患者さまからのお手紙
2014年1月に出産された患者さまから
掲載日:2015年4月10日
おかげさまで今年2014年1月、42歳で元気な女の子を出産いたしました。先生方、スタッフのみなさん本当にありがとうございました。
36歳から始めた不妊治療、治療すればすぐに授かると思っていましたが、人工授精でも、体外受精でも陰性が続きました。途中、治療から離れて自然妊娠を願いましたが一向に妊娠せず、再度、挑戦した体外受精で初めての陽性判定をもらい、喜びも束の間、稽留流産となりました。
夫の転勤を機に、最後の砦と、浅田レディースクリニックで治療を始めました。卵子が老化するということを知り、今まで何故?と思っていた自分の状況がわかりました。そして、2度目の稽留流産、40代の流産の壁にぶつかりました。もうあきらめどきと夫婦で話しをしましたが、流産したということは妊娠できる、あとは生命力のある卵子が1つでも採卵できればと、どうしてもあきらめきませんでした。
43歳になるまで頑張ろう、今度流産したら、その時はあきらめようと臨んで移植した数少ない受精卵のうちの1つが、見た目のグレードは良くありませんでしたが、今度は不安をよそに元気に育ち、奇跡的に娘となってくれました。
夫婦ともども、にぎやかで忙しく、幸せな毎日を過ごしています。これからどんな子に育つのだろう、娘には自分のような苦労はさせたくないので、年ごろになったら、きちんと卵子の話をしたいです。
治療中のたくさんの方に赤ちゃんが授かりますよう、心より応援、お祈りしています。
36歳から始めた不妊治療、治療すればすぐに授かると思っていましたが、人工授精でも、体外受精でも陰性が続きました。途中、治療から離れて自然妊娠を願いましたが一向に妊娠せず、再度、挑戦した体外受精で初めての陽性判定をもらい、喜びも束の間、稽留流産となりました。
夫の転勤を機に、最後の砦と、浅田レディースクリニックで治療を始めました。卵子が老化するということを知り、今まで何故?と思っていた自分の状況がわかりました。そして、2度目の稽留流産、40代の流産の壁にぶつかりました。もうあきらめどきと夫婦で話しをしましたが、流産したということは妊娠できる、あとは生命力のある卵子が1つでも採卵できればと、どうしてもあきらめきませんでした。
43歳になるまで頑張ろう、今度流産したら、その時はあきらめようと臨んで移植した数少ない受精卵のうちの1つが、見た目のグレードは良くありませんでしたが、今度は不安をよそに元気に育ち、奇跡的に娘となってくれました。
夫婦ともども、にぎやかで忙しく、幸せな毎日を過ごしています。これからどんな子に育つのだろう、娘には自分のような苦労はさせたくないので、年ごろになったら、きちんと卵子の話をしたいです。
治療中のたくさんの方に赤ちゃんが授かりますよう、心より応援、お祈りしています。

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