患者さまからのお手紙
2013年8月に出産された患者さまから
掲載日:2015年2月27日
浅田レディースクリニックは、私たち夫婦の不妊治療において、六つ目の病院でした。それまで関東地方に住んでいた私たちは、東京で四つの病院、そして新幹線で片道五時間かけて九州の病院へも通い、合計十回の顕微授精をしましたが、そのどれもが結果を出せませんでした。
主人の名古屋への転勤に伴い、浅田レディースクリニックへ転院してきた時は、私はすでに心身ともにボロボロ...という感じでした。浅田先生には申し訳ないのですが、「きっとこの病院でも、ダメなんだろうなぁ」と半ば諦め気味でした。その時、私は41歳になっていました。
先に十回の顕微授精と書きましたが、採卵が十回ということです。移植はそれよりも少ない回数となります。なぜそういうことになったかというと、私たちは一般的に受精率80%以上という顕微授精をしてもなかなか、第一段階である受精にすら至ることがなかったのです。それまで行った五つの病院も、不妊治療では有名な病院ばかりですが、先生方も首をひねるばかり。そして最後には、「加齢による卵子の老化です」と、決まり文句のように言われ、回数を重ねる以外に手だてはないと言われました。受精せず、したとしても分割の途中で止まってしまう。その理由がわからず、私たち夫婦は、妊娠によいと聞くもの、ありとあらゆるものを試してみましたが、ダメでした。
そんな日々が続き、次第に私は鬱屈していきました。治療をやめようという主人との間に亀裂が入り、離婚の話が出たこともあります。よく不妊治療はジェットコースターに例えられますが、私たちの場合はアップダウンがなく、地を這いつくばるばかり。そんな日々が三年ほど続き、お恥ずかしながら私の頭に「死」という言葉がよぎるようになりました。体がだるくて動けず、ベッドから出られなくなったりもしました。「絶望」というのは、ああいう状態なんだろうな、と今にして思います。
そのような気持ちの中、六つ目の病院、浅田レディースクリニックへ。その頃には「自分たちは、子供のいない人生を歩まなくてはいけないのかもしれないなぁ」という半ば諦めの気持ちになっていました。だけど、ここで治療をやめたら後で後悔するかもしれない...それが嫌で私はこの病院へやってきました。そして説明会。その後に個人的に浅田先生が相談を受け付けてくださる時間があり、私はそこで、今までの治療歴をお話しました。すると浅田先生は即答されたのです。「それは受精障害です」。そしてそのための治療法をその場で教えてくださったのです。驚きました。解決法を教えてくださった先生は、初めてだったのです。そしてもっと驚いたことには、最初の採卵、二回目の移植で妊娠したことです。
妊娠を知った時、にわかには信じられませんでした。今まで受精すらろくにしなかったのに...、と自分の身に起こったこととはなかなか思えずにいました。そして出産。42歳での高齢出産でした。妊娠中もいろいろとありましたが、それはおいておくとして。今、毎日が幸せです。大げさでなく、幸せってこういうことなんだとわかりました。
最近気づいたのですが、以前は月に一度か二度、嫌な夢を見て、泣きながら目が覚めることがあったのですが、出産後はそれが一度もありません。いかに子供ができない日々が辛かったのかと再認識しました。
今、治療を受けられている方は、本当に辛いことも多いと思います。長々と書きましたが、そんな方たちに私のこの経験談が、なにかしらの励ましになれば嬉しいです。そして言いたいのは、今、浅田レディースクリニックで治療を受けられている方は、とてもラッキーだということです。それまで五つの有名な病院に通っていた私だからわかります。浅田先生は間違いなく、日本で一番の先生です。
浅田先生を信じて、どうかご自身に納得のいく治療ができるよう、心からお祈りいたします。
主人の名古屋への転勤に伴い、浅田レディースクリニックへ転院してきた時は、私はすでに心身ともにボロボロ...という感じでした。浅田先生には申し訳ないのですが、「きっとこの病院でも、ダメなんだろうなぁ」と半ば諦め気味でした。その時、私は41歳になっていました。
先に十回の顕微授精と書きましたが、採卵が十回ということです。移植はそれよりも少ない回数となります。なぜそういうことになったかというと、私たちは一般的に受精率80%以上という顕微授精をしてもなかなか、第一段階である受精にすら至ることがなかったのです。それまで行った五つの病院も、不妊治療では有名な病院ばかりですが、先生方も首をひねるばかり。そして最後には、「加齢による卵子の老化です」と、決まり文句のように言われ、回数を重ねる以外に手だてはないと言われました。受精せず、したとしても分割の途中で止まってしまう。その理由がわからず、私たち夫婦は、妊娠によいと聞くもの、ありとあらゆるものを試してみましたが、ダメでした。
そんな日々が続き、次第に私は鬱屈していきました。治療をやめようという主人との間に亀裂が入り、離婚の話が出たこともあります。よく不妊治療はジェットコースターに例えられますが、私たちの場合はアップダウンがなく、地を這いつくばるばかり。そんな日々が三年ほど続き、お恥ずかしながら私の頭に「死」という言葉がよぎるようになりました。体がだるくて動けず、ベッドから出られなくなったりもしました。「絶望」というのは、ああいう状態なんだろうな、と今にして思います。
そのような気持ちの中、六つ目の病院、浅田レディースクリニックへ。その頃には「自分たちは、子供のいない人生を歩まなくてはいけないのかもしれないなぁ」という半ば諦めの気持ちになっていました。だけど、ここで治療をやめたら後で後悔するかもしれない...それが嫌で私はこの病院へやってきました。そして説明会。その後に個人的に浅田先生が相談を受け付けてくださる時間があり、私はそこで、今までの治療歴をお話しました。すると浅田先生は即答されたのです。「それは受精障害です」。そしてそのための治療法をその場で教えてくださったのです。驚きました。解決法を教えてくださった先生は、初めてだったのです。そしてもっと驚いたことには、最初の採卵、二回目の移植で妊娠したことです。
妊娠を知った時、にわかには信じられませんでした。今まで受精すらろくにしなかったのに...、と自分の身に起こったこととはなかなか思えずにいました。そして出産。42歳での高齢出産でした。妊娠中もいろいろとありましたが、それはおいておくとして。今、毎日が幸せです。大げさでなく、幸せってこういうことなんだとわかりました。
最近気づいたのですが、以前は月に一度か二度、嫌な夢を見て、泣きながら目が覚めることがあったのですが、出産後はそれが一度もありません。いかに子供ができない日々が辛かったのかと再認識しました。
今、治療を受けられている方は、本当に辛いことも多いと思います。長々と書きましたが、そんな方たちに私のこの経験談が、なにかしらの励ましになれば嬉しいです。そして言いたいのは、今、浅田レディースクリニックで治療を受けられている方は、とてもラッキーだということです。それまで五つの有名な病院に通っていた私だからわかります。浅田先生は間違いなく、日本で一番の先生です。
浅田先生を信じて、どうかご自身に納得のいく治療ができるよう、心からお祈りいたします。

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