患者さまからのお手紙

2012年11月に出産された患者さまから

掲載日:2013年8月 9日
「30歳までに子供を産まないとけないよ」母にそう言われて育った私は、なんとか29歳で結婚し、「ぎりぎり間に合うかな...」などとのんきに構え、赤ちゃんもできていないのに、マタニティ服を物色していたりしました。それが、一年たち二年たち、「不妊かもしれない...」とうっすら気がつき始め、漢方薬から始まってタイミング、人工授精、体外受精とステップアップしても、全く結果が出ない日々でした。「前世が子だくさんだったんだわ」などとすっぱいぶどうみたいな理由を考えてみたりして、本当にくすぶっていた日々でした。
 一度自然妊娠したものの、2か月で流産。2回目の体外受精で結果が出なかった時、思い切って浅田さんに転院しました。そして、体力もつけなければと、加圧トレーニングにも通いだしました。それが36歳の時。そして一回目の採卵・体外受精。妊娠し、37歳でようやくかわいい赤ちゃんを授かることができました。
 妊娠検査薬の陽性反応を浅田先生に差し出された時には、自分が日本人だったことを悔やみました。リオのカーニバルようなストレートなサンバのノリで、笑い、感激し、先生に感謝の気持ちを表現したかったのです。ですが、次に待っておられる方の事を考え、自分の喜びを、充分先生に伝えられませんでした...残念です。でも、内心は本当に本当にうれしかったです。今までの道のりは一体なんだったのだろう、というくらいあれよあれよというスピードで授かることができ、夢みたいです。男の子だったら「義正」とつけたいと思ったほどです、ほんとに。
 治療に立ち向かっている方々は、本当にえらいと思います、頑張ってると思います、中島みゆきさんの「ファイト」という歌に「闘う君の歌を闘わないやつが笑うだろう、ファイト」という歌詞があります。子供が欲しいのに立ち向かわないより「私は子供が欲しいのです」と自分の気持ちを正直に見つめ、立ち向かっている人がいる、がんばってください、私は闘うあなたが好きです、ファイト!今はまだ授かった赤ちゃんに手一杯ですが、しばらくしたら私もまた闘いに行きます。
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