患者さまからのお手紙
2014年4月に出産された患者さまから
掲載日:2015年11月27日
結婚直前にチョコレートのう胞が見つかり、一番の治療法と言われた妊娠を望んでいましたが、男性不妊もあり、1年半後に手術。担当医の勧めで、浅田レディース名古屋駅前クリニックへ。
AMHが0.56ng/ml(当時30歳)であることがわかり、人工授精2回。エストロゲンリバウンドショート法1回。クロミッド法10回。卵が育たないため、飲み薬主体の刺激で1回に1~3個の採卵。顕微授精。受精しないことも、分割しないこともしばしばで、受精卵が3~4個貯まったら移植。胚移植5回(3回目で陽性反応も9週で繋留流産。4回目、5回目は受精卵2個移植)。
この体験記の更新を毎週待って、自分と同じような方がいないか、もしいたら少しでも希望が持てるのではないかと、読んで捜したものです。浅田先生の著作も何度も読みました。毎月の採卵、受精卵が貯まったら移植、そして2週間後の結果待ち。いつもいつも頭の中は治療のことばかり。流産をした時には、諦めようと思いましたが、主人の強い希望で再び採卵から挑戦。5回目の移植で2度目の陽性反応。胎嚢を2つ確認した時には、驚きと喜び、そして流産した経験から大きな不安もありました。
不安は的中し、3日後に生理のような出血。土曜日の夜でしたが、HCGを打って頂いていた産婦人科の先生に診て頂き、切迫流産で即入院。吐き悪阻や唾液悪阻などのひどい悪阻も始まり、1ヶ月の入院を余儀なくされました。その後、水腎症にも悩まされ、悪阻は7ヶ月頃まで続きました。さらに切迫早産でNICUのある出産予定の病院に出産までの2ヶ月間入院。それでも36週までなんとかお腹に居てもらって、帝王切開で出産。無事に2人が生まれたものの、子宮が大きくなりすぎて縮まらず、出血が止まらなくなり、5Lの輸血。子宮摘出は回避して頂き、カテーテルによる処置でなんとか止血。私はICU、子供たちはGCUと、会いに行くことも授乳することもできない状態に。それでも、子供たちは日に日に成長してくれ、長男とは2日間母子同室の入院と同時の入院を。小さいながら飲みの良い長女は、10日後に退院しました。2ヶ月間実家で生活し、その後自宅へ。
今、9ヶ月を過ぎて、体重が10.5kg、9.5kgとかなり大きく育っています。もちろん治療も大変でしたが、それよりも妊娠中が大変、それよりも出産が大変、それよりも育児が大変と、いつも「過去」より「現在」が大変なこの3年間でした。本当に育児は大変で、あんなに望んだ我が子なのに、半年間は可愛いと思う時もない程でした。最近は、一時を思えば楽になったかな、と思います。
妊娠を諦めていた頃を思うと、私たちの前に子供たちがいることが不思議な感じで、2人が泣いていても思わず、フッと微笑んでしまいます。きっと、今までのいろいろなことは、大変な子育てをやり遂げられるように、私に与えられた試練だったんだと思います。これからも試練はたくさんあると思いますが、家族が力を合わせて乗り越えて、それ以上に楽しいことも分かち合って生きていきたいと思います。
浅田先生はじめクリニックの皆さまには、お礼を伝えることもできず、申し訳ありませんでした。本当にありがとうございました。通っていた2年間は短くはありませんでしたが、嫌な思いをしたことはありません。それは、皆さまのたくさんの気遣いが感じられたからだと思います。これからも、皆さまにはお身体に気をつけて頂き、とても素敵なお仕事を続けてほしいと思います。
これを読んでくださっている方が、少しでも希望を持って治療に励められますように・・・。
AMHが0.56ng/ml(当時30歳)であることがわかり、人工授精2回。エストロゲンリバウンドショート法1回。クロミッド法10回。卵が育たないため、飲み薬主体の刺激で1回に1~3個の採卵。顕微授精。受精しないことも、分割しないこともしばしばで、受精卵が3~4個貯まったら移植。胚移植5回(3回目で陽性反応も9週で繋留流産。4回目、5回目は受精卵2個移植)。
この体験記の更新を毎週待って、自分と同じような方がいないか、もしいたら少しでも希望が持てるのではないかと、読んで捜したものです。浅田先生の著作も何度も読みました。毎月の採卵、受精卵が貯まったら移植、そして2週間後の結果待ち。いつもいつも頭の中は治療のことばかり。流産をした時には、諦めようと思いましたが、主人の強い希望で再び採卵から挑戦。5回目の移植で2度目の陽性反応。胎嚢を2つ確認した時には、驚きと喜び、そして流産した経験から大きな不安もありました。
不安は的中し、3日後に生理のような出血。土曜日の夜でしたが、HCGを打って頂いていた産婦人科の先生に診て頂き、切迫流産で即入院。吐き悪阻や唾液悪阻などのひどい悪阻も始まり、1ヶ月の入院を余儀なくされました。その後、水腎症にも悩まされ、悪阻は7ヶ月頃まで続きました。さらに切迫早産でNICUのある出産予定の病院に出産までの2ヶ月間入院。それでも36週までなんとかお腹に居てもらって、帝王切開で出産。無事に2人が生まれたものの、子宮が大きくなりすぎて縮まらず、出血が止まらなくなり、5Lの輸血。子宮摘出は回避して頂き、カテーテルによる処置でなんとか止血。私はICU、子供たちはGCUと、会いに行くことも授乳することもできない状態に。それでも、子供たちは日に日に成長してくれ、長男とは2日間母子同室の入院と同時の入院を。小さいながら飲みの良い長女は、10日後に退院しました。2ヶ月間実家で生活し、その後自宅へ。
今、9ヶ月を過ぎて、体重が10.5kg、9.5kgとかなり大きく育っています。もちろん治療も大変でしたが、それよりも妊娠中が大変、それよりも出産が大変、それよりも育児が大変と、いつも「過去」より「現在」が大変なこの3年間でした。本当に育児は大変で、あんなに望んだ我が子なのに、半年間は可愛いと思う時もない程でした。最近は、一時を思えば楽になったかな、と思います。
妊娠を諦めていた頃を思うと、私たちの前に子供たちがいることが不思議な感じで、2人が泣いていても思わず、フッと微笑んでしまいます。きっと、今までのいろいろなことは、大変な子育てをやり遂げられるように、私に与えられた試練だったんだと思います。これからも試練はたくさんあると思いますが、家族が力を合わせて乗り越えて、それ以上に楽しいことも分かち合って生きていきたいと思います。
浅田先生はじめクリニックの皆さまには、お礼を伝えることもできず、申し訳ありませんでした。本当にありがとうございました。通っていた2年間は短くはありませんでしたが、嫌な思いをしたことはありません。それは、皆さまのたくさんの気遣いが感じられたからだと思います。これからも、皆さまにはお身体に気をつけて頂き、とても素敵なお仕事を続けてほしいと思います。
これを読んでくださっている方が、少しでも希望を持って治療に励められますように・・・。

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