患者さまからのお手紙
2010年10月に出産された患者さまから7
掲載日:2011年4月22日
40才を迎える2010年に第一子を腕に抱くことができました。
34才から他の医院で不妊治療を始め3年経ち、8回の採卵と6回の胚移植2回の流産の後治療を続ける気力が落ち、立ち止りました。
浅田LCの話を友人から聞き、まだ行く気にはなれないけど、気力が戻った時にすぐに通えるようにと説明会の予約をしました。説明会の後もすぐには通い始めずにいた時に、テレビで浅田先生のことを放送していて、説明会でも感じた、こういう信用できる先生が通える範囲のところにみえるなら通ってみるべきだと思い立ち通い始めました。
1回目の胚移植の後の結果、妊娠反応が陰性だったときはがっくりきました。妊娠したかもという自分の感覚があったのと、ここに通ってもダメなのかと。でも先生は2年で結果を出すと言っていたし、もうやめるという決断もできずに治療を続け、4回目の採卵で通算5回目の胚移植のとき8Eと6Dの胚で妊娠反応陽性となりました。
その結果を聞いても、ポカンとしてしまって信じられない感じと不安で半ば放心状態でしたが、週数を追うごとに形が見えてきて心拍が確認できたときはやっとここまできたかと、少しほっとして嬉しさを感じることができました。
その後産院に移り、順調に育ちつつも、切迫早産で入院したり逆子になったり不安をかかえながらの妊娠生活をおくり、出産にいたりました。
今、1年前には想像できなかった自分の姿があります。あきらめなくて本当によかった。こんな幸せが私には待っていたんだ、と。苦しかった自分に見せてあげられたらと思います。
浅田先生、羽柴先生、佐野先生をはじめ、浅田LCにかかわるすべてのスタッフの方々に支えられながら頑張ってよかった!!
34才から他の医院で不妊治療を始め3年経ち、8回の採卵と6回の胚移植2回の流産の後治療を続ける気力が落ち、立ち止りました。
浅田LCの話を友人から聞き、まだ行く気にはなれないけど、気力が戻った時にすぐに通えるようにと説明会の予約をしました。説明会の後もすぐには通い始めずにいた時に、テレビで浅田先生のことを放送していて、説明会でも感じた、こういう信用できる先生が通える範囲のところにみえるなら通ってみるべきだと思い立ち通い始めました。
1回目の胚移植の後の結果、妊娠反応が陰性だったときはがっくりきました。妊娠したかもという自分の感覚があったのと、ここに通ってもダメなのかと。でも先生は2年で結果を出すと言っていたし、もうやめるという決断もできずに治療を続け、4回目の採卵で通算5回目の胚移植のとき8Eと6Dの胚で妊娠反応陽性となりました。
その結果を聞いても、ポカンとしてしまって信じられない感じと不安で半ば放心状態でしたが、週数を追うごとに形が見えてきて心拍が確認できたときはやっとここまできたかと、少しほっとして嬉しさを感じることができました。
その後産院に移り、順調に育ちつつも、切迫早産で入院したり逆子になったり不安をかかえながらの妊娠生活をおくり、出産にいたりました。
今、1年前には想像できなかった自分の姿があります。あきらめなくて本当によかった。こんな幸せが私には待っていたんだ、と。苦しかった自分に見せてあげられたらと思います。
浅田先生、羽柴先生、佐野先生をはじめ、浅田LCにかかわるすべてのスタッフの方々に支えられながら頑張ってよかった!!

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