に本当に信じられない思いで、涙があふれてしまいました。診察が終わって、ビルを出た時に、満開に咲き誇ったピンクの桜と、その枝の間から広がった鮮やかな青空が忘れられません。
あの桜から1年がたち、今、目の前に、にこにこと笑う小さなわが子を胸に抱き、一緒に桜吹雪の中をお散歩しています。44歳という年齢で、こんな幸せを授けていただけたこと、先生方をはじめとする皆様には、ただただ感謝しかありません。あの不妊治療の時間は、私には必要な時間だったように思います。あれがあるから、これから何があっても、乗り越えらえる気がしています。
本当に、ありがとうございました。多くの皆様に、この幸せが訪れますように。

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