クリニックの始まり

浅田レディースクリニックの始まり

幸せ配達人 名古屋市の不妊治療・体外受精・顕微授精専門クリニック これはある患者さまからもらった手紙の一部です。

私がアメリカ留学から帰国し、名古屋大学分院で顕微授精(ICSI)を始めようとしていた、1995年3月のことでした。私が大学の廊下を歩いていると、突然私の目の前に女性が立ち止まり、見上げるようにして(私の方が大きかったので)「先生にICSIをやってもらえないなら、今、打っている注射を途中でやめます。」と言って、彼女は私を睨みつけました。彼女はそれまでICSI以前の顕微授精法で全く受精卵ができなくて、今回で最後にしようと決意していました。

自費の高い注射を無駄にするとまで言われては、何とかしなければなりません。私は大急ぎでICSIの機械の準備をしました。ピペット作りの機械は間に合わなかったため、実験用にと粘土で固定し、アメリカからもって帰ったピペットを洗浄して、私の日本での最初のICSIを施行しました。その時は受精卵はできたものの妊娠には至りませんでした。

私はこの勇気ある女性に逆に「もう一度ICSIをさせてほしい。」と頼みました。半年後、幸い双胎妊娠となり、その双子が生まれた時にもらったのがこの手紙でした。この『幸せ配達人』という言葉はそれ以後、私の脳裏から離れませんでした。

名大分院が1996年11月になくなり、本院統合になり、大病院の弊害がだんだん気になるにつれ、この『幸せ配達人』と言う言葉はますます私の中で気がかりになりました。 大学の医師として生きていくのか、患者さんにより貢献できる医師として生きていくのかの選択が必要になりました。なぜなら、大学病院はいろいろなシステムが不妊症治療、体外受精に非常に不向きになってきていたからでした。私はICSIをライフワークとし、微力ながら『幸せ配達人』のひとりになりたいと決意しました。こうして1998年4月ナカジマクリニック不妊センターは誕生しました。

顕微授精のすべてができる医師としてスタートした不妊センターも時代の流れにより大きく変化してきました。ひとりの専門家がすべてを行う不妊治療から、不妊治療の分野は新しく分化専門化しました。高度生殖医療技術は進化、発展しました。スタッフの育成と充実に限界を感じ、2004年4月浅田レディースクリニック(現・浅田レディース勝川クリニック)は誕生しました。
そして2010年8月には2施設目となる浅田レディース名古屋駅前クリニックが誕生しました。

院長 浅田義正