患者さまからのお手紙
2011年3月に出産された患者さまから5
掲載日:2011年10月 7日
こちらで4人の子供を授かった者です。
8年前の新婚時、卵巣嚢腫や子宮内膜症から腹膜炎を起こし敗血症となり、生死をさまよいました。
その時子どもはあきらめてくださいと言われ、夫婦で一晩泣き明かし、手術をしました。でも結婚する時に「子どもは4人ほしいね」と話していた私たちは、あきらめきれず主治医に相談し、浅田先生を紹介されました。
初めは、まだナカジマクリニックの時でちょうど勝川のクリニックの準備をされていたときで、初めての顕微授精で一人目を授かり、浅田先生にも手術をした先生にも「奇跡だね」と言われました。
次は、一人目の子を連れて勝川へ通い、双子を授かりました。このときは何度かだめで、もうこれでできなかったらあきらめようと決めた最後のチャレンジで授かりました。
浅田先生がその都度、方法をいろいろ変えてくださいました。
妊娠は99%無理と言われた私たちが3人もの子どもを授けていただいたのですが、もともと4人子どもがほしかったので、双子を授かった際に凍結してあった受精卵(1回分)を迎えに行きました。
新たな採卵はする気がありませんでしたので、これでだめなら治療はしないと決めての通院でした。
今回は、名古屋のクリニックが始まった頃で、残念ながら浅田先生には一度も診ていただくことができませんでした。
でも浅田式を学ばれている先生方なので、信頼して診察を受けることができました。その結果、無事妊娠。
こちらの病院までは片道2時間かかりますが、職場や家族の理解のおかげもあり、夢だった4人のお母さんになることができました。
本当に浅田先生をはじめとする、浅田クリニックの皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。周りで不妊で悩んでいると聞いた時は、自分の経験とともに浅田クリニックの話をしています。
私は、こちらの病院に通うことができて本当にラッキーだったと思います。ありがとうございました。
いつか浅田先生、羽柴先生に4人の子どもたちを見ていただけたらと思っております。
ありがとうございました。今後も更なるご活躍をお祈りします。
8年前の新婚時、卵巣嚢腫や子宮内膜症から腹膜炎を起こし敗血症となり、生死をさまよいました。
その時子どもはあきらめてくださいと言われ、夫婦で一晩泣き明かし、手術をしました。でも結婚する時に「子どもは4人ほしいね」と話していた私たちは、あきらめきれず主治医に相談し、浅田先生を紹介されました。
初めは、まだナカジマクリニックの時でちょうど勝川のクリニックの準備をされていたときで、初めての顕微授精で一人目を授かり、浅田先生にも手術をした先生にも「奇跡だね」と言われました。
次は、一人目の子を連れて勝川へ通い、双子を授かりました。このときは何度かだめで、もうこれでできなかったらあきらめようと決めた最後のチャレンジで授かりました。
浅田先生がその都度、方法をいろいろ変えてくださいました。
妊娠は99%無理と言われた私たちが3人もの子どもを授けていただいたのですが、もともと4人子どもがほしかったので、双子を授かった際に凍結してあった受精卵(1回分)を迎えに行きました。
新たな採卵はする気がありませんでしたので、これでだめなら治療はしないと決めての通院でした。
今回は、名古屋のクリニックが始まった頃で、残念ながら浅田先生には一度も診ていただくことができませんでした。
でも浅田式を学ばれている先生方なので、信頼して診察を受けることができました。その結果、無事妊娠。
こちらの病院までは片道2時間かかりますが、職場や家族の理解のおかげもあり、夢だった4人のお母さんになることができました。
本当に浅田先生をはじめとする、浅田クリニックの皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。周りで不妊で悩んでいると聞いた時は、自分の経験とともに浅田クリニックの話をしています。
私は、こちらの病院に通うことができて本当にラッキーだったと思います。ありがとうございました。
いつか浅田先生、羽柴先生に4人の子どもたちを見ていただけたらと思っております。
ありがとうございました。今後も更なるご活躍をお祈りします。

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