患者さまからのお手紙

2013年7月に出産された患者さまから

掲載日:2014年8月15日
私は、浅田LCにてお世話になり、2013年7月に41歳にて初めて出産したものです。私は、男性不妊により、39歳直前より不妊治療(最初から顕微授精でした)を始めました。2011年1月から2012年4月まで通っていた別の病院で、採卵2回、新鮮胚移植2回、凍結胚盤胞移植3回を行いました。うち、2度妊娠できましたが、早期の稽留流産となってしまいました。2度目の流産の際、染色体検査をしたところ、異常がなく『不育症』と診断され、不育症専門病院を紹介されました。
 紹介されたまま、病院には行きましたが、このまま検査を続ける意味があるのか半信半疑でした。不育症をネットで調べてみても、はっきりした原因がわからないことのほうが多いとあったからです。年齢的にも、経済的にも、精神的にも、不妊治療はもう今年(2012年)限りにしようと主人と話し合って決めていました。だからこそ、時間がないと思い、不妊治療専門病院へ転院し、もう一度採卵からチャレンジしてみようと決めました。
 数ある病院の中から、浅田レディースクリニックに決めたのは、単純に通院できる範囲だったからです(車で50分)。説明会に出席させていただいたときは、衝撃を受けました。浅田先生のオーラ、あふれる自信に。しかし、個別相談を希望し浅田先生に流産したこと、不育症と診断されたことを話しましたら、『あなたの年齢(40歳)だったら流産は当たり前』ときっぱり言われました。流産の手術からまだ一か月しかたっておらず、まだ悲しみから立ち直れていなかったので、悲しくて泣きながら帰りました。それでも、『私を信じるのであれば来なさい』とおっしゃる浅田先生にすがりたい、という気持ちのほうが強くすぐに通院を始めました。
 採卵では12個卵が取れ、うち8個を凍結することができました。本来であれば、まず4個を融解し、1個を移植、余剰胚は胚盤胞になれば再凍結、そして陰性であれば、残り4個を融解し・・・という流れになることと思います。しかし、私たち夫婦は移植も2回と決めていました。それでダメだったら子供はあきらめようと決めていました。だからこそ、その2回の移植を大事にしようと思い、8個とも融解し、一番グレードのいい卵を2個移植し、残りの6個は胚盤胞まで育ててほしいとコーディネーターの方に依頼しました。もしかしたら、1個も胚盤胞にならないかもしれないと言われましたが、それならそれで諦める覚悟でした。結果、ギリギリ1個だけ胚盤胞になり凍結できました。
 一度目では、とてもきれいな卵を2個移植しても、陰性でした。自分の年齢を恨みました。もう泣いても笑ってもあと一度。冷え症なので、ウォーキングをし、移植当日の午前中も歩きました。その効果あってか、二度目の移植で妊娠できました。  私は幸い不妊治療を始めて2年で妊娠にたどりつきましたが、もっと早く(年齢が若いとき)に治療を始めていればと思います。それに、浅田LCに転院を決意してよかったとも思います。病院は相性もさることながら、技術レベルの差があります。ぜひ、専門クリニックへ通院されることをお勧めします。
 最後に、浅田LCの先生方、看護師の皆様、受付の皆様、本当にお世話になりました。ありがとうございました。
レター

患者さまからのお便り一覧