患者さまからのお手紙

2013年12月に出産された患者さまから

掲載日:2015年5月22日
 クリニックに通っている頃は、この手紙のコーナーを見ては自分と似た境遇の人が子どもを生んでいることに励まされていました。ですから、今頑張っている方たちの励みになればと思い、お手紙します。
 私は34歳で結婚し、子どもを生むことは全く考えていませんでしたが、夫と話し合ううちに「子どものいる生活」もよさそうだなあと変化していきました。その頃、働きながら夜間の専門学校に2年間通っていたので、妊娠は学校を卒業してからとも思っていました。36歳になり、生理時の出血があまりにひどいので近所の婦人科にかかったところ、「子宮筋腫がある」とのこと。「5センチ大で、妊娠に影響があるかどうかはチャレンジしないことには分からない」と言われました。私事であと数ヶ月は妊娠にチャレンジしないがそれでも大丈夫か尋ねると、「何を言っているんですか。年齢のこともあるし、一日も早くチャレンジしないと」と言われました。
 子宮筋腫は3-4人に一人はあると言われていますが、自分の身に起こったことはとてもショックでした。後日別のクリニックを訪ね、妊娠に向けた治療を開始することにしました。そのクリニックの先生はとても温和で、こちらの気持ちを聞きながら患者のペースで治療を進める方でした。数回のタイミング法を経る頃に、排卵誘発剤の使用をすすめられましたが、私が気乗りしないでいるとそのままタイミング法で様子を見るという感じで、あまりはっきりとしたことを言われないまま1年近く過ぎていきました。
 そろそろステップアップをすべきなのか? 何も具体策が出ないままそのクリニックを去るとき、自分たちの気持ちが変わるのに必要な時間だったんだと考えるようにしましたが、もっと早く決断していれば、と考えないではいられませんでした。
 浅田レディースクリニックを訪ねたのは、37歳の誕生日が過ぎた頃でした。AMHの数値も夫の方の状態も芳しくなく、「顕微授精の対象」とすぐに言われました。はっきり言われると、こちらも覚悟ができ、浅田先生に任せて頑張ろうとまずは受精卵の確保からスタートしました。数ヶ月採卵をした後に、胚移植をしました。3回行い、いずれもうまくいかず、3回目の結果を聞いたときには診察室で涙が止まらなくなってしまいました。動揺する私に、先生は「そういうこともあるし、子宮筋腫の影響があるということが分かってきたとも言える」と言われました。その日はパニックで子宮筋腫のことは考えられませんでしたが、翌日、気分がすぐれないと仕事を休み、筋腫について調べるうちに気持ちが固まりました。そこから一気に子宮筋腫核出術を受け、身体の回復を待って再度胚移植。4回目なので、受精卵を2個移植してもらいました。その時のドクターは浅田先生ではありませんでしたが、このクリニックに任せる気持ちになっていたので心配はありませんでした。そして、受診日の前日に自宅で調べると陽性反応。結果は分かっているのに半信半疑で、それからの受診時も夢の中にいるような気持ちでした。クリニックを卒業する日には、しんみりした気持ちにもなりましたが、その後の妊娠の経過は高齢であることに加え双胎妊娠であったため、8ヶ月からは妊娠高血圧症で管理入院。36週2日で帝王切開で出産となりました。
 出産は40歳の誕生日を過ぎてからになり、子どもが欲しいと願ってからはあっという間に3年が過ぎていました。時間はかかりましたが、それが私たち夫婦のペースだったんだと思います。でも、浅田クリニックでなければこの結果にはならなかったかもしれないとも思います。子どもを授けてくださった浅田レディースクリニックには本当に感謝しています。
 今治療中の方も、先生方を信じていればきっとよい結果が得られると思います。もちろんこちらの門を叩くまでにはご夫婦での話し合いが何度となく行われたことでしょう。夫婦で同じゴールを目指して歩むことは子どもが生まれてからも必要なことです。今、夫婦で取り組んでいることは決して無駄にはなりません。一生懸命頑張るご夫婦にかわいいお子さんが授かりますように。
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