患者さまからのお手紙
2010年10月に出産された患者さまから6
掲載日:2011年4月 1日
2010年10月、元気な元気な男の子が誕生しました。
浅田先生、佐野先生、スタッフの皆様、本当にお世話になりました。ありがとうございました。
私は30歳で結婚、その後子供に関してはきちんと考えた事がなく、仕事と二人の生活をそれなりに楽しんでいました。35歳の時に何となく受けた検査で両側卵管閉塞と診断され、子供は体外受精でないと授からないといきなりつきつけられ、それまで無縁だった不妊治療の世界に飛び込む事になりました。
不妊と一言で言っても千差万別だと思います。
私の場合は私の卵管閉塞に加え主人の精子の状態もあまりよくなかった為、治療を始めてみると顕微授精でないと殆ど受精卵さえできない状態でした。今から思えば、最初に浅田先生の所に行った事が、38歳で何とか母になれた最大のポイントだったと思っています。
仕事をしながらの通院だった為、仕事のスケジュール調整は正直ストレスでした。でも毎回病院に行くと元気に受付のスタッフの方々に迎えられ、先生は毎回きちんと質問に答えて下さる。
病院そのものの質の高さと、何となくの居心地の良さとで、通院に対するストレスは全くといっていい程感じませんでした。
3年間で胚移植は計9回。陽性反応、妊娠までは何回か結果がでるものの、私の場合その後受精卵・胎芽がうまく育たず、流産を繰り返してしまいました。化学流産を合わせると流産も5回もの回数になり、途中は治療の中断も含め色々考えました。最初の説明会で浅田先生の話にあった卵の年齢を基本に自分の年齢を考え私なりに期限を決めて、それまではできる事は頑張ってみようと思いました。実は今回の採卵で最後にしようと思っていたので、本当にギリギリの所で息子が育ってくれ、無事にこの世に出てきてくれました。
治療中は精神的に追い込まれる事も場合によってはあるかもしれません。私は、だめだった結果は最小限の振り返りで次に繋げ、それより上を向いて常に次の事を考える様にしていました。次はいつどんなスケジュールで胚移植をすすめよう?その為に仕事・生活はこうしてみよう。そうしていると、泣いてる時間はあまりなく、次に迎える卵の為にやる事がたくさんあって気も紛れていた気がします。
今は全く別の意味で育児に追われ時間のない毎日ですが、3年間の治療生活は決して無駄な期間ではありませんでした。一日中子供に泣かれ、腕が折れそうになる程抱っこをしていても、あの時に比べればたいしたことない、あれを乗り換えたんだから、と思える自分がいます。
浅田レディースクリニッックは、不妊治療に向かう人達を精神的な事から心づもりを教え、治療中は確かな技術で支える、安心で優しい病院だと思います。出会えた事に感謝します。
浅田先生、佐野先生、スタッフの皆様、本当にお世話になりました。ありがとうございました。
私は30歳で結婚、その後子供に関してはきちんと考えた事がなく、仕事と二人の生活をそれなりに楽しんでいました。35歳の時に何となく受けた検査で両側卵管閉塞と診断され、子供は体外受精でないと授からないといきなりつきつけられ、それまで無縁だった不妊治療の世界に飛び込む事になりました。
不妊と一言で言っても千差万別だと思います。
私の場合は私の卵管閉塞に加え主人の精子の状態もあまりよくなかった為、治療を始めてみると顕微授精でないと殆ど受精卵さえできない状態でした。今から思えば、最初に浅田先生の所に行った事が、38歳で何とか母になれた最大のポイントだったと思っています。
仕事をしながらの通院だった為、仕事のスケジュール調整は正直ストレスでした。でも毎回病院に行くと元気に受付のスタッフの方々に迎えられ、先生は毎回きちんと質問に答えて下さる。
病院そのものの質の高さと、何となくの居心地の良さとで、通院に対するストレスは全くといっていい程感じませんでした。
3年間で胚移植は計9回。陽性反応、妊娠までは何回か結果がでるものの、私の場合その後受精卵・胎芽がうまく育たず、流産を繰り返してしまいました。化学流産を合わせると流産も5回もの回数になり、途中は治療の中断も含め色々考えました。最初の説明会で浅田先生の話にあった卵の年齢を基本に自分の年齢を考え私なりに期限を決めて、それまではできる事は頑張ってみようと思いました。実は今回の採卵で最後にしようと思っていたので、本当にギリギリの所で息子が育ってくれ、無事にこの世に出てきてくれました。
治療中は精神的に追い込まれる事も場合によってはあるかもしれません。私は、だめだった結果は最小限の振り返りで次に繋げ、それより上を向いて常に次の事を考える様にしていました。次はいつどんなスケジュールで胚移植をすすめよう?その為に仕事・生活はこうしてみよう。そうしていると、泣いてる時間はあまりなく、次に迎える卵の為にやる事がたくさんあって気も紛れていた気がします。
今は全く別の意味で育児に追われ時間のない毎日ですが、3年間の治療生活は決して無駄な期間ではありませんでした。一日中子供に泣かれ、腕が折れそうになる程抱っこをしていても、あの時に比べればたいしたことない、あれを乗り換えたんだから、と思える自分がいます。
浅田レディースクリニッックは、不妊治療に向かう人達を精神的な事から心づもりを教え、治療中は確かな技術で支える、安心で優しい病院だと思います。出会えた事に感謝します。

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